町の人々

 天井の木目しか見えなかった視界。そこに、不意にセアが顔を出した。
「気分はどう?」
「最高」
 指を立ててみせると、彼女は笑いながらベッドの脇のイスに腰掛けた。
「バッカだなあ」
 馬鹿とは何だと言い返そうかと思ったが、セアの笑顔を見ていたい気分だったので、エイルは黙って口を尖らせた。
「……喧嘩したんだって?」
 町の不良どもと喧嘩して転び、頭を打った。そう、噂が立っていた。
 セアに比べて力で劣るエイルでも、その辺の下級兵士よりは強い。本気でやれば勝てるはずの喧嘩だと知っているから、セアも怪我についてはそんなに心配していないのだ。
「お前のことを、悪く言ったから」
 エイルが言い訳がましくこぼすと、セアは明るく返した。
「そんなの、もう慣れちゃったよ。私が気にしてないのに、エイルが怒るなんて、おかしいよ」
 オルテガの子、しかも娘という立場上、よくも悪くも人々の話題にのぼることが多かったセア。まだ少女と言っていい年齢には似合わず、悪い噂を笑い飛ばすくらいの余裕と強さはすでに身につけていた。
「アリアハンの王は、勇者の娘を魔王の嫁にする気だって。魔物どもの贄にして怒りを静める気なんだって、言ったんだ」
 セアは目を見開いた。
「……それは、新しい陰口だね」
「だろ? だから、つい、かっとなってさ」
 セアには内緒だが、今回の喧嘩相手は町の不良などではなく、王城の兵士達だった。
 彼女は修練のため、城の兵士と剣術の試合をすることがある。それには、エイルもたびたび同行していて、試合相手の兵士たちとは顔見知りになっていた。
 あいつは将来いい女になるに違いないから、みすみす魔王にくれてやるのはもったいない。どうせなら、さっさと俺たちのものにしよう。お前にも分け前をやるから、早いとこ手引きしろ。
 奴らは下卑た笑いを浮かべて、そうエイルに持ちかけた。エイルは、返事をすることなく兵士達を蹴り飛ばしていた。口を聞くのも、拳で殴るのも汚らわしいと思ったからだ。
 あまりに生々しいので、彼女にはあまり詳しいことは教えていない。せいぜい、また馬鹿が喧嘩して、と呆れるくらいだろう。それでいい、とエイルは思った。
「あ、でも今回は力を抑えたから。向こうはあまり怪我してないはずだぜ」
「あまり素行が悪いと、旅に連れて行けなくなるよ。少しは自重してね」
「はいはい。……もう、寝る。気をつけて帰れよ」
「気をつけても何も、うちはすぐ近所でしょ。……ゆっくり休んでよ」
 彼女の言葉が終わる前に、エイルは頭まで布団を被った。遠ざかっていく足音を聞きながら目を閉じてはみたものの、闇の中に浮かぶのはセアの姿ばかりで、休むことなどできそうになかった。 
 ――俺以外の誰にも、お前をやりたくない。勇者じゃないセアを知るのは、俺だけでいい。お前を女だって馬鹿にするやつに憤る俺自身が、いちばん、お前を女だって見てるんだ、と。
 そう正直に言えたら、どれだけすっきりするだろう?

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