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そんな日常

 オレは、タバコの匂いが好きじゃない。義父も義母も吸わなかった。周りに吸う人がいなかったから、慣れないのだ。
(犬神先生が苦手なのは、タバコのせいじゃなくて生物ができないせいだけど)
 ほんと、好きで寿命を縮めてるヤツの気が知れないよ。本音を言うなら、もっと自分を大事にして欲しいってことだけど。
 二人で晩ごはんを食べて、片付けも終わって。オレの向かいに座って、食後の一服をしている男の顔を見ながらそう思った。……だけのハズ、だったのだが。
「好きで寿命を縮めてるヤツの気が知れないよ」
 思わず口から漏れてしまった。
「何だい先生、薮から棒に」
 村雨は、吸っていたタバコを口から離してそう言った。今日の彼はいつもの白ランではなく、珍しく私服でウチに来ている。渋い外見からすると、タバコを吸っててもまったく違和感はない。
「タバコ吸うな、って言ってんじゃないんだけど。どうして吸うのかな、と思っただけ」
「そんなんだからいつまでもお子様なんだよ、先生は」
 旨そうに煙を吐く村雨は、いつもより皮肉っぽい目つきでオレを見る。
 あ、馬鹿にしたな。オレがお子様なんじゃなくて、アンタが達観しすぎてるんだってば。
「匂いがだいっ嫌い、なんだよ。鼻とか喉とかに刺さるような気がして」
 相手へのダメージを期待しつつ、心底嫌そうに言ってやった。軽く受け流す村雨。
「コドモには刺激が強すぎるってコトか?」
 いつものことだが、全然こたえてない。むしろ、遊ばれてる。オレもいつもの通り、それを承知でムキになってしまう。
「子供じゃない! お前とタメだろ」
「本気で反論するあたり、まだまだ中学生ってとこだなぁ」
「なっ」
 オレの反応が予想通りだったらしく、村雨は声を殺してクックッ、と笑っている。もっとも、肩が震え、笑い声が漏れているのでそう頑張って我慢されても余計に腹が立つのだけど、それもこの頃は慣れて来た。
 ……どうせオレはお子様だよ。タバコの匂いが嫌いで、ブラックコーヒーが飲めなくて(これも以前村雨に笑われた)、精神年齢低くて、幼児体型で。オレはいつだって、村雨につり合うように頑張ってるつもりなのに。
 村雨は、オレがわざわざ彼のためだけに置いている灰皿(他の仲間は吸わないからだ)でタバコを揉み消した。
(お、今日は素直に吸うのやめたな)
 そう思った矢先、オレは予期せぬ一撃を食らった。
「そこが、可愛いんだけどよ」
 目を見開いたオレ。か、かわいい? ……そんな言葉を、彼の口から聞くなんて。
(初めて言ってくれたんじゃないか?)
 喜びと驚きで固まってしまったオレに、さらに追い打ちをかけるように。
「わっ! む、村雨……?」
 テーブルを挟んで、大きな両腕が静かにオレにかぶさった。オレを見て笑う、村雨。いつもの皮肉気なものとは違う、優しい笑顔だ。そして、ますます二人の距離が縮まる。照れくさい。恥ずかしい。そして、幸せだ。

「……先生」
しばらくそうしていると、抱き締められているオレの耳元で低い声が響いた。
「な……に?」
 完全にムードに浸っていたオレは、生返事で答える。
「タバコ臭いなら、もうやめとくぜ?」
 笑いをこらえた、村雨の声。
「……そう来たか……」
 どうやら、はめられたようだ。ちょっと悔しいけど、オレの負けか。
 鼻をひくつかせてみると、いい匂いがする。初めて味わう、今まで気付かなかった村雨の匂い。まるで包み込むような、安心できる温かさと優しさがそこにある。
「うーん。タバコの匂いは嫌いだけど、村雨の匂いは好きみたいだ」
「じゃあ、こうしてても問題ねえな」
「ちょっとだけだからな」
「そいつは、残念だ」
 心底無念そうである。やっぱり、下心ありだったのか?
 オレは、改めて釘を刺した。
「それ以上はぜったいダメ」
「……お見通しか」
「まあね」
 そして、また静かになる。オレと村雨の鼓動だけが聞こえた。
 これまで知らなかった、いい匂い。優しい笑い。心臓の音。いつも通りに、でも新しいことに気付いていく。そんな、オレたちの日常がまた過ぎて行く。


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