ラッキーマン

 夜の帳に包まれた林の中で、赤々と炎が燃えている。
 フィースが火の番をしつつ、その明かりで武器の手入れをしていると、隣にメルツがやってきた。彼女は静かに腰を下ろすと、無言でフィースの手元を眺めている。革の鞭にオイルを塗ったり、ナイフの刃を研いだりするのがそんなに面白いものだろうか――フィースはメルツの様子をうかがいながらも、手入れを続けた。
 やがて、すべての作業が終わったのを見届けて、彼女はようやく口を開いた。
「今日も、モンスターの箱を開けずにすみました。フィースさんのおかげです」
 どうやら、フィースの仕事が終わるのを待っていたらしい。
 メルツがいうのは、人食い箱というモンスターのことだ。宝箱に化けて潜み、こちらの不意を打って攻撃を仕掛けてくるたちの悪いやつだが、フィースはなぜだか、そのモンスターを探知する力に長けていた。箱の中身が人食い箱であるか、そうでないかをかなりの確率で当てることができるのだ。
 もちろん、腕のいい魔法使いなら、インパスという呪文で宝箱を開けることなく中を調べることが可能だ。フィースはそれを呪文なしで行う。もちろん、たまには外れるのだが、的中率はかなりのものだった。あらかじめ、モンスター入りの箱だと知って身構えていれば、戦闘で先手を取ることが容易になる。その点で、フィースは冒険に大きく貢献していた。
「礼を言われることじゃないよ」
「でも――あなたのおかげで大分楽をしていると思いますよ。感謝をするのは、当然ですわ」
 わざわざそれを告げに、こんな夜更けまで自分を待っていたらしい。お子さま二人――カイとリンはこの時間ならもう寝ただろう。一番体力がないくせに無理をして――律儀なことだ、とフィースは思う。しかし、悪い気はしない。
 メルツはフィースの心中など知る由もない。すぐに、無邪気に尋ねてきた。
「どうして、中身が分かるのですか?」
「勘で当ててる」
「勘、ですか?」
 意外そうに繰り返すメルツ。
「俺はさ、運と勘だけでここまで生き延びてきたようなもんだから。昔はいろいろ悪いこともして、命に関わる場面もいくつかあった。いつもギリギリなんだけど、その度になんとか切り抜けて――いや、何とかなっちゃうんだよな」
「悪いこと? 生き死にがかかるような?」
「……ああ、それを話したいわけじゃないんだ」
 生真面目な神職者には刺激の強い言葉だったようで、メルツが目を白黒させている。盗賊時代の悪さを箱入り娘のメルツなんかに教えたら卒倒するかもしれないと、フィースは心の内だけで苦笑した。過去の悪事については自分なりに精算してきたつもりであり、一緒に旅する仲間たちには詳しく教えてはいないのだ。
「たとえば、右に逃げるか、左に逃げるか、間違った方を選ぶと死が待っている――そんなとき、なぜかいつも正解を引き当てて、しぶとく生き残ってきたわけ。人食い箱も、それと同じだと思うんだ。どうしてかは分からないけど、間違わない。それだけなんだよ」
「それならば、それはフィースさんの実力なのですよ」
 メルツは顔をほころばせ、言った。
「実力? 運の良さも、実力のうちってこと?」
「運がいいとは、つまり、悪い選択肢を選ぶ確率が低い――言い換えれば、『勘』で、常にましな方を選んでいるということですよね。それはきっと、これまでの経験から、無意識のうちにどちらが安全なのかを判断して、フィースさん自身が選び取っているんです。その過程が自らの中で余りに自然だから、言葉で説明できないのですわ」
「そんなもんかねえ」
「きっと、そうだと思うのですが」
「そ、そう?」
「ええ。尊敬しています」
 きらきらした目でこちらを見つめている彼女に、うまく言葉が返せない。意外と押しが強いな、とフィースは認識を改めた。
 メルツは炎に目を向けた。照らされた横顔が、ゆらゆらと揺れて頼りなげに見える。
 彼女は、「実は」と小さく呟いた。
「とても羨ましく――いいえ、妬ましく、眺めていました」
「え?」
 思わず聞き返す。妬む、など、およそメルツには似合わない言葉だったから。
「君が俺を、妬むって?」
「いえ、そんなに深い意味はないのです。ただ、単純に、いいなあ――と。……正直に言いますと、運や勘で、私も――もっともっと、カイの力になりたいんです」
 確かに、彼女は旅のはじめこそ戦力外ではあった。しかし、めきめきと力を付けて、今では癒し手として旅には不可欠なほどの活躍をしている。とっさの判断で繰り出される補助魔法や、回復のタイミングの良さは目を見張るものがあるのだが、本人はそうは考えていないらしい。
「『運と勘』ってやつは、無意識なんだろう?」
「え、ええ」
「それなら、きっと君だって自分が分からないうちに役に立ってるんだよ」
「そう――でしょうか」
 そう返事をした声は、さきほどまでよりは明るかった。彼女は弱音を心の底に沈めるのが得意だから、わだかまっているものが沢山あるはずだ。そのうちのほんの少しを吐き出したにすぎないだろうが、果たして楽になれたのだろうか。
 やがて、お邪魔をしてしまって、とメルツは去っていった。

 ――その運と勘で、私も守って欲しいです、とか。
「……やっぱ、そんな都合のいい展開には、ならないか」
 一人残されて、フィースはこっそり呟いた。

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