しゃべる馬

「もしもし、お兄さん」
 スーの村の外れ、草の萌える広場で、優しげな男の声にレグルスは振り返った。
「落とし物ですよ。その革袋、あなたのものでは?」
 確かに、数歩戻ったところに小さな袋が落ちている。それはレグルスがいつも常備薬――薬草や毒消し草の類をまとめて入れていたものだった。ここでなくしてしまったとしたら、いつか大事なときに困り果てていたことだろう。
 袋を拾い上げて懐にしまったあと、レグルスは声の主に礼を言おうと、辺りを見回した。しかし、無人の原っぱには馬が一頭たたずんでいるだけで、人影はない。
「今の声は、どなただったのでしょうか。どうしても、お礼が言いたいんですが」
 口に出して呼びかけると、馬が不意にこちらに視線を向けた。馬はゆっくりとレグルスに歩み寄り、その目の前で立ち止まる。
「まさか、君が教えてくれた――わけ、ないよね」
 苦笑いで語りかけたレグルスに、馬は頷いてみせる。
 ――この馬、人の言葉を理解しているんじゃないだろうか。
「君は、僕の言葉が分かるの」
 再び頷いた馬。レグルスは、重ねて尋ねた。
「さっき、僕に落とし物を教えてくれた人を知らないかな?」
「……それは、わたしです」
 馬は、ためらいがちにそう答えた。


「僕はレグルスといいます。……大事なものだったので、助かりました。教えてくれてありがとう」
「わたしは、エド。……見ての通り、喋る馬です」
「どうして喋れるの?」
「わかりません。生まれたときから、なぜか人間の言葉を理解できまして。喋ることも、会話を聞いているうちに、自然に覚えました」
 エドは馬とは思えぬほど流暢に人語を操ったが、最後に馬らしくブルルル、と鼻を鳴らした。
 レグルスはこの旅の間に何度か、人の言葉を使う生き物を見ていた。あるものは魔物に憑かれていたり、またあるものは魔王によって動物に姿を変えられた人間だったりしたが、エドは『生まれつき人の言葉を解することができる馬』だったらしい。広い世界だ、そんな生き物がいてもおかしくない――レグルスは、そう考えた。
「喋るの、上手だね」
「どうも。……レグルスは、随分と変わったヒトですね」
「君に言われたくないなあ」
「ごもっともですが。口を利く馬が恐ろしくないのですか」
「別に恐くはないよ」
 エドが、首を傾げた――ように、レグルスには見えた。
 エドの言うとおり、変わっていると言われればそうかもしれない。おそらく周囲の普通の人間とは違う――少数派の方になるだろう。しかしレグルスは、自らの持論が間違っているとは思っていない。
「むしろ、意思疎通ができるっていうのは、いいことじゃないのかな。それに僕は、そういう不思議なことは、『たまにある』って思ってるから」
「……ごく普通に受け入れられることに、慣れていないもので」
 エドは眼を伏せて、ぽつりぽつりと語り出した。
「わたしは、生まれたときからこんな風に――特殊でしたから、人からは気味悪がられるし、仲間である馬からも距離を置かれているんです。だから今も、ここに独りでいるわけです」
「……そっか」
 レグルスはエドの鬣をそっと撫でた。びくりと体を震わせたエドが、不憫でならなかった。
 ――打たれると思ったんだな。
 そんな些細なしぐさにさえ、これまでの迫害が滲み出るのだ。
「すみません、あの――つい――」
「気にしないで。……大丈夫。僕はあまり力にはなれないけれど、君に酷いことはしないから」
 レグルスはただ優しく鬣を梳き続け、エドもされるがままになっていた。
 生まれたときから特殊、といえば自分もそうだ、とレグルスは思った。遠巻きに眺める周囲の人々を横目に、しかし表面上はちやほやされながら育った。異質なもの、特別な血と言われ続け、今だって普通ではないこと――魔王討伐――へ向かっている。
 そこだけが、エドと自分の違い。旅に出ることで、周りの皆は自分を受け入れてくれたから。
 ――もし、自分が『勇者』ではなかったら、エドのように孤独に過ごしていたかも知れない。
 そう気付いたら、とても他人事とは思えなかった。
「僕、自分がエドに似てるって思ってさ。僕にとっては、人も魔物も馬も、外見とか種族とか、そういうのはあまり関係ないんだ。要は中身で――孤独な人間だっているし、心次第では恐ろしい生き物に変わってしまうこともあるから」
「レグルスは、ひとりぼっちじゃないように見える。……あれは、お仲間でしょう?」
 エドは再び鼻を鳴らした。彼の鼻先が示した方には、パーティーの皆が立っている。村での用事を終えて、レグルスを探しに来たらしかった。彼らへの後ろめたさを感じながら、レグルスはつい本音を漏らす。
「仲間でも――仲間だからこそ、言えないこともたくさんあるから」
「勝手に孤独になってはダメです。まず、お話してみたらいいのではないですか」
「……恐いよ」
「わたしも、さっきあなたに呼びかけたとき、とても恐かった。でも今は、話しかけて良かったと、思っている」
 エドはそう言って、レグルスからすっと身を引いた。
「優しくしてくれて、嬉しかったです、勇者レグルス」
「知ってたの?」
「今、お仲間を見て、初めて気付きました。……ならば、何かお役に立たなくては」
 エドは何か思案しているようだったが、やがて「そういえば」と口にした。
「もし、乾きの壷を見つけたら、西の海の浅瀬の前で使うのですよ――と、聞きました」
「乾きの壷?」
「この前、人間がそんな噂話をしていたのです。浅瀬に壺を収めれば、新たな道が開けるとか、なんとか。……不思議な話だと覚えていたのですが、わたしにも、いったい何のことだか。勇者様なら知っているかと思いましたけれど、役に立たないようなら忘れてください」
「ううん、ありがとう。忘れないよ。……絶対忘れないから。また、来るよ」
「はい。……では、また」
 レグルスはエドの背を最後にもう一度だけ撫でたが、今度はエドもびくびくせずにそれを受け止めた。
 ――僕も、さらけ出さなきゃいけないのかな。
 そんなことをふと思いながら、レグルスは仲間たちの方へと駆け出した。

-Powered by HTML DWARF-