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11 光

 褐や狐殿との決着から数日、初の週末だった。

 あの日、夜中にも関わらず、塚原が懇意にしているという病院では渋々ながらも俺たちを診てくれた。
 診察後、塚原の言うとおり、彼女が受けた傷よりも俺の方が深手であることが分かった。それを知ったところで塚原は何も言わなかったし、狐殿の心など今さら確かめようもないが、事実は事実として記憶にとどめておこうと思う。
 ただ、俺の中にはどこかほろ苦いものが残っていた。

 今日も通院の予定だが、うまい場所を思いつかなかった俺たちは、趣味の悪いことに狐殿塚で待ち合わせをしていた。
 まだ姿がない塚原を待つ間に、ふと周りを見回す。
 塚を取り囲む鬱蒼とした林も、ひんやりとした陰気なムードも以前とは変わらない。しかし、もうここに来ても、これまでのように寒気を感じるようなこともない。
 見上げた塚は、俺にとってはもはや褐や狐殿の抜け殻でしかなかった。
 塚原にとってもそうであればいいのだが、生まれてからこれまでの十数年を『塚原』としての使命に奪われてきた彼女のことだ。果たして俺のように、簡単には過去にできるものだろうか。
 ――そんな彼女のために俺にできることは、いったい何だろう。
 ――そういえば、あの闘いの夜に言いかけていたことは未だに言えず仕舞いだったっけ。
「要さん!」
 物思いはすぐに、遠くから聞こえてきた塚原の声で遮られた。俺は顔を上げ、そして唖然とした。
「……遍、さん?」
 こちらへと近づいてくる塚原は昨日までの彼女とはまるで違っていて、正反対と言ってしまってもいいほどだった。
 初めて見る私服はすっきりとしたデザインの白いサマーニットとジーンズで、女性にしては長身である塚原のスマートな印象をより際立たせていた。腰までもあった長い髪は首元あたりで短く切りそろえられ、意思の強そうな瞳と眉、白い肌や細い首のラインがくっきりと見て取れる。
 彼女を鎧のように覆っていた暗色のベールは、塚原自身の手によってすっかり脱ぎ捨てられていた。物騒な武器を隠すための長いスカートも、増えていく生傷を覆うための黒いストッキングも、もう必要ない――そう言いたげな姿だった。
 下心はないつもりだったのだが、じろじろと見すぎたのかもしれない。俺の不躾な視線に、彼女は恥じ入るように下を向いた。
「切っちゃいました。……やっぱり、落ち着きませんよね?」
「いや。……すごくいいと思う」
「……すみません」
 塚原はなぜか謝り、俺はその様子に思わず吹き出した。俺の心配をよそに、彼女は明らかに変わり始めているようだった。

 俺にとって驚きだったのは、今日の診察の段階で、先日受けた塚原の怪我がほぼ治っているらしいことだった。俺の完治はまだ先らしいから、恐らくは彼女の中の『血』がなせる技か。逆にそうでもなければ、毎日のように狐たちと闘う、という過酷な生活はできなかっただろうが、それにしてもその回復の早さには舌を巻くほかない。
「遍さんって、ほんとタフだな」
 病院からの帰り道、隣を歩く塚原に話を振ってみると、彼女は不本意そうに「……お互い様です」と呟いてこちらを軽く睨み、仕返しとばかりに俺の背中をはたいた。
「痛っ」
「あ、ごめんなさい」
 うろたえる塚原を尻目に、俺はたっぷりと間をとった後、おどけたように言った。
「ほんとは全然平気」
「……からかうのはほどほどにしてください」
 と、今度はあからさまに安堵の笑みを浮かべる。くるくると変化する顔を見ているだけでも楽しい。立場上、感情を表に出すことができずに押し殺していただけで、本来、塚原遍はこんなにも表情豊かな少女だったのだろう。
「ごめん。遍さんの顔が明るいと、何だかこっちまで浮かれた気分になるよな。……正直、始業式で初めて話した時には、こんな日がくるとは思ってなかったけど」
 始業式の朝の塚原は、闇そのものだった。周囲のすべてを拒絶するような暗い顔の中に、驚きを精一杯に表した瞳があったのを今でも思い出せる。
 素直に感想を述べた俺を、塚原は真顔で見つめていた。
 短くなった髪を初夏の風が揺らし、塚原は顔にかかった束を慣れない手つきで耳に掛けた。懐かしむように、彼女は淡く微笑んで俯いた。
「始業式、人違いだと分かっていてもとても嬉しかったんです――きっとそうは見えなかったでしょうけど。……要さんが公園を通るようになって、どうしてこの人は私に構うんだろうと理解できなくて、困りきっていた反面、私にとっては要さんだけが外との繋がりだと思ってもいました。だんだん時間が経って、要さんの心が分かってきて、この人――要さんは、私に射した最後の光だ、と思ったんです」
 塚原は、下を向いて完全に立ち止まってしまった。俺は言い淀む塚原を見て、彼女の右手を自分の手で包む。塚原はびくりとして体を引きかけたが、やがて顔を上げて再び俺を見た。
「それなら私は光を守ろう、と決めました。敵うか分からないけれど、要さんを守るためなら何でもしようと。……それが今、こうして何の心配もなく話すことができてるなんて、夢みたいですね」
 塚原が、「大げさですよね」と照れくさそうに呟いた。
 気兼ねなく話せる、ただそれだけのことを『夢』と言う塚原。これまでの生き方がそうさせるのだと分かってはいても、切ない気分にさせられる。まだ叶えられていない夢は、彼女の中にいったいいくつあるのだろう。
「俺でよければいつでも相手になるよ。……俺だけじゃない。もう、人を避けて生きなくたっていいんだろ? 学校行っても、きっと遍さんと話したいっていう奴はたくさんいると思う」
「……そうでしょうか」
「絶対そう」
 首をひねる塚原を励ますように、俺は笑ってみせた。
 もともと、入学当時は絶大な人気があった彼女だ。きっとこの姿で登校したら、生まれ変わった塚原の噂で持ち切りとなることだろう。嵩和なんかは手の平を返したように塚原びいきになりそうな気がする。ライバルが増えるだろうから俺も困るのだが、塚原の幸せを思えば些細なことだ。
 ――そういえば、言いかけの台詞。『どんな姿だって俺は』、その続きだ。
 釘を刺すという意味でも――と言ってしまうのはいやらしいが、この件が片付いたという『けじめ』の意味で、告げるなら今がいいかもしれない。
 伝えようと決めたとたんに、体が縮まる。一世一代の、というのは仰々しいだろうか。しかし、少なくとも俺の短い人生の中ではかなり重要な部類に入る瞬間が訪れることには間違いない。
 俺は、早く打ち始めた心臓を深い呼吸でなんとか鎮めると、塚原に尋ねた。
「あのさ。……この前の夜の続き、今言っていい?」
 俺の震えた声に、彼女が頷く。繋がった手がやや強張り、緊張が伝わってきた。
 もちろん俺だってガチガチなのだが、褐や狐殿に立ち向かったときを思い出せば告白なんて――そう自分に言い聞かせ、切り出した。
「どんな姿でも、遍さんは遍さんなんだよな。大変な過去があって、傷だらけで、獣の血が流れているとしても、俺はそういう遍さんの全部が好きで、全部を信じてる。……これまでは遍さんが俺を守ってくれたから、今度は俺の番かなと思うんだ。良かったら、これからは一緒にいろいろなことをしていけたらいいな――と思うんだけど、どうかな?」
 俺を見つめる塚原の黒い瞳には涙が溜まっていた。すぐには返事はなかったが、つないだ彼女の右手は強く握られていて、肯定の意思を示しているようだった。
 やがて、塚原はぱっと笑うと頭を下げ、空いている手で涙を拭った。
「よろしくお願いします。私も、要さんが好き。……全部が片付いて、やっと言えました」
 次に顔を上げたときには、もう彼女の目に涙は無かった。目を細めたまま、悪戯っぽく俺の顔を覗き込む。
「でも私、結構わがままだと思いますよ。いいんですか」
「もう慣れたよ」
 あっさりそう返すと、塚原は申し訳なさそうにため息を吐いた。
 今日一日だけでも、俺が初めて見る塚原の表情は数え切れないほどに及んでいる。もっともっといろんな感情を引き出す手助けをしたい。彼女が抑え込んでいたものをすべて出し切れるまで。
 出会った当時の頑なすぎる塚原に比べたら、ちょっとぐらいのわがままなど可愛いものだ。そんな意味のことを慌てて付け足して、俺はさらに続ける。
「もしまだ『夢』があるなら、うざいくらいに張り切って手伝うつもり。……だからさ、今まで我慢してた分、ガンガン取り返そう。花見とか海行ったりとかクリスマスとか、寄り道したりとか、とにかく欲張って盛りだくさんでさ。遍さんがやりたいこと、全部やろうよ」
 彼女は、目を輝かせて俺の提案――という程にも及ばない、能天気な馬鹿話だが――に耳を傾けてくれている。俺が言いたいことを塚原はよく分かっているようだった。
 やがて、おずおずと、相当に照れながらも、彼女は一歩踏み出してきた。
「あの、それじゃあまず、明日どこかに遊びに行きませんか。……予定、空いてますか?」
「余裕で」
「それから、月曜からは、一緒に学校に行って欲しいです」
「もともとそのつもり」
「それから――」
 熱っぽい瞳でいくつもの他愛ない夢を次々に言葉にしていく塚原は、どこにでもいる、普通の女子高生にしか見えない。それがこの上ない幸せだと知っているのは、今この瞬間で、彼女と俺のみだ。

 願わくば、これから塚原を取り巻く世界の『あまねくもの』が、彼女に優しくあるように。
 俺をはじめとして、たくさんの『光』が彼女に降り注ぐように。
 そして、小さな力ではあるけれど、彼女と光たちは俺が守っていこう。
 普通の高校生としての日々を、二人で少しでも多く過ごすために。

【five-star 遍編 おわり】
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