みどりのしずく

咎人の手

 もしも君が真実を知れば、卑怯だと軽蔑するだろうか
 それともあの日のように、ただ優しく抱きしめてくれるだろうか

 夜更けに、寝苦しくなって目が覚めた。
 おれの体の上には柔らかいブランケットと、厚さのわりに軽いキルトがかっちりと掛けられていた。嫌な予感に、暗闇の中で体を起こして隣を見る。もともと夜目が利くから、すぐに予想通りの光景――夜着姿で寒そうに体を丸めて眠る少女の姿――が視界に飛び込んできた。
 体が丈夫かどうかでいうと、おれとラグでは明らかに向こうの方がか弱いのだ。亜人は生まれつき寒さには強い。かえって暑さを感じ、こうして起きてしまう。
 おれのことは気にせず寝てくれと、あれほど言っておいたのに。
 そう心の中で呟くものの、いつものことだと気付いて思わず独り笑いがこぼれた。ふと覗き込んでみれば、葡萄色の瞳は閉じられているものの、それを隠す長い睫毛、そして小さく紅く色づく唇がかわいらしい。無邪気な顔で眠り込む彼女からは、規則的な寝息が漏れていた。
 この家で拾われてからの『いつも通りの暮らし』は平凡だけれど幸せと優しさに満ちあふれている。慣れすぎてはいけない、いつかは出て行かなくてはいけない、そう思いながらも、繰り返す日々に身をゆだねてしまうのだった。

 八十年前のことはよく覚えていた。
 一族がヒトとのやっかいごとを避けて流れ着いた小さな森で、慎ましくも静かに暮らしていた。当時の自分は小村では稼ぎ頭とも言える働き盛り――ちょうどフィスタと同じくらいの年頃で、畑を拓いたり狩りに出かけたりの日々を過ごしていた。そんな忙しさもあって、嫁のきてはそれなりにあったものの誰をも娶らず、毎日動き回っていた。
 ところが――ある日狩りから帰ってくると、村は火で朱く染まっていた。
 いっしょに狩りに出た男たちには村へ近づくなと声を掛け、自分は燃えさかる炎の間を縫い、ほとんど狂ったように家族や友人たちの名を叫びながら村中を駆けずり回ったが、誰からの返事もなかった。それが分かると、今度は村の外へと村人たちを探しに走った。
 ぼろぼろになりながらも人里へと下る道で追いついたのは、荷車を引いた人間たちと、その荷台にまるでモノのように並べられた仲間たちだった。それですべてを理解し、牙を剥いてまっしぐらに敵へと飛びかかった自分を青い光が包んで――。
 目が覚めてみれば、『お人形』としての暮らしが待っていた。村一番だったはずの背は小さく縮み、よく日焼けしていた肌には化粧が施された。せめて意識がなければ良かったのにと思ったのは最初だけで、近ごろのことになるといくら考えてもほんとうに思い出せなかった。心が死んでいたのかもしれない。
 光が溢れる世界に自分を呼び戻してくれたのは、新しい『家族たち』。中でも、八十年ぶりの温もりと一緒に暮らそうという言葉をくれたラグのことがたまらなく好きになった。

 冷えた夜気に彼女が小さく身震いしてベッドが少し揺れた。おれは苦笑いのまま、自分の体温で温まった夜具をラグにそっと掛けてやる。
 仮に彼女と本当の意味で家族になれるのならばいつまででも留まるのだけれど、そんな日が訪れるとは思えない。少なくとも今のままでは無理だ。この背中の封印と別れる日までは。思わず彼女の頬に伸ばしたおれの手は、惨めになるほど小さかった。落胆して手を引っ込めるのもまた、いつものことだった。
「……カヤナ?」
 自分の名を呼ぶのは、今にも再び夢の世界へと落ちていきそうな呟き。ともすれば閉じてしまいそうな目をこすりながら、ラグはこちらをぼんやりと見つめていた。
 どうにもやましいことをしていたような気がして、今の今まで見つめていた自分の手を慌てて背中に隠す。おれ――『少年』カヤナは照れたような笑みを浮かべ、できるだけ可愛らしく首をかしげた。
「お姉ちゃん、ごめん。起こしちゃった?」
「……ううん、気にしないで。あれ、私またブランケットを独り占めに?」
 彼女は自分を包む夜具をつまむと、「寒いでしょ、おいで」といささか申し訳なさそうにおれを手招きした。それは自分が掛けたのだと言おうとして、結局口を噤む。
「うん、ありがと」
 そして今日も誘惑に勝てず、おれはただそれに従うのだ。
 もう少しだけ。約束通り、おれの元の姿を彼女が取り戻してくれるその時まで、騙していてもいいだろうか。おれの小さな体をぎゅっと抱きしめてくれるラグの腕は、泣けてしまいそうなほど温かかった。