旅立ち前夜


「カイ」
 フィースの声に、少年は振り返った。
 懐かしい、見覚えのある鉄(くろがね)の髪が月光を受け止めて鈍く光っていた。彼――カイと会うのは何ヶ月かぶりになるが、彼は驚きもせず、相変わらず色に乏しい表情で素っ気なく答えた。
「久しぶりだな、しろがね。今日はどうした」
「ああ。一日早いけど、誕生日おめでとう。これ、やるよ」
「何だ?」
「明日からのおまえの役に立つものさ。アッサラームのバザールで買ったんだ。盗品なんかじゃないから心配せずにもらってくれ」
「珍しいな、お前が土産とは」
 フィースが差し出す革袋を、カイは多少ためらいながら手に取った。中から取り出したのは、魔物を象った青い石のピアス。淡い輝きに惹かれ、カイに似合いそうだと買い求めたものだった。
「持ち主に力を与えてくれる魔法の石って触れ込みだから、旅に持って行って欲しい」
「ずいぶん、不思議な光り方をするんだな。でも俺、ピアスは――」
 そう言って自分の耳に触れたものの、カイはピアスを乗せた右の手のひらを結んだり開いたりして重さを確かめていた。気に入ってはもらえたようで、フィースはほっと胸を撫で下ろす。
「お守りだよ。身につけなくたっていい。……いよいよ明日だな。決心、ついたのか」
「そんなものはない。ただ、旅に出れば鬱陶しい外野から離れていられる。癒されるだろうな」
「変わらないなあ」
 付き合いも長くなったが、カイの笑顔らしい笑顔を見たことがない。フィースは苦笑いで、渋い表情の友人を見つめた。虫の居所が悪いときなどは呼んだところで振り向きもしないから、彼はこれでも自分との再会を喜んでいるはずだ。
 数年前、フィースが『勇者の息子』を一目見ようとアリアハンを初めて訪れた頃から、カイは荒んだ瞳をしていた。顔も覚えていない『父・オルテガ』を自分に求める周囲の過剰な期待。まして、不幸なことにカイは父親に勝るほどの能力を秘めていた。流れに抗おうともがくカイの姿は、同年代のフィースにはただただ痛々しく映った。たまらずに声を掛けたその日から、二人のぎこちない交流が始まった。
 時は流れ、父と同じように彼もまた旅立ちの時を迎えたが、それがカイの本意でないのは誰が見ても明らかだった。
「なあ。……その旅、俺を連れて行ってくれないか?」
「正気か?」
 普段よりも少しだけ高い声で、カイは聞き返した。
「ずっと前から決めてた。お頭に頭下げて、仕事からは足を洗ったよ。勇者のお供が盗賊じゃ洒落にならないと思ってさ。だから、もう『しろがね』じゃないんだ」
 フィースは微笑んでうなずく。彼の言う『しろがね』とは、『宵の白銀』のこと――銀の髪とその手口の鮮やかさから、盗賊時代のフィースに付けられた通り名からきている。
 カイは、フィースを本名で呼んだことがなかった。名を呼ぶことで身元がばれないよう、気を使ってくれている。
「死ぬかもしれないぞ」
「覚悟はしてる。それに、俺も修羅場はいくつもくぐってきたんだ。なんとかやれるさ」
「なら、勝手についてこい」
 にこりともせずに、しかしカイはすぐに応える。
「ありがとう」
「明日、王との接見の後、酒場に寄るから待ってろ。監視役に城から女が一人派遣されるから、そいつに話せ」
「分かった。……てっきり、断られると思ってたよ」
「フィースなら、別にいい」
 カイは「帰ったら、穴開ける」と言うと片手を上げて踵を返し、立ち去った。
 初めて名を呼ばれたことに、フィースは戸惑いつつも素直に嬉しく思った。ぼそりと呟いた言葉も、あれでカイはカイなりに礼を言っているつもりなのだろう。ピアスにも、そして旅への同行の申し出にも。
 果たして彼の言うとおり、先の見えない旅路でカイが癒されることはあるのだろうか。自分はその力になれるだろうか。見送るフィースは、明日からその背中にかかるであろう重圧を思い、ひとり拳を握りしめていた。

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