幸せのチョココロネ

 朝から保健室で休んでいた俺は、もう十数分で昼休み、というところで教室へと戻ることにした。貰った薬が効いたのか、体調は上向きになっている。
 だったら、購買で昼飯を仕入れてから教室に戻ろうか。昼の購買は戦場だ。避けられる戦いならば、しないに越したことはない。
 購買に行くと、エプロン姿の女性がパンを並べていた。戦利品の配置である。
 パンを並べているのは、毎日通いで来ている近所のパン屋『クローバー』の店員だ。俺はここのパンはわりと好きで、昼休みにはいつも争奪戦に参加している。
 今日の店員は、歴戦の勇者である俺も初めて見る顔だった。社会人のくせに中学生のような印象。おそらく、大きな目が少し垂れ気味で、大人っぽさではなく愛嬌のほうに針が振り切れているからだろう。緩く巻いた長い髪を、今どき珍しいポニーテールにまとめている。こんなパンがあったような気がしたが、何ていうんだっけ。
 改めて、パンでいっぱいになったテーブルを見回す。俺の目は、くるくる巻いたチョコ入りのパンで止まった。
 そうだ、コロネだ。チョココロネに似てるんだ。
「いらっしゃいませ」
 コロネさんは――俺の中ではそう呼ぶことにした――手を止めて言うと、俺を不思議そうに見ている。授業中のはずなのにどうして生徒が、とでも思っているのだろう。
 ――さっさと買って立ち去るか。
「早いんですけど、パン売ってもらえますか」
「ええ、いいですよ。何にします?」
 少し幼い見た目の通りのかわいらしい声。コロネさんは営業スマイルを浮かべて応対する。やはり大きな目だ。まつ毛も長い。これはきっと、昼休みの戦士たち、つまりは男子生徒たちの間で噂になることだろう。
 他の奴らよりも先にコロネさんに接触できたことを喜びつつ、俺はへそに桜の塩漬けが乗った、丸いパンを指さす。あんパンだ。
 これください、と言おうとして、俺は首を傾げた。
 あんパンはたくさん並んでいたが、すべてこしあんだった。実は俺は、昨日も『クローバー』のあんパンを食べたのだが、中身は粒あんだった。なかなか旨かったから、今日もと思ったのだが――。
「粒あんのあんパン、今日はないんですか?」
 何気なく尋ねた俺に、コロネさんは目を見開いた。よせばいいのに、慌てて付け加える。
「あ、あの、俺、粒あん派なんで。昨日は粒でしたよね?」
 ああ、もう。何を言っているのやら。
「……すみません。今日はこしあんなんです」
「いや、なければいいんです。……あんパンください。あと、じゃがいものやつ」
 あんパンとじゃがまるちゃん――ジャガイモが丸ごと入っているパンだが、商品名は恥ずかしくて俺には言えない――の袋を受け取ろうとして、コロネさんと目が合った。
「あの、一つお聞きしていいでしょうか」
「俺に? 何ですか?」
「あんパンの中身が変わったこと、どうして知ってるんですか」
「え?」
「いつもは粒あんですが、事情があって、今日だけ急遽こしあんになったんです。でも、そんなことどこにも書いてないですよね。値札にも、『あんパン』としか」
「……す、少し前からこしあんじゃありませんでしたっけ?」
「昨日食べたのは粒あんだったって、言いましたよね?」
「そう、でしたね」
 さっき自分が言ったばかりの言葉で鋭く迫られて、答えに詰まる。口を滑らせたことを心底後悔した。苦虫を噛みつぶしたような顔でコロネさんを睨もうとしたはずが、目が笑ってしまう。真顔になっても、やっぱり可愛い。

 何を隠そう、俺は超能力者なのだ。
 サイコキネシス、テレパシー、サイコメトリーにクレヤボヤンス――超能力にもいろいろな種類がある中で、俺の能力はそのどれにも属さない自信がある。
 なぜなら、俺の力は『あんパンの中身が分かる』という、それはそれは大層なものだから。
 割らなくても中身を感じることができるのだ。餡を透視できると言えば分かりやすいだろうか。透視能力――クレヤボヤンスならぬ餡ボヤンス。
 こしあんか粒あんかなどは朝飯前で、例えばトライ餡グル――粒あん、白、ウグイスの小さなあんパンが三つ、三角形に連なって焼かれた『クローバー』の人気商品――だって、即座に中身を言い当てることができるのだ。
 どうしてそんな力を持って生まれてきたのかは分からないし、当の俺もそのわけを調べようとはしなかった。親は面白がりこそすれ不気味がることはなかったし、友人達にも打ち明ける機会など無かったから、俺はこの歳までひねくれずに育ってきた。
 もし、もっとかっこいい力だったなら自慢しただろう。あまりにもシュールな能力のため、それすらできなかったのが幸いしたのだと、今はありがたいとさえ思っている。
 餡ボヤンスは、俺にとっては得もない代わり、実害もない才能だった。
 ――今日のように、うっかり口に上らせてしまうことがない限りは。

 本当のことを伝えても、変人扱いされて笑われるのがオチだろう。しかし、コロネさんに嘘を言うのも気が引ける。
 例えば、餡が変わると他の店員に聞いたと言って、この場をやり過ごすことはできる。しかし、自分を守るための嘘に他人を登場させるのにはどうしても抵抗があった。それに、そんなことはコロネさんが店に帰って確認すればバレるのだ。
「あなたがなぜ中身を知っているのか、教えて欲しいんです」
 目をそらさずに、コロネさんは言った。顔に似合わずずいぶん厳しい攻めをしてくる人だ。
 ――何なんだよ。たかが、餡じゃないか。
 あんパンの餡ごときで、どうしてこんなにきつく問いつめられなくてはならないのか。しかも、年上の可愛いお姉さんから責められるなんて理想的――じゃなかった、男子高校生としては屈辱的だ。そう思ったら、だんだん腹が立ってきた。
「ああ、もう!」
 俺は半ば自棄になって叫んだ。コロネさんが、コロネごとびくりと震えた。
「俺、あんパンの中身が分かるんですよ。外から見ただけで、中身を当てられるんです」
「……ほんと、ですか?」
 彼女の顔は強ばっている。そりゃそうだろう。俺が彼女の立場だったら、直ちにこの場から走り去るところだ。
「ほんとです」
「本当に?」
 コロネさんは、半眼で俺を見つめた。明らかに信用していない顔だ。
 こうなりゃ徹底的にやってやろうじゃないかと、俺は『トライ餡グル』を指さした。
「たとえば、これ。順に、白、こし、ウグイス」
 俺の声に、コロネさんはトライ餡グルを手に取ると、パンを割って中身を確認した。俺が言ったとおりの順で、つやつやと光る旨そうな餡が現れる。いつもは粒あんのはずが、今日はこっちもこしあんだった。
 さらにもう一つ、その隣のパン。頭の中に、三色の餡のイメージが浮かぶ。どういう仕組みで中身が分かるのかは知らないが、閃く。
「こっちはこれがこしで、緑、白」
「当たり!」
 彼女は再び一つパンを割って、歓声を上げた。
「じゃあ、こっちは?」
「緑、白、こし」
「これも当たってる。すごいすごい」
「……あの、商品をそんなにしちゃっていいんすか」
「あっ」
 三つ目の残骸を手に握ったまま、コロネさんは我に返った。みるみるうちに、頬が赤く染まる。
 彼女は割ったパンを三つ――実際はトライ餡グル一つにつきあんパン三つだから、合計で九個だ――いそいそとビニールの袋に入れるとテーブルの下に隠した。おそらく、自分で買い取るつもりなのだろう。
「……それより。すごいんですね。本当に当てられるなんて」
「すごくはないと思いますけど」
「ごめんなさい。こしあんのことも、餡を当てられることも疑って」
 コロネさんが頭を下げた。頭の後ろのコロネも下を向く。
「いや、疑うのが当然でしょ」
 さっきから突っ込みを入れてばかりだ。
 喋りすぎたかと黙っていると、彼女はぽつりぽつりと語り出した。
「実は今日のあんパン、私のミスなんです。餡の発注を間違ってしまって。……でも、お店の人はみんな優しくて、朝だけこしあんでパンを作ってくれたんです。それが、どうしてお店に関係ないあなたにバレているのかと、不安になって」
 まさか、高校生にパンの中身を言い当てられるとは思わなかっただろう。
 周りには聞かれたくない話だからだろう、彼女は俺に顔を寄せて囁く。それが何ともくすぐったい。
「私のせいで餡が違うということ、他の生徒さんには内緒にしてください」
 ――どうしよう。
 またとないチャンスだし、何か条件でも付けてやろうか。例えば一度デートしてくださいとか、メアド教えてくださいとか。
「いいですよ。ただし、内緒にするかわりに――友達になって下さい。お友達からお願いします」
「お安いご用です」
 コロネさんは俺を見つめた。こんなにあっさりとOKが出るとは思わなかったから、かえって拍子抜けである。
「よろしければ、学校帰りにうちの店に寄っていただけませんか」
「『クローバー』に?」
「はい。……午後に焼く分からは粒あんになっているはずです。サービスしますから、ぜひ」
「わ、マジですか」
「はい、マジで」
 まじめくさった顔で、彼女はうなずく。ふざけているわけではないらしい。
 昨日の旨いあんパンと再会を果たすことができそうだし、その上、コロネさんともお近づきになることができた。今日はなんと良い日かと――もっとも、頭痛で保健室に行ったというマイナスの出来事がこの出会いを呼んだわけだが――俺がほくほくと喜びを味わっていると、コロネさんも幸せそうに言った。
「父と母も、きっと喜びます。餡を当てられる方と、お友達になったなんて」
 まるで子供のように無邪気に、コロネさんは顔を綻ばせた。この人、まさかほんとに字面通りの『お友達』だと思っている――んじゃないか? それに、父と母?
「父と母って」
「私、『クローバー』の娘なんです」
 コロネさんの父と母は、パン屋の店長とその奥様。つまり彼女は、パン職人の両親に、『あんパンの餡を当てられるお友達』として紹介する気なのだ。
 それは勘弁して欲しい。そもそも、コロネさんは俺の言う『お友達』が、『恋人どうし』の前に位置するものだと理解していないようなのだ。跡取り娘が、そんな胡散臭い男――自身で言うのもなんだが――をいきなり家に連れてきたら、親はどう思う?
 断固反対すべきだ。あんパンには確かに惹かれるが、避けられる戦いは全力で回避するのが俺の主義だ。
「あの」
「はい?」
 コロネさんは桃色の頬に潤んだ目で俺を覗き込む。それを凝視した俺は直撃を受けて凍り付く。
 ――だめだ。戦う前から、俺の負けだ。
「喜んで寄り道させていただきます」

 放課後の『クローバー』では、今度はコロネさんの両親によってトライ餡グルの残骸が量産されたのだが、それはまた別のお話。