酒場

「オルテガの子、セア。旅の仲間を求めに……あれ?」
 扉を開き、格好良く名乗りを上げようとしたエイルは酒場が無人なのに気づいた。がらんとした店内にはセアたち二人以外に客はなく、常駐のはずの楽団さえもいなかった。よく見れば、女主人のルイーダがカウンターで不機嫌そうにほおづえを付いている。
「セアかい。そういや、今日が旅立ちの日だったねぇ」
「ルイーダさん。今日はお店お休み?」
 セアが話しかけると、女将は大げさに肩をすくめる。エイルは、いつも元気な女将の顔に疲労の色が浮かんでいるのを見て取った。
「見ての通り酒場は開店休業さ。仲間を募るにもちょっと困るだろ。すまないね。……二人とも、ミルクでいいかい」
「俺はビール」
「こら、不良神官」
「セア、あたしは客の頼みじゃ断われないよ」
 苦笑いをしながらも特産の黒ビールを用意するルイーダ。その覇気のなさに、セアもようやく異変に気付き尋ねた。
「ねえ、ルイーダさん。顔色が悪いけど、何かあったの?」
「ああ、妙な客に目を付けられちまったんだ。三日前あたり、腕自慢のガキが店で暴れてね」
 飲み物を注ぎながら、ルイーダは話し出した。旅の少年が「俺を倒せるやつはいないのか」と言ってケンカ相手を探していたのだという。酒場で雇っていた用心棒も歯が立たないほどの腕を持つ彼はルイーダに宣言した。
「『もっと強いやつが来るまで、何日でも通ってやるぜ。それが嫌なら傭兵でも探してこい』だとさ。あんな生意気なガキの言うことを聞くくらいなら、店閉めたほうがマシ」
「でも、毎日これじゃ困るでしょう?」
「店が繁盛しなくても当分は困らないけど、旅の仲間集めには悪いことしちゃったかね」
 ルイーダがジョッキとグラスを運んできて、そのまま二人のいるテーブルに付く。セアの心配そうな声に女将は優しく微笑んだ。
「強いやつって言われて最初に思いついたのはセアだったよ。街で一番強いのは、多分アンタだから」
「ねえ、その人仲間になってくれないかなあ?」
「バカ、セア。そんな狂犬みたいな性格の悪いやつパーティに入れたら、後々大変だろ」
「でも強ければ強いほどいいじゃない」
 エイルはあまりに楽観的な幼なじみの言葉に口をへの字に曲げた。セアは根が素直すぎるのか、どちらかというと慎重派のはずなのにたまにこういう無防備さをみせる。剣技や戦闘能力では彼女にはとうてい敵わないが、世間ずれしていないセアには俺がついてないとどうなるか分かったもんじゃない、とそのたびに再確認するエイルだった。
 と、そこで、ドアのきしむ音ががらがらのホールに響いた。
「今日は客がいるみてぇだな」
 三人とも、若い男の声に酒場の入り口を振り向く。とたんにルイーダが明らかな嫌悪の表情を浮かべ、カウンターに戻ると暖炉の火かき棒を取ってきた。構えながら男を睨み付け、女将はセアとエイルの前に立つ。
「また来たのかい。この二人には触れさせないよ」
「相変わらず勇ましいな、女将」
 この辺ではあまり見かけない身なりの、鋭い目つきの青年だった。歳はエイルと同じくらい。緩く編んだ黒髪とは対照的に、たくましく鍛えられた筋肉が全身を覆い、ただ者ではないことが一目で分かる。
「そこの二人。見たとこ闘い慣れしてそうだが、少しは楽しませてくれるかい?」
「お前か、営業妨害してるのは」
 彼は小馬鹿にしたような視線をエイル、そしてセアへと向けると不機嫌そうに名乗った。
「カルム、だ。ちゃんと名前がある。お前らは何だ?」
「私はセア、剣士。彼はエイル、僧侶。ルイーダさんの知人です」
「……よく見りゃお前、可愛い顔してるな。強気な女は嫌いじゃないぜ」
「あなたが店を牛耳っていると聞きました。私たちはパーティのメンバーを探しているので、酒場が寂しいと困るんです。出て行ってはくれませんか」
 自分の問いかけを無視したセアに聞こえるよう舌打ちをしたカルムは、軽い口調でからかうように彼女を挑発する。
「お嬢ちゃんよ、悪いけど俺も旅の途中なんだ、腕試しのな。文句があるなら、力ずくで言うこと聞かせてみろよ」
「てめえ、こっちが黙ってりゃいい気になりやがって! セアに手を出すな!」
「おう、やるか? ……インテリのわりにゃ威勢がいいじゃねえか、優男。お前の女か?」
 無反応で聞き流したセアとは対照的に、気の短いエイルは激昂した。さらに挑発を続けるカルムにかみつくエイルをセアは左手で制し、自らすっとその前に滑り込む。
「わかりました。私と勝負してあなたが負けたら、言うことを聞いてもらえるんですね」
「ああ、何でもしてやらぁ。ただしその言葉、そっくりお前に返すぜ。俺が勝ったらお前を好きなようにさせてもらう。それでいいか」
「野郎! 何てこと――」
「エイル、下がって。大丈夫だから。……条件、飲みましょう」
「後で泣き言言うんじゃねえぞ」
 そう言って、カルムは腰を落とした。一分の隙もない構えに、この人はやはり強いのだとセアは改めて思う。絶対に、パーティーに引き入れたい。
 一方、エイルははらはらしながら二人を見守っていた。セアを守るのが自分の使命だとばかり思いこんできたものの、肉弾戦は彼女に任せるしかない現状に歯がみをする。セアには確かに無鉄砲なところはあるが、まさか初日からそれが遺憾なく発揮されるとは予想外だった。
 エイルの右手側、カルムが左足を蹴って踏み込んだ。それと同時に二つの影が重なると、肉と肉のぶつかる音がしてすぐに離れる。鋭い突きをセアが上手くいなしたようだった。女性であるセアは自分が非力さを自覚しており、ことに相手の力を利用する技をたくさん身につけている。つまり、相手が強いほど彼女の力になるのだ。
「やるな」
 今度はセアが右、カルムが左。カルムがニヤリと余裕の笑みを浮かべるが、セアは無言だ。彼女はまったくの別人のようなきつい目つきで相手を睨み付ける。
 再び二人が動いた。仕掛けたのはやはりカルム。長いリーチを生かし、巧みに距離を保ちながら中段への蹴り、そしてボディへの突きを次々に繰り出す。防戦一方に見えるセアが何かを狙っているのに、エイルは気付いた。
「メラ」
 まるで弾幕のような攻撃が止んだ一瞬の沈黙をついて、セアの手から火球が放たれた。彼女は、たまらず下がるカルムの懐へ迷わず入り込むと、渾身の力を込めて顎を下から殴り上げる。筋肉の塊のような身体が宙を飛び、セアも勢い余って倒れ込んだ。カルムは起き上がってはこなかった。
「セアの勝ち、だろ」
 そう言いながら、エイルはカルムに回復魔法を施す。怪我と言うほどではないが、一応対戦相手への礼儀としてだ。
 セアも、カルムを覗き込んだ。
「あの、大丈夫ですか?」
 手加減せずにあれだけ殴ったのだから、すぐには目が覚めないだろう。そう思って、そっとカルムの身体を揺らしてみる。
 と、不意に両腕が伸びて来たかと思うと、セアは彼に抱きすくめられていた。
「わっ!」
「あいにく、打たれ強いんでね。……平気じゃねえって言ったら慰めてくれるのかい?」
「いや! 離してください」
「どんな筋肉女かと思ったが、普通に柔らけぇもんなんだな」
 セアがいくらもがいても、戒めはびくともしない。顔を押しつけられて、カルムの心音がセアに届いた。あれほど激しく動いた後だというのに、まったく乱れていない規則正しい音。なんてタフな男だろう。
「……その辺にしておけ、この野獣」
「いいとこで邪魔すんじゃねぇよ」
 エイルの周りで、微かだが風が動いている。今にも竜巻を喚んで不届き者を切り刻もうと言わんばかりのエイルの様子に、カルムはようやくセアを解放した。服の乱れを直すと、セアは「言うこと、聞いてもらえるんですよね」と確かめる。
 埃を払い、ほつれた三つ編みをきっちりと結い直しながら、カルムは相変わらず軽めの様子でへらへらと問い返した。
「約束は守るさ。酒場への出入り禁止ってとこか?」
「私たちと一緒に、旅に出てください」
「どこへ?」
「魔王バラモスを倒しに」
「はぁ?」
 セアの口から告げられた思いがけない一言に、カルムは案の定、不審そうに大声を上げた。しかし、セアとエイルの真剣な態度はそれ以上の間を認めなかった。
「私はアリアハンの勇士オルテガの子、セア。あなたのように強い人を探していました。パーティーに加わって欲しいんです」
 カルムはあははは、と豪快に笑った後、「いいぜ」と即答した。
「そんなに簡単に決断しちゃうんですか」
「強くなるにはもってこいだ。面白そうだしな。……そこの僧侶さんは? 歓迎してくれねぇの?」
「……セアの希望だからな。俺はセアの友人で僧侶、エイルだ。よろしく」
 いかにも渋々といった様子で自己紹介を終えると、エイルは不機嫌丸出しで右手を差し出した。それに倣い、カルムもニヤニヤしながら手を出す。
「仲良く行きましょう、ね?」
 セアも加わり、三人は初めて手を合わせる。二つの大きな手のひらを、セアは頼もしく握っていた。

-Powered by HTML DWARF-