みどりのしずく

幸せ回路

「今回はどんなご依頼ですか?」
 ラグがそう尋ねると、師匠――フィスタは、いつも通りのいい笑顔を浮かべながら答えた。
「耳が聞こえなくなる道具を作ってくれ、とのことです」
 あれ、とラグは首を傾げた。耳が遠くなったお客様の助けになるもの、というならばこれまでにも何度か手がけたことはある。しかし、その逆というと初めて聞くケースだ。
「よく聞こえた方がいいものではないんですか」
 フィスタの眉がやや下がる。
「世の中は、聞きたくないことや知らなくてもいいことで溢れているものなんです。……ラグには、まだ少し早いかもしれませんが」
 この世界には、美しいもの、素敵なものもあれば、醜いものもある。生きてきた時間は少ないが、ラグにだってそれくらいのことは分かる。
「いえ。そういうことでしたら、承知しています」
 ラグが言うと、フィスタは「そうですね」と頷いた。戦争をくぐり抜けてきた孤児のラグの過去を察したのだろう。フィスタはすぐに元の話へと軌道を修正した。
「今回のお客様は、自分の『聞こえすぎる耳』についてずっと悩んでいらしたそうですよ」
「その、どれくらい」
 聞こえるんでしょうか、と訊くラグに、フィスタは「例えば」と半眼になった。
「ラグが、今、何を考えているかが聞こえるそうです」
「人の心が読める――ということですか」
「そう。声にしていないことまで聞いてしまうんですね。そういった暮らしに疲れてしまったとおっしゃっていました。……身に余るほどの大きな力は、その人自身を蝕むこともありますし、思わぬ災いを招くことにもなりかねませんから」
「聞こえない幸せ、ですか」
 力があることが、必ずしも幸せであるとは限らない。むしろ、その逆をラグはこれまで何度か経験してきた。何もなくていいから、平穏な暮らしがしたい――依頼者のことを思うと、やる気も出てくる。
「何か、お手伝いすることはありますか」
「実は、試作品はできています。と言っても、これまでの依頼品を反対の作用を考えただけですが」
 フィスタが引き出しを開けて取り出したのは、小さな棒状をしたものだった。
「耳に入れるんです。ちゃんと、実際の『音』だけを捉えるよう、細工をしてあります」
 手渡されたそれには、何かの紋章や魔法陣が細かく刻まれている。目を凝らしてみたが、ラグにはまだ扱えない高位の魔法がふんだんに織り込まれている。残念だが、ラグに手助けができる代物ではないようだった。
 フィスタは、こんなに複雑なものを短時間で、しかも一人で作り上げてしまうのだ。王室お墨付きの腕前は伊達ではない。
 大きな力は人を不幸にすることもあるとフィスタは言ったが、師匠に関しては当てはまらない、とラグは思った。フィスタは、自身の力をみんなの幸せに変える回路を備えている。彼なら、いくら大きな力を持っていたとしても、それに喰われることはないだろう。
「やっぱり、先生はすごいです」
 誉められることに慣れているのか、フィスタは「何も出ませんよ」とさらりと流してみせた。そして、珍しく神妙な表情になる。いつも笑顔の――胡散臭いほどに、とルーなどは愚痴るが――師匠がそんな顔をすることは、普段あまりない。
「ラグも、そしてルーも、いずれ私など軽く飛び越えていくでしょう。私の自慢の弟子ですからね」
「自慢」
「そうです。意外に親馬鹿なんですよ」
 フィスタは微笑み、依頼品である『魔法の耳栓』を再び引き出しへとしまい込んだ。それを見届けて、ラグは口を開く。
「今回はダメでしたが、次のお仕事はぜひお手伝いしたいです」
「次、ですか? ええと、次は」
 フィスタは、依頼のリストが書き込まれた台帳をめくる。その、終わりの数行をなぞっていた指が止まり、やがて顔を上げたフィスタは、なぜか複雑な表情を浮かべていた。
「今度は『恋をしても体が舞い上がらなくなる道具』ですね。……そういう体質なのだと、ご本人はおっしゃっていましたよ」
「……いろいろな人がいらっしゃるんですね」
 ラグは思わず、フィスタと顔を見合わせた。