雷撃

 ゾーマの城の地下深く。
 傷だらけの戦士の体を、レグルスが支えていた。
「……父さん」
 魔物と戦い、今にも力尽きようとしている男を、レグルスは父と呼んだ。しかし、呼ばれた方はもう呼ばれたことすら分からないらしかった。流れ出る血と薄く開いた瞳、わずかに動いて何かを伝えようとする唇だけが命の証だったが、それももう長くは持たないだろう、とリゲルは見た。ここまで肉体から魂が離れかかっていると、自分の――賢者のザオリクですら効きはしないだろう。
 瀕死の男がレグルスに向けて発した言葉は、「旅の人」だった。
「アリアハンのオルテガがこう言っていたと――伝えてくれ。……平和な世界にできなかったこの父を――許してくれ……とな」
 男――レグルスの父、オルテガは、ごぼっという音とともに血の塊を吐くとゆっくりと目を閉じ、動かなくなった。
 レグルスはただ、静かにその屍を抱えている。
 やがてリゲルは、レグルスの体が震えていることに気付いた。はじめは小刻みに――それはだんだん大きな震えとなり、レグルスとオルテガを心配してしゃがみ込んでいたミラとスバルが、彼の体を押さえつけるほどの揺れになった。
「レグ!」
「どうした、レグルス!」
 二人が口々に叫ぶが、レグルスには届いていない。
「……父さん!」
 そう語りかける声も、彼らしくもなく震えている。どんなに強大な敵を前にしても怖じ気づくことのなかったレグルスが。
「父さん、父さん、父さん! 僕だよ! 僕は――誇り高き戦士、アリアハンのオルテガの子! 勇者、レグルスだ――!」
 レグルスは泣きながら絶叫していた。しわがれて潰れた声が、なぜかよく通る。
 感情をこうも爆発させるレグルスを、リゲルは初めて見た。ほとばしる心がリゲルにも、他の二人にも突き刺さるかのように伝わってくる。
 父の死を前に、レグルスを覆っていた最後の殻がようやく割れたのだ。晒された裸のレグルスの心は、守らねば壊れてしまいそうなほどに無垢で、どこまでも真っ直ぐだった。
 どこか屈折していた『自称・急ごしらえの勇者』レグルスは、ようやくその本当の姿を現したのだ。


「でいん?」
「デイン、です」
 たしなめるようなリゲルの言葉に、レグルスは「合ってるじゃない」と言い返した。
「……神に選ばれし勇者だけが使えるという、特別な呪文です。なんでも、雷雲を呼ぶのだとか」
「来てくれないな、雷。やっぱり、ほんとの勇者の弟だからかな」
 レグルスは自分の手を見た後、へらりと笑った。
 リゲルは眉を寄せる。
 レグルスは戦士オルテガの次男なのだと、レグルス本人が言っていた。兄が亡くなり、自分が旅立つことになった、と。
 しかし、この魔王討伐の旅は流されて決意できるほど軽いものではないのだから、レグルスはアリアハンに――あるいは世界にその力を認められて今に至っているはずだ。勇者としての知力や体力、リーダーシップも申し分なく備えている。その彼が、デイン系の呪文を使えないとはどういうことか。
 リゲルは困惑しきった表情でレグルスを見つめる。
「なぜなんですかね」
「僕、本当に選ばれし者なのか自信がないんだ。ライデイン、だから使えないのかも」
「そうね。その通りかもしれない」
 金の髪の賢者、ミラはこともなげに言った。リゲルはレグルスを庇い、目をつり上げる。
「レグルスに失礼ですよ」
「いいよ、本当のことだから。……ミラ、じゃあ、僕はどうしたら勇者になれるかな」
「勇者らしくないとかふさわしくないとか、自分以外にいったい誰が決めるっていうの? あたしはこんな格好で、元は遊び人で学もなくて。でも、いまは賢者よ。名乗った者勝ちじゃなぁい?」
「じゃあ、いつか自分で『俺は勇者だ』って心から言えたら、雷を落とせるようになるかもね」
 レグルスはそう言って、やはり優しく笑っていた。その顔はまるで無邪気なこどものようで、リゲルもつい口元を緩める。
 例えデインが唱えられなくとも、レグルスは自分たちのリーダーであり、類い希なる戦士には違いない。そんなことなどいささかの瑕疵にもならないのに、レグルスには何かこだわりがあるのだろう。ならば、レグルス自身のためにもそのわだかまりを早く解消し、呪文を使いこなせる日が来れば――そう思っていたのだ。


 地面の下にいるはずのリゲルの耳に、遠くから雷鳴が届く。リゲルははっとして見上げたが、雷雲など当然見えるはずもなく、ただ魔王の城の天井が目に入るのみだった。
 レグルスの慟哭は細く長く、なおも続いている。

 ――まことの勇者となるための最後の鍵が父の死とは、残酷な運命を強いるのですね、神は。

 リゲルは初めて自分の神に恨み言を吐いた。

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