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17 夕虹

「虹のことを忘れられるのが悲しかったの。あれが私が一番大事にしてる要と共通の思い出だったから。
 ……小さい頃は、私にたくさんのものを見せてくれる要が私のすべてだったの。一緒に遊んでくれて、どこにでも連れてってくれて、何でも上手にできる――私から見たら本当にすごい人だった。いつもいつも要の背中ばかり追いかけてたけど、それがいつの間にか好きだからっていう理由に変わってた」
 息がかかるほど近いところで声がする。
 俺にしか聞こえないその声は心地よい響きを伴って流れ込んでくる。遠くの喧噪は聞こえなくなり、全神経は春の声を受け止めることに注がれた。
 決して流暢ではなく、ところどころ言葉に詰まりながらも春の想いは少しずつ確実に紡がれていく。まるで、これまでコツコツと積み上げてきた春の十年間そのものを目の当たりにしているかのようだった。
「……私、その想いのおかげで少しだけだけど強くなれたと思ってるんだ。前に進む気持ちが自分にこんなにあったなんて、要を好きだって分かるまで知らなかった。ありがとう。……ほんとは、一人でも歩いていける私になれたら要に言おうと思ってたから、ちょっとフライングだけどね」
「こっちだよ、礼を言うのは。思い出せて良かった。こんな俺を好きと言ってくれて、いろいろなきっかけを与えてくれて、ありがとな」

 俺は、春との『幼なじみ』という間隔を壊すのが怖くて変化の無い日常を望んでいた。思い出さなければずっとこのままでいられると――そう考えていたのだ。
 そんな俺を、彼女が変えてくれた。
 春はたぶん知らない。俺も、彼女とまったく同じ想いを持っていること――知らぬ間に、春の背中を追っていたことを。
 春への気持ちがあったからこそ、俺も変わろうと一歩踏み出せたのだ。

「もう、一人で何でもしようと思わなくていいから。春の頑張りを否定するわけじゃないし、一生懸命な春が俺は好きだ。でも、何かあったら俺を頼ってほしい。俺と一緒に並んで歩いていってほしい。今はまだ心許なくても、いつか必ずそういう存在になってみせるから。……だから、俺と付き合って下さい」
「私でいいの?」
「そんなの決まってる。十年前からな」
「私だって、ほんとはもちろん決まってる。これからもドジ踏みつつ、でも無理せず適度に頑張るから……見守ってね」
 囁く声はやや震えていた。首元に温かい息がかかったのは、春が深呼吸をしたからだろうか。
 俺は春の華奢な背に、食い込むのではないかと思うほどしっかりと腕を回した。応えるかのように、俺の胸にかかる重みと柔らかな感触が増す。俺の首の後ろで交差する春の腕にも力がこもった。
「さっきの、なんだかプロポーズみたいだったね」
「それでもいいな」
「もう、またそんなこと言って」
 こんなささやかな笑い声すら愛おしかった。もう絶対に手放すものか、と強く思う。
「……今度はちゃんと許可を取るぞ」
「……どうぞ」
 やや体を離すと、春の頭がおずおずと俺の肩から胸のあたりへと移動してきた。そっと彼女の顎に手を当てると、俺を見上げていた瞳が静かに閉じた。


「さすが、お前の天気予報。大当たりだな。あ、見てみろよ」
 立ち上がって軒下から出ると雨はすっかり止み、ところどころ青空がのぞいていた。雨上がりの澄んだ空気を貫く光の梯子の中に、七色のグラデーションがくっきりと見える。その両端は遙か遠くへと伸びていてここからは見えない。
 春も隣で「本当だ、大きな虹」と言いながら、しばらく何事かを考え込んでいた。そして、指差したのは東の空の大きなアーチ。
「あそこまで行ってみない?」
「今からか?」
「虹が消えちゃう前に、宝探しに行こ。閉祭式、まだまだでしょ」
「自分からサボり宣言なんて――お前、変わったな」
 苦笑する俺に、春は「おかげさまで」といたずらっぽく笑った。
 閉祭式での出欠確認まで、まだ数時間はある。
「分かった、チャリの後ろに乗れよ。虹の思い出、増やすぞ」
 春の手を引いて、俺は走り出す。背後から弾んだ声が追いかけてきた。
「……好きだよ、要。今、すごく幸せ!」


 掘り出すのにずいぶん時間はかかったけれど、虹の根元には確かに宝物が埋まっていた。

 春が嬉しいときどんな顔で笑うのか、どんな歓声をあげるのか。あの日俺が知りたかったことが、今振り向けば分かる――。

【five-star 春編 おわり】
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