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前夜祭

「コンビニ弁当は旨い……旨い……旨い」
 文化祭のための資材の寸法を測りながら、ひたすら呟く俺。雄矢と小蒔が大道具を作りながら、俺を横目で見ている。
(ねえ醍醐クン。ひーちゃん……恐いよ)
(何をぶつぶつ言ってるんだ?龍麻は)
(なんかね、一人暮らしの寂しさを噛み締めてるらしいよ。言い聞かせないと、これから先やっていけないんだって)
(……不憫だな)
 ……聞こえてるっつーの。悔しくなった俺は、わざわざ大道具班の側まで近付いて叫ぶ。
「おーまーえーらーなあ、聞こえてんだよー!人が深刻に悩んでるっつーのに」
 すると二人は一瞬吹き出しかけたようだったが、あわてて立ち直り、平静を装って作業を始めた。
「……さ、さあ、続きやろっか、醍醐クン」
「……そうだな」
 いかにも取り繕った感じがして、ますます腹が減る。……いや、立つ。
「いま、アホらしって思っただろ!」
「悪い、龍麻。今手が離せないから、また後でな」
「ごめんね、ひーちゃん」
「雄矢、小蒔……後で覚えてろよ」
 それが、昨日の出来事である。

 今日の作業を終えた俺は、減った腹を抱えて桜ヶ丘までやってきた。晩飯は舞子と食べる、とあらかじめ約束していたのだ。懐と相談した結果、俺たちは今、いつものようにラーメンをすすっている。
「文化祭の準備中だから、みんな家じゃなくて学校で晩飯食うだろ?『コンビニ弁当もたまにはいいな。結構旨いし』なんて言ってるやつを見ると、腹が立ってさあ」
 俺は早速、昨日の不愉快な(おそらく雄矢と小蒔にしてみれば愉快な)一件を舞子にぶつけていた。舞子はこういう時、たいてい平和的解決法を俺に指南してくれる。彼女はいつも通りふわふわした口調で、相槌を打った。
「そうね〜。ダーリン、東京に来てから今まで、コンビニ弁当とラーメンで生きてきたって感じだも〜ん」
「……まあ、分かりやすく言うとそうだな」
 ちょっと不本意だが、だいたい当たっている。一度料理にチャレンジしたことはあったが、それはもう芸術的な作品が出来上がってしまったのだ。それ以来、もっぱら買い食い生活である。
「それでもさ、梅雨どきぐらいまでは旨いと思って食べてたんだよ。しっかし、さすがに夏休みに入って学校の購買に行かなくなってからはさあ」
「毎日、コンビニ弁当〜?」
 思い出したくもない、魔のローテーション。
「……と、マックとラーメンと……翡翠の家でたかってた。それだけがオアシスだったな」
「如月くんの料理以外は、あんまり健康的とは言えないかもね〜」
 財布には優しいが、圧倒的に野菜不足で俺の腹にとっては厳しい献立だ。結果的に切りつめたことになったおかげで、夏休みの娯楽費はかなり豊かになったのだが。
「腹がいっぱいになりゃあいいと思ってたからな、あの頃は」
「う〜ん。……じゃ〜ね〜、明日からは、舞子が夜のお弁当作ってあげる。文化祭が終わるまで〜、ね?」
「ホントか!? 俺、喜んで鈴蘭まで取りに行くぜ?」
 だって鈴蘭は女子寮があるんだもんな。憧れの女子寮、行かなきゃ損だろう。思わず顔がふにゃけた俺に、すかさず突っ込みが入る。
「ダーリン、何か下心な〜い?」
「……ちょっと、ある」
 ……と、左の頬に痛み。横目でみると、俺の頬をつねる彼女の背後に、何か得体の知れないオーラが漂っている。ミサから何か怪しい術でも習ったんだろうか……?
「ゴメンナサイ〜」
 身の危険を感じた俺が謝ると、舞子は晩飯を食ってなお細い腰に両手を当て、少し頬を膨らませて言った。
「もう。それなら〜、舞子が真神まで届けてあげる」
「え?俺はいいけど、お前辛いだろ?」
「ダーリンのためだも〜ん、平気〜」
 うわ、感動。
「嬉しいこと言ってくれるぜ。……よしよし」
「えへへ〜、もっと誉めて〜」
「よしよしよし」
 俺たちが『夫婦漫才』と呼ばれる所以は、どうもこの辺にあるようだ。

 次の日、真神学園屋上。
「頑張ったんだよ〜?」
 俺の目の前に置かれたのは、三段重ねの重箱だった。弁当箱も、このクラスの大きさになると一種の貫禄というか、威圧感が漂う。
「うーん……でもこりゃあ頑張り過ぎじゃねえか?」
 自慢じゃないが、俺がこんな重箱を見たのは正月のおせち料理以来だ。でもアレは、母さんが三日がかりで仕込んだやつだったしなあ。
「そ〜お〜? でも〜、舞子も食べるから大丈夫〜」
「だいじょうぶ……か?」
「まかせて〜」
 任せて、っつっても、彼女の胃袋の容積を考えると疑問が残る台詞のような気もするが。ま、せっかく作ってくれたんだし。楽しい気分で食べなきゃ、舞子に悪いよな。にこにこ笑っている彼女につられてポジティブ思考になった俺は、包みをほどきながら聞いた。
「何入ってんの? この中」
「それは〜、開けてのお楽しみで〜す。ダーリンの好きなモノ、たくさん入れてきたよ〜」
「そっかそっか。よし、開けるぜ」
「じゃ〜ん」
 間延びした効果音とともに俺がふたを取り、弁当が披露された。
「…すげえな」
 中身の質と量は、まさにおせち料理だった。彩りはきれいだし、揚げ物、煮物、野菜類……と、おかずの種類も多い。昨日までのファーストフード生活からすると大出世、例えるなら新弟子が横綱になったような気分である。卵焼きですら、何だか神々しい。
「うん! じゃ、食おう!」
「いただきま〜す」

(お、おい。こういうのは……その、俺はちょっと苦手なんだが……)
(やめた方がいいと思うわ。こっそり覗くなんて)
(しーっ! 気づかれちゃうでしょ。黙って黙って!)
(小蒔、お前も声でけえよ。しっかし、二人であれ全部食えると思うか? 男三人でもキツいぜ、あのサイズは)
(そうだね、いくらお腹減ってても、あの重箱じゃさすがにボクでも無理かな)
(ねえ……)
(……やめておけ、二人とも)
((うるさい!))
((……))
(そんなに嫌だったら戻りゃいいだろうが。お前らだって、アレが気になるからここにいるんだろ?)
(そうだよ。まだみんな作業中なんだから、戻った方がいいんじゃないの?)
((……))
(お前らも共犯だな。さ、おとなしく続きを見ようぜ)

 食しはじめて一時間。会話は尽きないし、楽しい……のだが。
(さっきから、食べてるのに減ってねえ気がするんだよなあ)
 俺は、自分の胃袋の限界が近いことを悟った。しかし、俺には十分すぎるほど旨いだけに残すのはもったいない。それに、何より舞子に悪い。もう食えない、と言い出せずに逡巡していると、パートナーが先に白旗を挙げた。
「……舞子もうお腹いっぱ〜い」
 敗北宣言。
「お前もリタイヤか」
「え〜、ダーリンももうダメ? どうしよう〜、余っちゃうね〜」
 残念そうな舞子。
「わざわざ作ってくれたんだし、残したくねえよな……。仕方ねえ、ホントは嫌だけど応援を呼ぶか」
 俺はおもむろに立ち上がると、大声で助けを呼んだ。
「そこのノゾキ4人組。手伝え!」
 京一と小蒔の声。
「えっ!」
「なにっ!」
 舞子が、丸い目をさらに丸くする。
「な〜に〜、どういうこと〜?」
「一時間も、よく我慢してたなあみんな。そろそろ出番だ、一緒に食べようぜ」
 校舎の出入り口の陰から、見覚えのある4人組が(多少申し訳なさそうに)姿を現した。
「な、何で気づいてんだよ!」
「ボク達のこと、知ってたの?」
 騒ぐ二人と、その後ろで足に視線を落とす二人。
「あのなあ。それくらい読めなくて、どうやってバケモノなんかと闘うんだよ。普段の成果は、こういうときにこそ出るもんだ。みんなまだまだ修行が足りねえなー」
 この忙しい時期、貴重なデートを邪魔された俺と舞子の視線が4人に刺さる。黙っていた舞子が、口を開いた。
「……ずっと、のぞいてたのね〜……?」
 いつになく怒っている。そのオーラに気圧された雄矢と葵が慌てて頭を下げた。
「す、すまん」
「ごめんなさい、高見沢さん」
 まさに、『普段の成果は、こういうときにこそ出るもん』である。
「後ろの二人は素直でよろしい。……ねえ、蓬莱寺さん、桜井さん?」
「……ゴメン」
「……悪かったな」
 しおらしく詫びる小蒔と、あからさまに乗り気ではなさそうな京一。
「お前らなあ……」
 俺が小さくくしゃみをしたのをきっかけに、早くも機嫌が直ったらしい舞子が提案した。
「ね、冷えてきたから〜、みんなで中で食べよ〜?」
 間髪入れず、京一が重箱に駆け寄り持ち上げた。
「よっしゃ! 待ってましたっ」
 雄矢が呆れて怒鳴る。
「京一、最初からそれを狙ってたんだな!」
「そりゃ一時間も見てるだけじゃ、腹も減るぜ。お前らだって食いたいんだろ? 特に小蒔なんかよ」
「もう! ほんっとに意地汚いんだから京一は」
「小蒔、それは言い過ぎよ?」
 もはや、俺と舞子のことは忘れ去られているようだ。やれやれ、と彼女を横目で見ると、舞子もこちらを見て少し困った顔をして言った。
「ねえダ〜リン? みんな〜、文化祭のお仕事は〜?」
 場の空気が固まった。

 にぎやかに校舎内に消えていく4人の後ろ姿を追いながら、俺は舞子に言った。
「ありがとな、うまかったよ。全部食えなくて悪ぃな」
「いいの〜。ダ〜リンが喜んでくれるなら〜。明日も、頑張るからね〜」
「無理はすんなよ? あと、限度を考えてな。ま、でも作ってくれたのは嬉しいけどさ。それに……やっぱ、飯は誰かと食うのがいいよなあ」
 アパートで、買ってきたものを一人で温めているとどうにも気が滅入ってしまう。だから、昨日のラーメンも今日の弁当も一緒に食えて本当に良かった。
「舞子も〜、嬉しかったよ〜。お弁当作るのも食べるのも〜、すごく楽しかったの〜」
 いつも騒々しい俺だからこそ、人一倍孤独が怖い。舞子は、それを分かってくれているんだろう。
「これから毎日、ずっと文化祭の準備だったら楽しいのになあ」
「それは〜、ダメ〜。舞子、楽しみにしてるんだから〜、文化祭〜。準備だけじゃつまんな〜い」
「そっか。じゃあ仕方ねえ、さっさと今日の仕事のノルマをこなして夜食だ!」
「わたしも〜、お手伝いする〜! さ、ダ〜リン、行こ〜」
「おう」
 舞子の手を引き、昇り始めた月を背中にドアへと向かう。

 闘いの中でのささやかな休息。ぞんぶんに楽しんでやるさ。


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