神に仕える者

「首席が子守りとは」
 アリアハン城の跳ね橋の上で、メルツが初めて聞いた『勇者』の声はそんな言葉だった。今日、この時のために辛い修行と勉強の日々に耐えてきたというのに、初対面からで皮肉を浴びるとは。いや、きっと彼は虫の居所が悪いだけに違いない。だって、彼はあのオルテガの一粒種、生まれながらの勇者なのだから。
 メルツの父は聖職者で、メルツ自身も進むべくして神学校へと入り、そしてカイの言うように首席で卒業した。そのかつてない成績に白羽の矢が立ち、勇者の補佐を命じられたのも周囲は当然だと見ていたが、元来器用ではないメルツは影で努力することを忘れてはいなかった。自分は天才ではないと理解しているからこそ、栄誉に見合った努力は重ねてきたつもりだった。――僧侶としての能力については。
 ――深く考えるのはやめよう。
 世界の命運を託された少年をこれから自分が助けていくのだ。なんと名誉なことか。メルツは内心の動揺を極力表に出さぬよう、最大限の注意を払いながら答えた。
「子守りだなんて。……アリアハン王の勅命によりあなたを補佐することとなりました、メルツ・タ−ウェルです。長旅になると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「ご苦労なことだ。」
 オルテガの息子、勇者カイは漆黒の瞳でメルツを一瞥すると、すぐに視線を外した。決して冷たい眼差しというわけではないが温かさはまるで感じられない。ただ、黒く凪いでいるのみだ。
「俺は酒場に行く。来たくなければそこにいろ、首席」
 自分のペースを全く崩さず、カイはそう言うとまとめた荷を担いで城門へと歩き始めた。置いて行かれそうになり、メルツも慌ててその後を追う。
「カイさま、お待ちください!」
「敬語はやめろ。カイ、でいい」
「は、はい」
 歩きながら声をかけてみたものの、一刀のもとに切り捨てられる。まだ旅も始まっていない、それどころか彼と出会って数分しか経っていないはずなのに、疲労感がどっと押し寄せてくるのが分かった。戦いへの準備は充分にしてきたが、この偏屈な勇者と付き合うための方策など持ち合わせていない。
「あの、どうして酒場に」
「本気で聞いているのか?」
「……すみません」
 アリアハン生まれ、アリアハン育ちで外は見たことがない。それどころか、街中を歩くことさえ少なかったメルツには知らないことが沢山あった。こわごわ勇者の横顔を盗み見ると、彼の目には、今度ははっきりと冷ややかな光が宿っていた。それでやっと、普段のカイの瞳は冷たいわけではなく、無表情なのだと思い至った。
「酒場には人が集まるものだ。……知り合いが一人、そこで合流する予定だ。そいつに旅する上で必要なことを説明してやってくれ」
 振り返りもせずにそう言い捨てて、彼はさらに歩を進める。
 命じられたのは確かだけれど、旅立ちを決めたのは自分自身だ。果たすまでに何年かかるかも分からぬ長旅、ここでくじけるわけにはいかない。
 メルツは大きく深呼吸をすると、思い切って叫んだ。
「カイ!」
 カイは初めて立ち止まり、メルツにその鋭い視線を飛ばした。メルツは少々ひるんだものの、彼の目にわずかながら波紋が浮かんでいるのを見て取り、すぐに安心する。
 十六年もの歳月に、いったい何がカイを一匹狼にさせたのかは想像も付かない。しかし、苦難を分け合おうという仲間を――友人を得るような人間らしい面だって持っているし、予期せず名前を叫ばれれば驚きもする。カイは『勇者』である前に人間であって、十六歳の少年なのだ。それさえ知れば、そんなに怖くはない。
「……私の無知はお詫びします。でも、最初からそう言ってくだされば分かりましたのに」
「敬語はやめろと言ったろう。俺には俺の考えがある。早く慣れろ」
「あ、はい。ごめんなさい」
「分かっただろうが、俺は優しくない。きっと体力よりも精神力がすり減るぞ。それでも覚悟が揺るがないなら来い、メルツ」
「はい!」
 初めて名を呼ばれたことにメルツが気付いたのは、やはりあっという間に踵を返したカイの背を慌てて追いながらのことだった。

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