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始業式【4】

 他愛のない話をしながら、俺たち三人は長い廊下を歩く。二年生の教室は二階にある。階段を降り、昇降口に向かう角を曲がると、特別教室が並んでいた。
「そっか、ここの角曲がるとこういう景色なわけだ。やっぱり、今日初めて入った教室だと土地勘が無いなあ」
 土地勘、というのも変なのだが、三月まで使っていた教室に慣れきっていた身としては2−Cはまだ違和感がある。春が、特別教室群を珍しそうに見ながら呟いた。
「でも、2−Cに慣れるのもあっという間なんだろうねえ」
「若さだよ若さ、若い故の順応性。恒常性。分化全能性」
 嵩和は、習ったばかりの生物の知識を持ち出して訳の分からないことを言った。
「何言ってんだ、嵩和」
「え、生物、だよねえ」
「そうだぞ。お前、さては分からなかったんだな?」
「生物、お前よりは得意だと思うんだけどな」
「え、じゃあ今度教えて欲しいなあ。私苦手なん……あ」
「どした? 門田さん」
 突然言葉を切り、春が立ち止まった。何かを探すように辺りを見回している。
「大したことじゃないんだけど……何か聞こえたような気がして」
「何がだよ?」
「歌かなあ」
 春の言葉に耳を澄ませてみると、確かに女性の声がする。特別教室の並びには、音楽室がある。CDが掛かっているとか合唱部が歌っているとか、大方そんなことだろう。
 そう思い、俺は言った。
「誰か歌ってんじゃないのか? 音楽室とかで」
「あ、そうか。そうだね」
「通り過ぎるときに、ちょっと見ていけばスッキリするんじゃねえ?」
 嵩和の提案は、もっともなものだった。
 大きな世界を感じる、伸びやかな歌声だった。その出所は、やはり音楽室あたり。しかし、音楽室内を覗いてみても人の姿はない。
「隣の音楽準備室ででも、歌ってるのかなあ?」
 春が、自信なさそうに俺に同意を求めた。
「うーん……。多分、そうなんだろ」
 五線の印刷された黒板の横に、準備室への扉がある。今は閉ざされており、中に人がいるのかはここからではよく分からない。
「……でもこの歌、クラシックじゃねえよな。門田さん、要、分かるか?」
 嵩和もあまり音楽は聴かないらしい。英語の歌詞に、日本離れしたメロディー。俺はあまり音楽に詳しくないが、おそらく洋楽なのだろう。
「分かんねえ」
「私も、あまり知らないから……」
 音楽室の入口で話し込んでいると、廊下を通り過ぎようとした女生徒に声をかけられた。一年のとき――三月までの同級生だった。
「桐島君、堺君。どうしたの? お揃いで」
「いや、通りかかったら何か聞こえてきてさ。嵩和と誰が歌ってるのかなーって話してたところ」
「どれどれ? ……あ、この声は東間さんじゃないかしら。合唱部の」
「あずま?」
「うん。ウチの学校の密かな『歌姫』。すごく歌が上手だそうよ」
 『歌姫』、か。確かに、音程はまったく外さないし、伸びのある声には魅力がある。そう評価されるのも、素直に頷ける。俺は、三人を代表して礼を言った。
「サンキュー。おかげですっきりしたよ」
「どういたしまして。彼女、ものすごく照れ屋で、いつも準備室で隠れて練習してるとか。だから、音楽室を探しても見つからないと思うよ。上手いのにね」
 彼女はそう言うと、バイバイと手を振って去って行った。
「よし。すっきりしたところで、俺らもそろそろ行くか」
 嵩和の声で、俺たちも音楽室から離れることにした。
 遠ざかる音楽室からは、なおも声が聞こえている。うまい表現ができないが、人を引きつけるには十分すぎる歌だった。
(あんな声でここまで聞こえてくるんじゃ、隠れてる意味はあまりないな)
「……東間、ねえ。やっぱり、知らない子だった」
「俺も初めて聞く名前。門田さんは?」
「ごめんなさい。分からない、です」
「ふたりとも分からないとなると、気になるなあ……」
 嵩和は本当に気になっているようだが、実は俺はさほどでもなかった。歌が素晴らしいならば、歌手がどんなでもいいかな、と思ったからだ。俺がそう言うと、春がさっきと同じような反応を返した。
「要らしいね」
 嵩和も、朝と同様に「お前って本当にマイペースだよな」と苦笑していた。
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