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星月夜(ほしづくよ)

 日本を発ってから3ヶ月、俺と先生は海外を旅していた。もちろん元手は俺の賭けでの稼ぎ。強運は尽きることもなく、二人きりの生活は順調に流れていたのだが。
 ここにきて、先生の初めてのわがままに、俺は驚いていた。
「旅行を中断してまで東京に行かなきゃならない理由は何なんだよ?
 いつもは俺に主導権があるのだが、今日の先生は強気である。
「今、調子が良くていい感じに勝ててるから、ここを離れたくない、っていうのは分かってるよ。でも、祇孔の誕生日に、東京でしかあげられないプレゼントがあるの」
 先生は、そう言って後ろを向いた。俺に、表情を読まれないようにするためだろう。
「そりゃあ、ありがてえことだがよ。いったい、何をくれるっていうんだ?」
「それは当日のお楽しみ、でしょ? 秘密、秘密」
 結局、ため息を一つ吐いて、俺は諦めた。賭けに負けたときにしか聞けない貴重なため息だ。
「分かったよ、そんなに言うんなら寄ってやってもいいがな。……ただし、くだらねえモンだったりしたら、貸しは高くなるからな?わかってるとは思うがな」
 振り返った彼女は、頬を膨らませて言った。
「何よ。人からプレゼントもらうっていうのにその態度は」
「せいぜい、期待してるぜ」
 一体何を企んでるんだか知らねえが、乗ってやるよ。

 日本に着いた時にはもう七日の夕方だった。先生に連れられ、俺はある公園にやって来た。公園といっても小さなもので、すっかり暗くなった今じゃあ人気も無い。
 そして、一面の星空の下に、俺たちは立っている。
「ねえ、知ってた? 東京にも、こんな夜空があったんだよ」
「……こいつは……」
 俺は、すげえ、という月並みな台詞を吐きそうになって、慌てて口をつぐんだ。辺りは暗く、星を見るにはうってつけの場所。草の匂いがするのは、足元の芝生からだろう。都会の真ん中にも関わらず、そこから見える空には広さがある。去年まで、ネオンの煌めく街に入り浸っていた俺には、驚きだった。
「すごいでしょ?」
 先生は、得意げに言った。
「やっぱり、七夕には星を見たいな、と思って。今まで誰にも教えなかったんだけど、祗孔は特別だから」
 自分の誕生日が七夕であることなんて、意識したこともなかった。周りからそう言われても、『そんなもん、ただの作り話だ』と、ずっと笑い飛ばしてきたのだ。
 この広い夜空に輝く無数の星の海で、恋人たちが巡り会う。そんなこと、奇跡でも起きない限り不可能だから。今だって、そんな伝説なんか信じちゃいない、が。
「こんな空なら、織姫と彦星、きっと会えるよね。良かったー」
 無邪気に天を仰ぐ先生を見て、少し考え直す。東京で暮らすたくさんの人々の中にいて、ひときわ輝いていた彼女と、俺と。巡り会ったのは、奇跡なのかもしれない。
「……どう? 喜んでもらえた……かな? これが、あたしからのプレゼントなの」
 俺が物思いに耽って、ずっと黙っているもんだから、不安になったんだろう。ためらいがちに、先生が俺に声をかけた。
「お店で買える物じゃなくてさ。心に残るものがあげたくて、わがまま言っちゃった。……振り回して、ごめんね」
 先生は、少しうつむいたまま小さな声でそこまで言い、顔を上げた。そして、いつもの笑顔を浮かべる。夜闇を照らすような、そんな顔だ。
「誕生日、おめでとう。いくつになっても、ずっと、好きでいるからね。……これが、二つ目のプレゼントだよ」
「……俺もだよ。ありがとな、先生」
 ただそれだけのことで、彼女は本当に嬉しそうに、勢い良く何度も頷いた。闘いの終わったころから伸ばし始め、肩下にまでなった髪がすずしげな音を立てている。思わず、俺も笑顔になっていた。
「最高の誕生日だ」
「そう? ホントか!?」
 本人が意識していないのに、未だに出てしまう男言葉。出会ったころの名残りだ。それは、まるで奇跡の証のように感じられた。
 俺は、後ろから彼女の肩を抱きこみ、両腕でぐっと引き寄せた。先生を抱えたまま、後ろに倒れ込む。
「何たって、センセイと一緒なんだからな」
「うわあっ」
 寝転がった俺の体の上に、更に先生が横たわっているという格好だ。息苦しくなるほど、草の香りがした。
「びっくりしたあ。あ、祇孔! 背中に土付いちゃうじゃない」
「こうなったら、空がもっと良く見えるだろ?」
「そりゃあそうだけど」
「構わねえさ、これくらい。……柄にもなく、七夕もいいもんだ、なんて思っちまった」
「ふふ。祇孔、なんか素直だよ?」
「こんな星の下じゃあな」
 圧倒的な夜空のもとでは、どんな飾りも不必要になる。俺は誕生日に、まっすぐに気持ちをぶつけるチャンスを先生からプレゼントされたのだ。彼女を抱き締める両腕に力を込め、俺は言った。
「なあ、先生。どこまでも俺と一緒に来いよ」
「行くよ」
 彼女は、短く答えた。俺にとっても彼女にとっても、誓いはそれで十分だった。一年に一度の記念日を、二人の瞼に焼きつけるために。


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