催眠

「そろそろ起こしましょうか?」
 メルツの声に、リンはカイの寝顔をのぞき込んだ。
「寝てると可愛いね」
「起きてるときに言っちゃ、だめですよ」
 メルツは口ではそう言いながら、リンと顔を見合わせて微笑んだ。
 目の前には、地面に横たわり昏々と眠るカイ。彼がこうも油断している姿を晒すなんて、通常ではありえない。いつもは、隙も弱みも見せないのに――と、リンは複雑な思いでカイを見つめた。
 先ほどの戦闘を思い返す。
 カイはリンを跳ね飛ばし、身代わりに敵の呪文を受けたのだ。危ない、と声をかけたのでは間に合わないと、カイは判断したのだろう。ラリホーだったから眠りに落ちるだけで済んだものの、これが斬撃だったり、もっと強力な攻撃魔法だったりしたら――そう考えると、ぞっとする。
 リンの不安げな表情に気づき、フィースは笑った。
「リン、どうした?」
「カイ、私を庇ってくれたんだよ」
「こいつは庇ったとか思ってないさ。ものぐさなだけ。いちばん短く物事を終わらせるのには、それが必要だったってことだろ」
 リンが呪文を受けて先頭が長引くよりは、自分が引き受けた方が早い。カイはそう考えたはずだ。だから気にするなと、フィースは言っているのだろう。
「それに、カイだって眠いときは寝る。見てるだろ? 野宿で、カイが寝るところ」
「それは、そうなんだけど。……私、強くなりたいなあ。カイが何の心配もなく戦えるようにしてあげたい。それが、『いちばん短い』旅になるよね?」
 強くなって、どうするか。
 いつか自分を認めさせる。旅のはじめ、リンはそう思っていた。しかし、今は少し違う。
 リンにとってこの旅は、一人の少年の心を救うためのものになりつつあった。私の後始末をさせてしまえば、カイが自分自身と向き合う時間は減ってゆく。カイが、悔いのない旅ができるよう、頑張らないと。
 深い寝息が聞こえる。カイは、相変わらず眠り続けているようだった。
「カイ、疲れてるのかな。……休ませてあげたいね」
「こいつ、起こさない――ってこと? 町まで、まだ距離あるぞ?」
「背負えない?」
「……俺が?」
 リンは、フィースを見上げる。同時に、フィースには気づかれないようにメルツのわき腹をそっと突っついた。
「フィースさん」
 メルツも、リンと同じ声色でフィースを呼んだ。なぜだか、彼はメルツにはめっぽう甘い――いや、弱い。
 フィースは頭を掻くと、二つ返事で同意した。
「運べばいいんだろ、運べば」


 カイを背中にして運びながらも、フィースの歩調は普段と変わらない。その程度のことはできるよう、体を作ってきた。
 それでもできる限りカイを揺らさぬように気を使っている風を装いながら、ほかの二人から少し後ろを歩く。女性二人に引き離されたように演じつつ、フィースは背中に向かって話しかけた。
「お前、どこから聞いてた?」
「さっきだ」
「嘘つけ。……かなり最初のうちからだろ」
「さあ」
「どこまで計算してた」
「さあね」
 フィースは狸寝入りの勇者を地面に叩きつけてやろうかと思ったが、すんでのところで踏みとどまった。その代わり、精一杯意地悪く罵ってやることにする。そんなもので彼が心を動かすわけはないと知りながら。
「勇者のくせに、女と子供を騙しやがって」
「戦力の底上げは必要だろう。強くなる、と言わせたことは大きいぞ」
「話を逸らすな。……俺がここまでする必要はなかっただろ? 筋肉ばかりで重いんだよ、お前」
 無言で寝たふりをするのが、カイの答えだった。
 フィースは会話を諦めて、カイを背負いなおした。
 カイが、自ら攻撃を受けることで、リンやメルツの奮起を促した――のだとしたら。一時的に離脱することで、俺たちに話し合いの場を作らせたのだとしたら。
 ――まさか、な。
 もし事実なら、感心を通り越して呆れてしまう。かといって、カイに尋ねてもきっと答えない。考えても仕方ないか、とフィースはため息をついた。
「特別に運んでやる。みんなの好意だからな、休んだらいいだろ」
 やはり、返事はなかった。代わりに聞こえてきたのは、先ほどまでとは違う、浅い寝息。
「……嘘――じゃ、ないのか」
 どうやら、今度は本当に寝入ったようだ。
 フィースが無理やり首をひねってカイの顔を見ると、女性陣が盛り上がるのも納得のいとけなさ。まるで別人だな、とフィースは思った。人前で気を張っている反動が、意識がない間に出るのかもしれない。
 そろそろ、もう少し打ち解けてもいいんじゃないのか――俺はともかく、リンとメルツに――と、フィースは苦笑いした。素直ではないと知ってしまえば、こんなに素直な奴もいないのだ。
 それでも、今のように他人に体を預けて寝ることができるようになったのは進歩と言っていい。緩やかにだがカイは変わり始めている、フィースはその手応えを感じていた。
 ――目覚めたら、また『勇者』にならなくちゃいけないか。
 カイをできるだけ長く休ませてやるために、フィースはゆっくりと街までの道を進んでいった。

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