侮れない役立たず

 明日はいよいよ十六歳の誕生日。旅立ちを前にしながら、レグルスはいつもと変わらず修行のため町の外に出ていた。たとえモンスターとはいえ、命を奪う経験を少しでも多く積んでおかないと、肝心なときに躊躇する恐れがある。レグルスは、そういう自分の脆さをよく分かっていた。

 街道から少し外れた獣道。その草むらの向こうで、動物が動く気配がする。緊張感と共に腰に下げた剣に手をかけ、レグルスは一気に茂みを掻き分けた。
「誰かいるのか!」
「いやっ!」
 ありえない黄色い声に、レグルスの方が驚いて一歩下がる。
 そこにいたのは、若い女性だった。落ち着いてみれば、草の匂いに混じって彼女の化粧の香りが漂っていた。大声を出す前に気付けば良かったと、レグルスは抜きかけた剣を鞘に収め、座り込んでいる女性に詫びる。 
「驚かせてしまって、失礼しました。……どうしたんですか、こんなところで」
「道に迷っちゃって、疲れて休んでいたの。アリアハンに行きたいんだけど、ここからどれくらいか分かるかしら?」
 厚いフードにマントを羽織っているが、その下からはおよそ旅人らしくない華奢な腕とヒールの高いブーツが覗いている。これでは疲れるはずだ。
 門出の前日くらいは修行を休めというルビス様の思し召しかもしれないと、レグルスは考えた。今日は彼女と一緒に街へ帰ろう。そう思い、彼女の前にしゃがみ込むと回復魔法を掛けた。
「これで、少しは元気になりませんか?」
「……ええ。なんだか、力が戻ってきたような気がする」
「僕はアリアハンに住んでいるんです。すぐそこですから、あなたさえ歩ければ一緒に帰りますよ。どうしますか?」
「え、ほんと? いいの?」
「ええ、ついでですし構いません。僕はレグルスといいます。よろしく」
 彼女に手を貸して立ち上がらせながら、名乗る。すると女性は驚きの表情を浮かべ、握った手に力を込めた。
「知ってるわ。アリアハンの若き勇者、レグルス。ほんとに、本物?」
「ご存じでしたか。本物ですよ」
 歩きながら兜を取り、刻まれた父と自分の名を見せると彼女は目を輝かせた。世界中の人がオルテガとその息子、レグルスを知っている。その事実が思わぬところで証明された格好だ。
 興奮した女性は、声を弾ませながら握ったレグルスの手を上下に振る。
「感激だわ。……明日、出発式があるんでしょう? それを見物しに来たんだ、あたし。自覚はないみたいだけど、あなた、世界でいちばん有名な十五歳よ」
「勇者なんて立派なものじゃないですから。成り行きで旅に出ることになってしまった、オルテガの次男です」
「なんか屈折してない?」
「屈折もしますよ、何年も勇者勇者って言われ続けちゃ」
 彼女はレグルスの表情を読み取ったのか、やっと手を離すと淡く笑った。
 兄の死によって、レグルスにスライドしてきた『勇者』という肩書き。その重さに耐えるため、自分を納得させるための気持ちの整理がまだついていないことは、母にも祖父にも言えていない。
 解放されて、レグルスにもやっと彼女を観察する余裕が生まれた。おそらく、誰が見ても美人だと言う部類の女性だ。フードからこぼれた長い髪は淡い金色。旅の空にもかかわらず、しっかりと彩られた唇が鮮やかな色を放っていた。ただ、その化粧の濃さには賛成できかねる。そんなに塗りたくらなくても充分に素敵なのに、逆に彼女の良さを隠してしまっているような気がする。
 そこで、レグルスは思い当たった。夜の街でこそ映える華やかさ。彼女は、いわゆる『遊び人』という職業の人間なのではないだろうか。
「あたしは、勇者になりたいけどな」
 妙に力を込めて、彼女は一人ごちる。
「どうしてですか?」
「世界を救ってみたいの。化け物をバタバタ倒して、世の中を平和にしたいのよね。……そうだ! ね、あたしも付いていっていい?」
「アリアハンまでですか?」
「ううん、魔王の城まで」
「ダメ! ダメです!」
「えぇ、どうして?」
「どうしてって、当たり前です。僕は戦いに行くんですよ。悪くすれば死んでしまうかもしれない、危ない旅なんです」
「あら、あなたが守ってくれるんでしょう?」
 艶っぽい笑みを浮かべ、女性は流し目を送る。そんなことには慣れていないレグルスは、照れて思わず俯いた。
「そんな――」
「かーわいいんだ」
「……困ったお姉さんだな」
 頭を掻いているレグルスを、「ちゃんと名前で呼んでね」と彼女は上目遣いで見つめた。
「あたし、ミラっていうの。よろしく、勇者さん」
「勝手によろしくされても困ります」
 その時、バサッという大きな羽ばたきと共にしわがれた鳴き声がした。
 旅に付いて来る、来ないの押し問答で賑やかにしているうち、知らぬ間に魔物が集まってきていたらしい。レグルスが羽音で気付いたときには、すでに二人は空を埋め尽くすほどの大ガラスの群れに囲まれていた。
「しまった、油断してた。……ミラさんは、これを構えて僕の後ろに隠れて」
 どう見ても戦闘力に欠けるミラに、持っていた皮製の盾を渡すと背中へと庇う。
 ざっと二十羽。レグルスが一度に相手にできるのは、頑張ってもせいぜい五羽程度。これだけの数では、まったくの無傷で戦い終えるというわけにはいかなそうだ。多少痛い目に遭うのは覚悟して、レグルスは剣を抜いた。
「あたしも手伝うわ」
 ふらふらと盾を持ちながら、ミラはレグルスの脇から魔物に向けて片手を差し上げた。魔法の構えのつもりなのだろうが、守ってくれるんでしょうと言ったくせに出てくるのだから本当に困ったお姉さんだ。
「ちゃんと隠れててくださいよ」
「大丈夫、大丈夫。……じゃあ、えーっと、何にしようかなぁ」
 相変わらずなミラの態度。しかし、レグルスが半ば呆れつつミラを横目で見ると、彼女の瞳は燃えるような怒気に支配されていた。媚びた流し目をしていたのと本当に同一人物だろうかと疑いたくなるくらい、強い光を湛えて。
「ギラ!」
 次の瞬間、凄まじい熱波が彼女の両手から放たれ、魔法の反動でミラは後ろに吹っ飛んだ。
 レグルスは、熱を避けるように自分のマントで炎を遮る。炎の帯が収まった頃には、魔物たちは跡形もなく消し飛んでいた。
 慌てて駆け寄ると、転がったミラを助け起こす。
「ミラさん、もしかして魔法使いなんですか?」
「違う違う。……や、やだなぁ。あたしはただの流れ者の遊び人なの。さっきのは偶然か奇跡」
 必要以上に否定するミラは、さっきまでの軽薄そうな顔に戻っていた。いや、演技を思い出したといったほうが正確かもしれない。
 大ガラスを一瞬にして骨まで焦がす威力は、ギラなんてレベルではない。潜在的に高い魔力を秘めた者、もしくは何らかの修行を積んだ者にしかなしえない攻撃。苦手とはいえ、魔法の修行を積んできたレグルスでさえも扱えないほどの力を秘めた呪文だった。それが偶然発動する確率なんて、万に一つも無い。
「ああ、びっくりしちゃった」
 わざとらしく自分の両手を広げると、彼女はいたずらっぽく笑う。この人は、何か隠している。
「繰り返しますが、危ない旅です。……でも、ほんとうに覚悟があるなら付いてきてもいいですよ」
「ほんとに? 男に二言はないわよね? もう撤回しても遅いわよ! 無効よ!」
 たたみかける彼女に、レグルスは微笑む。
「撤回なんかしませ――しないよ。……よろしく、ミラ」
「ありがと、レグルス。ね、レグって呼んでもいい?」
「どうぞ、ご自由に」
「じゃあ、早速。よろしくね、レグ!」
 言うが早いか、ミラはマントを翻すとレグルスに抱きつき、頬に口づけた。顔にも身体にも柔らかいものが当たったような気はしたが、あまりのことに何が起きたか分からず、レグルスはかなり時間が経ってから自分の頬を撫で、そして叫んだ。
「ちょっと待って! いきなり襲うなんて!」
「ほんのお礼。もしかして初めてだった? じゃ、ちょっと待ったら襲ってもいいの?」
「……置いていくよ?」
 意地悪そうに笑うミラに図星を突かれて、くるりと向きを変えたレグルスはアリアハンへと歩き出した。
 後ろから小さな足音が追ってくるのを確かめながら、レグルスは考える。自分に対する敵意はまったく感じなかった。それに、あの炎の威力。とりあえずは旅への同行を許したものの、ミラの目的は分からないし、すでに振り回されてばかりだ。しかし、当初考えていたよりはずっと楽しい旅になりそうな予感がする。
 レグルスの頬には、『お礼』の感触がいつまでも残っていた。そして心には、魔物を焼き尽くした直後の彼女の、怒りと悲しみに染め上げられた表情が――。

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