雪椿

フルコース

 週末は遠くの街を選んで遊びに行くのが、最近の定番になりつつある。見知った顔のない場所は初めのうちは慣れなかったものの、今では先生と一緒に新しい発見をすることが嬉しくて仕方がない。今日も、車で数十分ほどのとある街を、私と先生は並んで歩いていた。
「京都で昆虫採集、ですか?」
「ああ。珍しいのが採れたら報告する、と」
 先生は「ああまで気合の入った虫好きは、久々だ」と付け加えた。相変わらずのクールな表情は崩れていないが、感心と呆れが半々といったところか。
 若柳先生は、生物部の顧問をしている。部員数はそう多くないものの、個性的な生き物好きが集まったと先生は表現するが、要は『濃い』メンバーが揃ったらしい。その中の昆虫担当――先生がそう表現した――であり、修学旅行を控えた二年生が、冒頭のように言っていたというのだった。
「いいんですか? 自由行動で虫を採るって」
「まさか本気ではないだろう。『昆虫採集』で、旅行計画が通るとも思えないが」
 先生はそう言うが、去年の私の修学旅行のことを思い出すと、計画通りに回らない人たちも結構いた。教師にばれないような手は打ってあると、友達は自慢していたものだ。もっとも、私も回った場所が場所なので大きなことは言えない。
「でも計画は計画なので、ええと」
 みんなこっそり計画外の行動をしていましたとはさすがに暴露しにくく、私は口ごもった。先生は察して頷いてくれた。
「言いたいことは分かるぞ。……まあいい。そういえば藤倉は去年、どこを回ったんだ?」
「あの――いろいろです」
「歯切れが悪いな」
 先生は、わずかに眉を動かすと、私を見下ろした。
「言いたくない事情でもあるのか」
「いえ、そういうわけじゃ」
「そうか」
 しまった、と思ったときには遅かった。話の流れ上、これでは私が修学旅行でよからぬことをしていたように見えてしまう。
 しかし、一度拒んでしまったため、打ち明けるタイミングをすっかり逸してしまった。変に躊躇せずに、最初に白状してしまえば良かったのに。まさに、後悔先に立たずだ。
 先生は、変わらぬ口調で続けた。
「引率をするようになってから、観光はなかなかできなくてな。今の生徒たちはどんなところを見ているのか、聞いてみようと思っただけだ。気にしないでくれ」
 それでも、ちょっとだけ寂しそうに聞こえたのは、私の気のせいだっただろうか。
 私は小さな決意を固めると、上を向いて、先生の顔を視界に捉えた。
「あの、先生」
「何だ」
「地主神社、八坂神社、清水寺の音羽の滝、安井金比羅宮でした。修学旅行」
 なかなか言い出せなかったのは、このラインナップのせいだった。去年の今頃、私は蔦ちゃんに連れられて、願掛け行脚をしていたのだ。もちろん、願いはただ一つ。
 先生は、顔を隠すように眼鏡のブリッジを押し上げた。もしかしたら、笑いを堪えようとしていたのかもしれない。たっぷり一分くらい間が開いて、「縁結びのフルコースか」と一言だけ言った。
「なので、内緒にしておこうと思ったんです」
「御利益は――あったわけか」
 見上げると、先生はわずかに微笑んでいた。
「……はい!」
 先生の顔を見たら嬉しくなって、思わず笑ってしまう。いつか、神様たちにお礼を言いに、また京都に行こうか。そのときは、先生も一緒に、神前で報告してもらえるだろうか。
 私は先生を見上げたまま、頭の中で『自由行動』の計画を練り続けていた。