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雷電の夜

 机に突っ伏して眠っていた俺は、ガラスを叩く雨の音に起こされた。
 外は、土砂降りになっていた。
(朝からぐずついてたからな)
 口元を袖で拭いつつ時計に目をやると、午後8時。普段なら旧校舎で一稼ぎし終わっているところだ。黒い雲を引き裂くように、青白い光が空を走る。
「すげえ稲妻だな」
 傘は、ある。しかし、こんな日には傘を忘れた、あるいは雷が怖くて俺の助けを必要とする婦女子がいるはずだ。そう思った俺は、とりあえず葵、小蒔、ミサを捜して歩き回ってみた。が、時間が時間だからか校舎内には人気もなく静まりかえっている。
(よく考えりゃ、化け物と渡り合えるような女が「雷怖ーい」なんつって俺に頼るわけないよな)
 化け物どもと闘ってない、か弱い女の子。……だいぶ譲歩して、化け物どもと闘ってない(か弱い)女の子。
「心当たりはあるな」
 俺は、新聞部室に向かった。

 案の定、目的の部屋には明かりが灯っている。
「アン子いるか?」
 言いながらドアを開けると、定位置に新聞部長が陣取っていた。
「目の前にいるじゃないの。よく見なさいよ。……ったく、ノックぐらいしてよね」
「そりゃ失礼。まだ残ってたのか?」
 およそ色気のかけらも無いやりとりをしながら、俺は手近な段ボールに腰掛けた。どうも、俺と京一に対しては(特に)遠慮のない口利きになるらしい。
「真神新聞の編集してたの。今終わったところだけど。……ようやく、起きたのね」
「何だ、見てたんなら起こしてくれよ」
「あんまり気持ちよさそうによだれ垂らしてたから、起こすのかわいそうになっちゃって」
「格好悪ぃ。俺のクールなイメージがぼろぼろだな」
 アン子に見られたら、俺に明日はない。口止め料に何をおごろうか、と深刻に悩んでいると、彼女はさもおかしそうに笑い出した。
「あははは、そんなに悩まないでよ。ウソウソ、実際に見てたわけじゃないから。でも、口は袖じゃなくてタオルで拭った方がいいと思うけど」
 まるで探偵だ。俺はあわてて袖口をズボンにすりつけ、ごまかした。
「さすがアン子様、すごい観察力」
「職業柄よ。ま、例え本当だとしても大丈夫。誰もクールとか、そんな風には思ってないから」
「一言余計なんだよな……」
 語尾ははっきり聞こえないように飲み込む。この鋭さに助けられたことがあるのは確かだ。俺だってアン子の能力には本気で感心しているのだし、頼もしいと思っている。
「参りました」
 これは本音だ。
「ありがと。それより、何か用? あたし、そろそろ帰ろうと思ってたんだけど」 アン子は得意げに答えると、辺りを片付け始めた。
(待ってました)
 外はまだ豪雨。俺は、期待せずに聞いてみる。
「お前、雷は平気なのか?」
「何言ってんのよ。雨の日も嵐の日も取材に出かけるのがジャーナリストなんだから。雷なんか、怖がってられるもんですか」
「だろうな。期待した俺が馬鹿だった」
 すると、彼女は腰に両手をやって不審そうに聞き返した。
「は?」
「じゃ、俺も帰るかな。玄関まで、一緒に行くか?」
「わかった。片付けるから、ちょっと待ってて」
 アン子の帰途と俺の家は、反対方向なのである。ま、そこまで目の色変えても仕方ないし、今日は1人で帰ろう。

 照明の消えた廊下を歩くには、不本意ながら稲妻が頼りだった。階段を降りつつ、俺は思いついて聞いてみた。
「新聞できたら、今度はぜひタダで譲ってくれ」
「だめ」
「……」
「あれは、新聞部員の---今は1人だけど---血と汗と涙の結晶なの。それをタダで手に入れようだなんて」
「やっぱダメか」
「当たり前でしょ。それだけの価値はあると自負してるしね」
 血と汗と涙の結晶、というのは分からなくもない。事実、アン子がいろいろと犠牲にして新聞を作っているのを知っている。
(吹っ掛け過ぎじゃないかな、と思うのは俺だけじゃないだろうが)
「しっかし、すげえよな。取材に人生賭けてます、って感じでさ。そういうのって、いいよな」
 俺は、そこまでできる何かをまだ見つけていない。うらやましさを込めた俺の言葉に、アン子はうつむいて答えた。横顔が、少し寂しげだった。
「まあね。……でも、あんたたちだってすごいじゃない。人知れず沢山の事件を解決してるし、化け物を倒してる。あたしには、そんな力無いもん。だから、裏方に徹するの。最高の裏方に」
 あまり危険なことはして欲しくないけど、止めても無駄だろうしな。それに、止めに入るのは、本当に危なくなったときでいい。こいつには、限界まで走っていってもらいたいと思うから。
「そっか。助かるよ、ありが-------」

 その時、ひときわ眩しい稲光とともに轟音がガラスを震わせた。

「きゃああっ!」
「……落ちたな、今のは。…おい、どうした?」
 一瞬の停電の後、視線を窓から隣に戻すとアン子は頭を抱えて小さくなっていた。
「う、うるさいわね!ちょっとびっくりしただけよ!」
 取り落としたカバンを拾ってやったというのに、猛烈な抗議を受けてしまった。
「大丈夫か? ……なんだ、苦手なんじゃねえか」
 彼女を見下ろすと、強気の返事の割にちょっと涙目だ。
「ったく、可愛くねえなあ。素直に『怖かった〜』とか言ってくれりゃあいいのに。よしよし、この好青年が送ってあげましょう」
「誰が、好青年? ……ひゃっ」
 再び、雷鳴。
「新聞のネタにしようかな。『きゃああっ』だって、あのアン子さんが」
 平手を覚悟でからかってみたが、予想したような反応は返ってこない。
 間をおいて、アン子は怒ったように言った。
「……送ってってよ」
 調子が狂う。照れくささを隠そうと、俺は頭を掻きながら聞いた。
「任せとけ。傘は?」
 彼女も雰囲気を察して、目線を泳がせている。
「玄関に、置いてるわ」
「そうか」
「……」
「……」
「……ちょっと、何かしゃべってよ。間が持たないじゃないの」
「ほんと、可愛くねえなあ」
「何か言った?」
 何事もなかったように、いつものペースに戻ってしまった。
「……でも、少しもったいなかったかな」
「え?」
(俺が? アン子と? ……まさか)
「いやいや、何でもねえよ。さあ、これ以上天気がひどくならねえうちに、さっさと帰ろうぜ」
「責任もって送ってもらうわよ」
「了解」
「……そうそう、この前取材中におもしろいモノ見ちゃったのよ。聞きたい?」
「いくらかかるんだ、それを聞くには?」
「負けてあげてもいいのよ、あんたがさっき握ったばかりのネタと引き替えにね」
 アン子は、楽しそうに自分の得た情報を話している。自信を持ってやりたいことをやっている人間は、どうしてこうも眩しいのだろう。
(俺だって、夏までにはこいつに負けないような何かを見つけてやるさ)
 玄関まで来ると、照明のおかげでかなり明るかった。雨はピークを過ぎたのか、光に浮かび上がる雨粒は少なくなってきている。聞こえる雷鳴も、かなり遠くからだ。
「見ろよ、ちょっと小降りになってきたぜ」
「チャンスね。早いとこ帰りましょ」
「……そうだな。行くか!」
 俺はアン子とともに鳴り止まない雷の中に踏み出した。

 俺のやりたいことが何かなんて、まだ俺には分からない。だから今は、俺ができることに全力を尽くす。
 裏方が心置きなく飛び回れることを願って、せいいっぱい闘うんだ。


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