会心の一撃!

 蟹の化け物の脳天に、リンの鋭い突きが決まった。甲羅が割れるバキッという乾いた音と同時に、何かが流れ出すような湿った音とが聞こえ、化け蟹はその場に崩れ落ちた。急所を狙った一撃のみで。

「リン、ありがとな」
 フィースはリンの肩を叩き、ねぎらう。年頃の女の子らしく、薄い。しかしながら、筋肉が無駄なく付いた肩回り。戦闘の緊張を引きずっているのか、未だ力が入っていて固い。
 普段はどちらかというと拳の重みよりも手数で勝負するタイプのリンだが、近頃は、先ほどのように鮮やかな一発もある。手強い敵も増えてきた中、その決定力に助けられることも少なくなかった。
「お役に立ててなによりです。……なんてね」
 リンは偉そうに胸を張った後、やっと肩の力が抜けたのか、照れて笑った。蟹を粉砕した拳を愛おしそうに――少なくとも、フィースにはそう見えた――さすっている。
「みんなの足を引っ張らないようにしなくちゃって思って。決まって良かったよ」
「それにしても、目の覚めるような一撃だったな。あれって、なんかコツでもあるの? できるなら、俺も真似したい」
「たまにだけど、『ここを撃てば勝てる』って感じるときがあるの。でも、どうしてかは分からなくて。だから、コツっていわれても教えられないんだ。ごめんね」
「そうか。残念」
「すごいですわね」
 フィースに代わって、今度はメルツが目を輝かせる。大きな瞳がきらきらと潤んでいた。
「聞いたことがあります。修練を積むと、対峙する相手の弱いところが瞬時に見えるようになると」
「え、そうなの?」
「リン、修行の賜物ですね」
 今度はリンがきらきらと輝く。
 思えば、リンの格闘に関する勘の良さは、旅がはじまるより前――カイと一対一でやり合ったときからすでに発揮されていた。最近の活躍は、武闘家としての才能に努力が追いついてきたからこそなせる技だろう。そうして得た力なら、秘訣だけ聞いたところで、フィースが真似しても上手くはいきそうにない。
「……そうだと、嬉しいなあ」
 無邪気に喜ぶリンに冷や水を浴びせるように、静かな一言が響く。
「いつも、今日くらい働いてくれると助かるがな」
 汚れた剣を手入れしていたはずのカイが、いつの間にかこちらに歩いてきていた。通りすがりに立ち止まり、三人の輪の外から、さらに言う。
「お喋りはほどほどにしろ。……俺は先に行く」
「そんな言い方ってないんじゃない?」
 すぐさま反論したリンを一瞥し、カイは言葉通りに去っていった。振り返ることはない。まるで何事もなかったかのように、速い歩調でいなくなる。
「ねえ、カイ!」
「まあまあ、抑えて。……要するに、ありがとうってことなんだよ」
「ありがたいって思ったなら、そう言ってくれればいいじゃない」
「あいつは、正直に物を言うのに慣れてないんだ」
 周りがそうさせてくれなかったんだろうな、と言いかけて、フィースは飲み込んだ。告げたところで、納得するリンではないからだ。
 幼い頃から、人々の期待と偏見に晒されてきた勇者カイ。ちょっとした言葉でも、言質を取られる――そして、貶められる。それを嫌い、いつしか口を閉ざすようになった。同時に、心もまた。
 好き、とは言わない。嫌いではない、と言うのが精一杯だろう。ありがとう、とは言わない。なぜ助けた、と言う。それくらいのことを伝えられるようになったことすら、進歩だった。
 頬を膨らませていたリンだったが、やがて眉間に皺を寄せたまま頬の空気を抜いた。
「私、行ってくる!」
「行くって、どこにだ?」
「カイに文句を言うの。……ありがとうって言ってくれた方が――いいのに、って」
 待ってよ、と叫びながら、リンは薄い肩を怒らせてカイの後を追っていった。少し経てば、一方的に文句を聞かせるリンの声がするはずだ。いつも通りの光景に、残されたフィースとメルツは顔を見合わせて苦笑する。
「リンは知ってるのかな、カイの弱いところ。あいつに――あいつの心の殻を一撃、なんてことはあるのかね」
「もっともっと修練を積めば――というのは、期待をしすぎですか?」
 そもそも、あのカイを相手に口喧嘩に持ち込むということそれ自体が偉業だとフィースは思った。ばっさり切り捨てられても食らいつくリン。食らいつかれてペースを乱すカイの姿を、旅を始めてからはよく見るようになった。
 リンのことだから、これからも諦めずに何度も攻め続けることだろう。急所に、何度も会心の一撃を叩き込めば、カイだって平気ではいられないはずだ。
「期待、したいなあ。リンがカイを一撃で倒すところ、見たいだろ?」
「ええ、それはもう」
 メルツは両手を合わせ、ぱちんと打ち鳴らした。そして、姉のような、母のような瞳で向こうを見やる。その視線の先では、案の定、リンとカイが何やら言い争っていた。
 フィースとメルツは待つことにした。リンが、カイの弱点を見破る日を。

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