花暦

ヒマワリ

 体育の授業の途中、グラウンドから屋内の水道へとやって来ると、寺内さんがいた。
「楢山くん。……男子はサッカーじゃないの?」
「うん。口の中まで埃っぽくなってさ、うがいでもしようと思って」
「私は、ちょっと休みたくて。まだ打順が遠いから」
 寺内さんの唇は濡れていた。出番がないうちにと、水を飲みに来たのだろう。
 今日の女子のメニューはソフトボール。球技大会が近いため、夏休み明けの体育はその種目から選んで練習に励んでいるのだ。
「九月だけど、日中はまだ暑いよね」
 寺内さんは、ずり下がるメガネを両手で上げた。多少鼻メガネ気味に作られたデザインなのだが、彼女はそれが気になるらしい。厳しい残暑で滲む汗が拍車をかけているのだった。
 しばらくの試行錯誤の末にやっとメガネがいい位置に収まったのか、寺内さんは手を下ろした。僕の目に気付くと慌てて外に視線を飛ばす。
 窓の外には花壇。ヒマワリが行儀良く並び、太陽の方を向いている。ただし、秋の気配が忍び寄ってきたこの頃、その頭は真夏よりも低くなり、しょんぼりしているように見える。
 寺内さんがぽつりと呟いた。
「秋のヒマワリって泣いてるみたい」
「夏の勢いが無くなって、下がってくるからさ」
「きっと、太陽が何か言ったの。ヒマワリを失望させるようなことを。それで傷つくなら、見上げなければいいのにね」
 寺内さんはたまに捻くれている。それは決して僕を不快にさせる類のものではなくて、むしろ心を引き寄せられるものだ。
 そう思えるのは、僕が初めて彼女を意識したのが泣き顔だったからだろう。きっとあれが寺内さんの本質で、それを覆う少しねじれた言葉は『自分』を守るための盾だ。
「それでも太陽に惹かれるんだね。目は逸らしても、顔は常に太陽を向いてる。……ヒマワリの花言葉は『憧れ』だよ」

 ヒマワリの花言葉は、憧れ、光輝、そして――熱愛。
 ――寺内さんはいったい何を見上げているんだろう。
 ――『力』を使ったら、また『本当の彼女』に会えるだろうか。

 僕は背中で組んだ手から、寺内さんに気付かれないように人差し指を立てる。窓から見えるヒマワリたちがゆっくりとこちらを向き、眩しい山吹色を見せつけるように顔を上げた。
「花言葉、知らなかった。そこまで深くは考えてなかったな」
 寺内さんは窓の外を見て、首を傾げる。
「向き、変わってない? 花も、上向きになったみたい」
「本当だ。……太陽と仲直りしたんじゃないの。それか、眩しすぎてまともに見られなかったとか」
 わざとらしさをできるだけ排除するよう気を使いながら、僕も相槌を打つ。
 寺内さんは自分の言葉を引用されて気恥ずかしくなったのか、僕を軽く睨んで口を尖らせた。しかし、すぐにヒマワリをまじまじと見つめ、「うん」と頷いた。
「よく分かんないけど、やっぱり――上を向いた方が綺麗だよね?」
 そうして再び僕の方に向き直り、にっこりと笑う。
 ずり下がったメガネからのぞいたむき出しの瞳。なぜか僕は、それを直視できなくなっていた。その代わり、グラウンドへと駆け戻って行く寺内さんの背中を、いつまでも見つめていた。

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