エルフ

 洞窟の最深部には、青い水をたたえた地底湖が広がっていた。
 仲間たちを岸から離れたところに待たせ、セアは水辺にしゃがみ込んだ。身を乗り出して覗いてみたが、湖底の様子は見えない。
「おい、落ちんなよ」
「大丈夫。気をつける」
「頼むぜ」
 カルムが、勇者様はたまにやらかすからな、と続けた。
 忠告を受け入れ、セアは立ち上がる。相当に深いらしい、ということだけはわかった。深みにはまると、まず浮き上がれないだろう。
 こんどは、グレシェの声がした。
「その、小さな島みたいなところに、何か落ちてるみたい。見てくれる?」
「わかった」
 セアは、グレシェの示した方を向いた。湖の真ん中に、ぽつんと浮かぶ島――岩、と言ってもいいほどのちっぽけな陸地があった。細いものの、人が歩けそうな道もついている。
 島にたどり着いたセアは、地面の上に薄汚れた包みが転がっているのに気づいた。白い布に包まれ、布の結び目を上にして水のかからない場所に落ちている。
 ――落とし物っていうよりは、忘れ物みたい。
 誰かが故意に置いたように、セアには見えた。拾い上げてみると、手のひらに乗る程度の小さなもので、そう重くない。手で確かめると、四角くて固い箱のようなものが入っているのが分かる。
「何だったの?」
 グレシェの声に振り向くと、ほかの三人が小島に渡ってきたところだった。
「謎の小包。……わざわざ置いておいたみたいに見えたよ。包みの上下も正しかったし」
「女物のハンカチみたいな感じだな。レースがついてる。……俺、開けていい?」
 セアから包みを受け取ったエイルが首をひねりつつも、結び目に手をかけた。ほどかれて元の形になった布は、確かにハンカチのように見える。それも、美しい刺繍やレースが施された、とびきり上等のもの。セアは女の子らしいものに縁なく育ったが、それでもその価値くらいは想像がつく。
「なんだか高級そうだね」
「なんで、こんなものがこんなところに落ちてんだよ」
「開ければわかるかもしれねえだろ? 邪魔しないでさっさと開けさせろよ」
 エイルがカルムに言い返す。そんなやりとりをしながらもエイルの手は動き続けていて、すぐに小さな木箱が取り出された。エイルはそっと蓋を開け、中身を皆に示す。
「きれい!」
 セアは、思わず声を上げていた。
 中に入っていたのは、宝石だった。
 美しくカットが施された貴石は、見たこともないほどに大きい。深みのある赤は、暗い洞窟の中にもかかわらず妖しい光を放っていた。
 セアはなぜだかめまいを感じて、慌てて頭を振った。
「きれいすぎて不気味だわ」
 グレシェはそう言って宝石から目を逸らす。セアも同じ意見だった。不思議な魅力は確かなのだが、うっとりと見つめているうちに、体から力が抜けていくような気がするのだ。
「これ、ルビーだろ? エルフのおばさんが何か言ってたぜ」
「ああ、逆恨みで村を一つ潰した人ね」
 カルムとグレシェの棘のある女王評に、セアとエイルは顔を見合わせて苦笑いした。
 エルフの女王の第一印象は、確かにいいものではなかった。人間嫌いになってしまったのは、自分の娘が人間の青年と駆け落ちして行方不明だから、という。
 同情はするが、だからといって何の咎もない村の時間を止めてもよい理由にはならない。逆恨みもいいところだ、とセアは思ったものだ。
 それはさておき。
 肝心のルビーだが、エルフのお姫さまが持ち出したきり、行方知れずだと聞いたはずだ。それがここにあるということは、どういうことだろう。
「お姫さまは、ここに来たことがあるのかな」
「エルフのお嬢様とお前は違うぜ、セア」
 カルムは呆れたように肩をすくめる。それもそうだ、とセアは照れ笑いした。腕に覚えがあるならともかく、か弱い女の子一人ではここまではたどり着けまい。
 グレシェはセアを庇ったのか、カルムをひと睨みして「うるさいわよ」とばっさり切って捨てた。そして、エイルに聞く。
「相手の男も一緒だったんじゃない?」
「当たり。……できれば、当たって欲しくなかったけどな」
 そう言って、エイルはため息をついた。
「何だそれ」
 エイルは箱の奥から何かを取り出すと、カルムに渡す。ルビー以外にも入っていたものがあったようだ。セアには紙切れのように見えたが、いったい何だろう。
 手渡されたカルムの方は、破かないように広げながらエイルに尋ねた。
「これは?」
「お姫さまからの手紙だよ。……遺書、ともいう」
「遺書?」
 カルムは目を丸くした。慌てて、手紙に顔を近づける。
 セアもカルムの隣に移動して覗き込む。古いものらしく書かれた字もかすれてしまっているが、そこには短い文章が綴られていた。

『お母さま、先立つ不幸をお許しください。私たちはエルフと人間。この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります アン』

 細い線の、女性らしい筆跡だ。細かく震えていなければそれは美しい字だっただろうに、線の震えは心の揺れを痛いほど表していた。
 グレシェがカルムから手紙を受け取り、読んでいる。
「ここで、相手の男と心中したってことか」
 カルムの声に、セアはあわてて辺りを見回してみたが、二人の亡骸らしきものは見あたらない。エイルがカルムの後を受ける。
「そうだろうな。……たぶん、この湖に」
 ――では、自分の足下に満ちているのは、二つの命を飲み込んだ水だったのか。できるだけ平静を装いながら、セアは水の中を目で探ってみる。しかし、分かるのは底知れぬ深さだけだった。
 不意に、グレシェの冷たい声が響いた。
「不愉快」
 グレシェは顔を上げると、手紙から手を離した。支えを失い、手紙は風のない洞窟の中をふわりと落ちていく。
 水に浸る寸前に、カルムが何とか拾い上げた。そして当然、怒る。
「おい、何すんだよ!」
「バカじゃないの?」
 グレシェは吐き捨てるように言った。半眼に開かれた赤い瞳が示すのは、軽蔑。そのまなざしと『バカじゃないの』は、カルムではなく、アンとその相手に向けられているようだ。
「お前、何を怒ってるんだよ」
「種族が違うから何? 死ぬなんて卑怯。逃げる覚悟も生きる覚悟もないのね。駆け落ちしたんなら最後まで生ききったらいいじゃない」
「おい」
「運命なんか変えちゃえばいいのよ」
 グレシェはカルムをまるで無視して言い終えた。その言葉が、セアの胸にちくりと刺さる。さだめに流されて女勇者をしている自分には、耳が痛い。
「落ち着け、グレシェ」
 下を向いたセアの背中から、エイルの声が飛んだ。
「足掻くことができる奴と、できない奴がいるんだ。そして、足掻いて運命変えられる奴と、変えられない奴がいる。俺たちだって覚悟を決めて魔王に足掻いてるところだけど、まだどっちに転ぶか分からないんだぜ。……責めるのは、酷だよ」
 柔らかい口調だったが、エイルらしからぬ硬い表情をしていた。昔から、エイルはよくセアをかばってくれた。それはこの旅に出てからも変わらず、いろいろな局面でセアは助けられている。
「わかってるわよ。……私だって」
 足掻いてるもの、と聞こえた気がしたが、気のせいだっただろうか。
 セアは聞き返そうとしたが、やめた。そもそも、彼女が何かを抱え込んでいることは、旅に加わったときから勘付いてはいたのだ。
 グレシェはカルムによく腹を立てているけれど、こんな怒り方をしたことはなかった。きっと、エルフの少女にまつわる何かが、グレシェの心を乱しているのだろう。グレシェがどうにもできずに足掻いている何かが、エルフの少女と重なるのだろう。
 自分にも、人に言えない悩みはある。そんな素振りは見せたこともないが、セアからするとずいぶん大人に見えるエイルやカルムにだって、心が沈むときはあるのかもしれない。
 いつかそれを見せ合って笑えたら、きっと運命も変わる。だから、まずは手近な問題から解決していこう。
「ルビーが手に入れば、こんなところに用はないよね。早く出よう。前に、進もう」
 微笑んだグレシェの元へ、セアは駆けていった。眠りから覚めた村で、自分の運命の欠片――父の消息――を拾うことになるとは知らずに。

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