さまよう魂

 どうしても寝付けず、ミラは宿のベッドの上に体を起こした。
 隣のスバルはいつものようにナックルを枕元に置いている。規則正しい寝息も、いつも通りだ。腕っ節だけでなく、よく食べてよく寝ることも格闘家には大切なのだ、というのが彼女の持論である。
 ――だったら、あたしは武闘家にはなれないわ。
 もちろん今は賢者としての知識や技量を身につけるのに手いっぱいだから、転職する気もない。
 そんなどうでもいいことを考えながら、ミラは部屋を出た。散歩でもして、ちょっと体を動かしてこよう。そんな、軽い気分で。

 宿を出るところで、「あれ、ミラ?」という声が追いかけてきた。
「レグ。……どうしたの?」
 レグルスだった。彼は宿に入ったときと同じ、マントを身につけた姿で立っていた。
「いろいろ考えごとしてたら、目が醒めちゃって」
「奇遇ね。あたしもなの。……じゃあ、夜の町でデートでもしない?」
「デ、デート?」
「ほら! 行きましょ」
 強引にレグルスの手を取って引っ張ると、ミラは先に立って歩き出した。
 ミラが眠れなかったのは、レグルスのせいだった。昼からずっと冴えない顔をしていたのが気がかりだったのだが、やはり何か悩んでいたのか。

 歩きながら話ができる場所を探していたミラだったが、なかなかちょうどいいところは見つからない。明かりがあるのは酒場くらいのものだが、悩みを聞くのにふさわしいとも思えなかった。
 仕方なく、歩きつつ尋ねてみることにした。
「何を考えてたの?」
 レグルスは、躊躇することなく答える。
「僕はね、次男なんだ」
「知ってるわ」
「兄さんは、生まれつき体が弱い子だったんだって。僕は、その顔も知らない」
 レグルスに、年の近い兄がいたことはミラも知っている。そして、その兄が幼くして命を落としたことも。しかし、レグルスが兄について多くを話したことはなかった。
 遺志を継ぐ――いや、当然『継がされる』と思われていた――兄の死去により、今度はレグルスが俄然注目されることとなった。突然、過剰な期待と重圧に晒されることになったのだ。あまりいい思い出がないのだろう――と、ミラは考えていたのだが。
 ミラは、黙って耳を傾ける。今日は、この話をするために誰かを探していたのかもしれない。レグルスの気持ちを知るいい機会だ。
「僕は、急ごしらえの勇者なんだ」
 彼は、にやりと笑った。冷えびえとした微笑みを浮かべるレグルスに、ミラは目を丸くする。一瞬見えたその顔は、いつもとはまるで違っていた。思わず訊ねる。
「……レグ、よねぇ」
「そうだけど?」
 首を傾げたレグルスは、不思議そうな顔でミラを見た。素直そうな眼差しを向けられ、今度はミラが首をひねる。
 ――やっぱり、いつものレグだ。
「ううん。……続き、きかせて」
 話の腰を折ってはいけない。ミラが促すと、レグルスはまた語り出す。
「お父さんのためにも、お兄さんのためにもってみんな言ったんだ。お父さんはもっとうまくやった、お兄さんの無念を晴らせ、って。自分で言うのもなんだけど、僕は剣も魔法も人並み以上にはできる。いろんな勉強もした。でも、ダメだったんだ。……みんなの言うことはもっともだ。僕は、そういう家に生まれついてしまったんだから」
 レグルスは無表情で遠くを見つめながら、吐き出していた。
 彼が負の感情をこんなにも溜め込んでいたとは、思いもよらなかった。いつも明るくて前向きなリーダー、それがレグルスだったから。
 そのリーダーとしての役すらも、もしかしたら演じているのかもしれないと、ミラは今にいたって初めて感じた。たかが十六年しか生きていない少年にしては、彼はあまりにできすぎていたから。
 偉大な戦士の影を追わされる。亡くなった兄がのし掛かる。頑張りは認めてもらえず、もっと上を目指せと言われる。しかし、もういない人と比べられるレグルスのことは、誰か考えていてくれたんだろうか。
「結局、旅に出るしかなかったんだね。アリアハンを出るときのみんなの笑顔を見て、そう思った。……どうすれば僕を愛してもらえるか、なんて、考えるだけ無駄だったんだ。勇者をやればよかったんだ」
 はは、と乾ききった笑い声がした。少年のものではない、変に大人びた声だった。
「……ミラはなんだか話しやすくて、つい長話になっちゃった。つまんない話、聞いてくれてありがとう」
 それは、彼が本能的に自分に似たものを感じているからだ、とミラは思った。
 当初、裏の顔――実は魔法使いであり、滅ぼされた村の生き残り――を隠し、遊び人のふりをしてパーティーに加えてもらっていた自分。同じく二面性を抱えるレグルスが、通じる誰かを求めた結果、たどり着いたのは自分だったのだろう。
 もしかしたら彼の魂を救えるかもしれない、そんな想いをミラは持っている。
 しかし、今、それを吐露するべきなのだろうか。旅はまだ続く。目的を遂げてからでも遅くはないと、思っていたのだ。少なくとも、レグルスの話を聞く前までは。
 ミラが悩んでいる間に、レグルスはマントを翻し、背を向ける。
「……明日も早いし、宿に戻ろうか」
 声は、震えていた。
「待って。……待ってよ!」
 レグルスは立ち止まらない。振り向かない。
「待たないと、魔法で動きを止めるわよ。氷と炎、どっちにする?」
 ようやく、足が止まる。
 ミラはレグルスに駆け寄ると、彼の後ろに立つ。そして、レグルスの胸に手を回し、後ろからそっと抱き締めた。
 小刻みに震える彼の肩に顔を寄せ、ミラは覚悟を決めた。
「聞いて。……あたし、あなたが好きよ。愛して欲しいなら、いくらでも愛してあげる。あなたのためなら、何でもする」
「……何をしたらいい? 僕は、どうしたらいい?」
「あなたが何もしなくても、何をしても、あたしはあなたを愛してる。……返事は、この旅が終わってからでいいわ。ただ、勇者じゃなくて、ほんとのレグルスが好きな人間もいるってこと、忘れないで」
 レグルスの声は、もうなかった。彼は、静かにただ泣いているだけだった。

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