禁忌

 魔物の群れとの連戦で、予定していた旅程の半分ほどにさしかかった頃にはみな動きがだいぶ悪くなっていた。倒れてしまう前にと、セアは早々に野宿を決めた。

 セアとグレシェが眠りに落ちたのを見届け、エイルはカルムの隣、焚き火の跡を挟んで彼女たちとは反対側に寝そべった。
 カルムは疲れも見せず、寝転がったまま夜空を見ていた。
「セアの判断は正しいな。オネエサマ達があんな状況じゃ、残りの道のりはかなり厳しかっただろ」
 指で何やら測りながら、カルムが呟く。彼やグレシェは一人旅の経験が長いからか、星の位置で方角や距離を知る術に長けているのだ。
 カルムの言うとおり、特に疲労の色が濃かったのは、一度に複数の敵を仕留めるために攻撃魔法を使い続けたセアとグレシェだ。本来ならばエイルもそこに加わるべきなのだろうが、エイルはいまだ攻撃魔法を思うように操ることができない。彼女らに負担をかけているのが、エイルには心苦しかった。
「俺は旅を続けていいのかって、最近考えるようになった」
「ああ?」
 カルムは、心底不機嫌そうに「何ほざいてやがるんだ?」と聞き返した。
「今さらやめるもクソもねえだろ」
「俺がこのままじゃみんなの負担だろ?」
「そういやお前、今日も魔法で攻撃はしてなかったな。……『傷付ける方は苦手』ってやつで、うじうじと悩んでるってわけか 」
「いま気付いたのかよ」
「本当に、絶対に、攻撃魔法ができねえのか?」
「できない訳じゃない。魔法自体は出すことはできる。だが、暴発しちまう。自分の意志でコントロールできねえ」
「ふーん」
 カルムはしばらく考え事をしている素振りを見せたが、やがて「なあ」と呼び掛けてきた。
「お前、俺と初めて会ったときのこと覚えてるか」
「何だよ、それ」
 まるで年を重ねた恋人同士の会話のようで、エイルは眉をひそめた。
 しかし、カルムはいたって真面目に「いいから思い出してみろ」と続けて言った。カルムの真意が見えぬまま、エイルは言われたとおり記憶を手繰る。
 カルムとの出会いは、ルイーダの酒場だ。セアと二人で訪れた酒場は、カルムが誰彼構わず喧嘩をふっかけたせいで閑散としていた。セアが挑戦を受ける形でカルムと力比べをして、敗北したカルムはパーティーの仲間入りをした。
「ルイーダ女将の店で絡まれたのが、最初だったか」
「……あん時、お前、自分が何をしようとしたか覚えてるか」
「俺、か? 確か、カルムに一応回復魔法をかけて」
「一応ってのが気に入らねえが、それじゃねえ。……俺が、セアの体の発育を検分したときだよ。こんな風にな」
 カルムは寝転がったまま手を中空に伸ばし、何かを揉むような仕草をしてみせた。柔らかくてなかなか良かったぜ、とエイルに向けニヤリと笑う。途端に、エイルの表情が強張った。
「てめえ――」
「おい、待て。それだ」
 カルムの指は、今度はエイルを指差した。カルムはもう笑ってはおらず、彼にしては珍しいほど真顔でエイルを見つめていた。
「あの時もそんな面だったな。……思い出せるか?」
 カルムがセアに襲いかかったのを目の当たりにし、頭に血が上って冷静さを失った。今になって思い返せば物騒きわまりないが、カルムに向けて手をかざし、そして――。
「……あ!」
 つい、大きな声になった。エイルは慌ててセアやグレシェの方を窺うが、起きた様子はない。
 カルムは、エイルに向けたままの指でくるくると渦巻きを描いてみせた。
「あれは、バギだろ」
 確かにそうだった。
 セアを抱き竦めたカルムに対し、エイルの腕は知らず風を起こしていた。そして、セアが解放されたのを見て、自らの意志で収めることもできた。ただそれは、こうして冷静に丹念に思い出さねば気づかなかったほど、エイルの意識の外にあった。
「俺は――何も考えられなくなって」
「違うな」
 何が違う、と言いかけたエイルに、カルムはエイルの向こう側を指し示した。その先で、眠るのは――。
「お前が考えてたのは、たった一つだ。頭ん中がそいつで一杯になって、それ以外のことが考えられねえくらいになりゃあ、上手くできんじゃねえか」
「……そう、か?」
「なんだったら、俺とセアの仲のいいトコ、また見せつけてやるぜ?」
 エイルが突っ込む前に「俺はもう寝る」と言い残し、カルムはこちらに背を向ける。間もなく、宣言通りに深い寝息が聞こえてきた。
 グレシェにもカルムと似たようなことを忠告された。自分のなすべきはただ一つなのだと、頭では解っている。ただ、心が邪魔をする。
 何も考えずに魔法を撃つ。セアのことだけを考えて、他のことなどすべて頭から追い出して、闘う。今はまだ、それを待つしかないのだろうか。
「……エイル?」
 突然セアの声がして、エイルは身を固くした。
 ――セアはいつから起きていたのだろうか。今、目覚めたのならばよいが、もしやカルムとの話を聞かれてはいなかっただろうか。それは――禁忌だ。
 エイルは息を殺す。すでに返事のタイミングは失してしまっていたし、この場を波風立てずやり過ごすのが得策だろう、そう考えたのだ。彼女のことだ、エイルが魔法を使わない原因に自らの過去が絡んでいることなど、すぐに気付くだろう。この苦しい旅のさなかに、余計な気を使わせるのは避けたかった。
「起きて――なかったの?」
 セアは独り言のように呟く。エイルがなおも身じろぎもせずにいると、やがてセアは再び寝入ったらしく、辺りは静寂に包まれた。
 エイルも皆に倣って目を閉じる。しかし、胸がざわついて眠れそうになかった。

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