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始業式【1】

 俺は朝の空気を一杯に吸い込み、伸びをした。日の光、雀の鳴き声、花の香り。春は、五感を刺激する。
 いつもと同じ時間に家を出て、学校へ向かう。今日から学年が一つ上がったと言っても、まだ実感はない。新しい生活が始まるわけでもない。ただ、日常がまた始まるだけ。
 そうだと、思っていた。

 校門を抜けたのも、いつも通りの時間。昇降口の前、掲示板のあたりに人だかりが出来ていた。どうやら、クラス割りが貼り出されているようだ。自分の今年一年の運命を決定づけるであろう託宣を見るべく、俺も人混みの方へ向かう。
 と、後ろから俺を呼ぶ男子生徒の声がした。
「かーなーめーっ!」
 聞き覚えのあるその声の主を捜して、振り向こうとする。しかし、それよりも先に、振り返った人物がいた。
 俺の前を歩いていた女生徒だった。目に掛かる前髪の下から覗くのは、驚きの表情。
「……?」
 凝視された俺は、訳も分からず首を傾げる。ネクタイの色からすると俺と同じ二年生らしいが、知り合いではない。俺が突っ立っていると、彼女は小さな声で尋ねた。
「今、私を……呼びましたか?」
 風でストレートの長い黒髪が靡き、少し長めの前髪と相まって表情がますます読めなくなる。声の主は俺ではないし、その声にも心当たりがあった。呼びかけられたのはどう考えても俺だろう。
「いや、呼んでないですけど」
 仕方がないので、俺は正直に答える。すると、彼女は「……そうですか」と呟いた。思い切り俯いているので、注意していても聞き取るのがやっと、程度の音量。そこへ再び「かなめっ!」という声が届いてきたので、俺は彼女に訊いてみた。
「要、って俺のことだけど……どうかしました?」
 それを聞いた女生徒は、キュッと下唇を噛んだ。そして、俺に一言告げるとその場を去っていった。
 ――何だ、今のは?
 ぼーっとしていた俺は、肩を叩かれて我に返る。そこには見慣れた顔――嵩和(たかかず)が立っていた。
 堺嵩和(さかい たかかず)。三月までの同級生だ。
「よ、嵩和。今日は早いな」
「まさか初日に遅刻はしないさ。ところでお前、何で硬直してたんだ? 何回も呼んだのに」
「いや、お前が俺を呼んだ声で振り向いた女子に、謝られた」
「はあ?」
 人混みに見え隠れする彼女の背中を顎で示しながら、今の出来事を手早く説明する。
「ほら、あの子だよ。お前の声で振り向いてさ、何でか知らないけど、俺に『ごめんなさい、もう関わらないから』って言って……で、行っちゃった」
「あ、そりゃ多分向こうさんの勘違いだ」
「どういうことだよ?」
 嵩和は納得したようだが、俺には良く分からない。
「お前とあいつの名前が似てるから、聞き違えたんだよ。自分が呼ばれたと思って」
「なんて名前?」
「あまね。確か、塚原遍(つかはら あまね)だよ」
 『あまね』と『かなめ』。確かに、音の感じが似ている。間違っても仕方がないと思う。しかし、それでは彼女が『関わらないから』なんて言う必要は無いだろう。普通に考えれば、勘違いだったと言えば済む話だ。
 俺はてっきりそこで話が終わるのかと思ったが、嵩和の話は続いていた。
「塚原って言や、ある意味有名だからな。ほら、あの1−Aの……」
 嵩和が声を小さくした。
「『1−Aの』? 何だそれ」
「あれ、要は知らねえのか。世間に疎いなあ……去年、塚原と同じ1-Aだったやつに聞いたんだけどな。なんでも、いじめられてるって話だぜ」
「……いじめ?」
「クラスで孤立してるって、さ」
 ――いじめ、か。
 嫌な言葉だ。俺は、我知らず不快感を滲ませながら吐き捨てた。
「どこに行ってもあるんだな、そういうの」
「まあな。あ、だから謝ったんじゃねえのか? お前に迷惑かかっちゃ悪ぃと思って」
 ――あ、そういうことか。
 驚いていたのは、自分に声をかけるような生徒がまだ居たのか、という気持ちからだろう。で、彼女が俺と話すことで俺まで巻き込まれないように。それであんなことを言ったのだ。俺は、悲しいようなホッとしたような腹が立つような、なんとも複雑な気分になった。

 今いち晴れない気分を引きずりながらも、掲示板前に立つ。その辺りは、まだ生徒でごった返していた。割り込む前にすでにうんざりしてしまった俺は、思いついて嵩和に聞いてみた。
「そういえばお前、何組?」
「C組。要とはまた一緒だ」
「あ、そうなのか。見る手間が省けた、サンキュ」
 俺の言葉に、嵩和は大げさなリアクションとともに天を見上げた。
「お前さー、もうちょっと楽しげな顔をしろよ。他のメンツが誰なのか、気にならないわけ?」
「うーん。だって、どうせ教室に行けば分かるだろ」
「……マイペースなやつ」
「お前に言われたかねえよ」
 そんな会話をしながら、俺と嵩和は2年C組に向かった。
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