雪椿

週末はオレンジ色を買いに

「こっちの紺色なんかはどうだ?」
「このアイボリーはどうですか?」
 先生のマグカップを選びに来ているはずなのに、二人がそれぞれ手に取ったものはことごとく逆の傾向。同時に口を開き、私たちは顔を見合わせて笑った。
「藤倉は、明るい色が好きなんだな」
「先生は青とかグリーンがお好きなんですね。……確かに、みんなが先生に持ってるイメージは寒色系だと思うんですけど」
 クールに見える外見、無愛想な性格、加えて『雪』という名前も原因だろう。若柳先生に似合う色を生徒たちに聞けば、みんな青やアイスブルー、黒などを挙げるはずだ。
「俺自身もそう思っているんだが、違うのか? だいたい赤や黄色なんて、これまでの人生で身につけたのは運動会のハチマキくらいだ」
 先生はそう言って首をひねった。
 先生が赤いハチマキを締めている姿を想像して、私は笑いを噛み殺す。彼にも確実に学生時代はあったはずで、ハチマキだってごく当たり前の話だけれど、私にとっては先生は初めて会ったときから『先生』だ。もっと昔の話も聞いてみたくなって三十センチ上を見ると、逆に先生の瞳が待ちかまえていた。
「その顔、なにか良からぬことを考えていたな」
 口はへの字に曲げられていたが、その声は笑っている。慌てて否定しながら、私は特に目を引いた一つを手にとって示した。
「い、いえ、何でも。……私は、違うんです。先生の色は、これ……かな」
 それは、鮮やかなオレンジのマグカップだった。カップの縁は白、そこからクリーム色、黄色、そして深い橙色にゆっくりと変化する色調、底に向かってすっと細くなるスマートさが、先生にぴったりだと私には見える。
 案の定、先生は不思議そうに「どの辺が俺なんだ?」と私に尋ねた。
「これは、初めて会ったときの色なんです。先生が夕日を背負っていて、横顔がオレンジ色で――素敵でした」
「そうか。……では、これにする」
 しばらく沈黙した後、否定もせず、肯定もせずに先生は私からカップを受け取る。一瞬触れた手がいつもの先生らしくなく熱いのに気付いて見上げると、彼は柄にもなく顔を赤らめてそっぽを向いていた。
「先生?」
「……予告もなくそういうことを言うな。慣れていないんだ」
「慣れましょう。私、たくさん言いますから」
「勘弁してくれ」
 レジへと向かいながら、先生は肩をすくめてため息をついた。そのわりに嬉しそうな先生の足取りがおかしくて、私は気付かれないようにこっそり微笑んだ。
 きっと月曜日には、このカップにミルク入りコーヒーがたっぷりと注がれることだろう。オレンジ色の思い出がまた一つ増える予感がして、私の胸は躍っていた。