虫オタクの俺なんかより、彼女にもっとお似合いの誰かが現れるんじゃないか。そんな不安がよぎる。
クモのように彼女を糸で動けなくしてしまえば、この先ずっと俺のものにしてしまえるだろうか。
「悲しいの?」
彼女に抱き締められて身動きできなくなる。捕われる幸せもあると知った。
ミツバチたちは女王蜂に仕えるため、与えられた役目を果たす。社会性昆虫たる所以だ。
「お腹減ったな」
「宿題見せて!」
「家まで送ってよ」
かくいう俺も、彼女に尽くすことが至福の喜び――だろうか、悩む日々。
「……ぎゅっとしてくれる?」
前言撤回。一生付いていきます、女王様。
可愛いだけでなく料理まで出来てしまう彼女。今日のメニューはドライカレーだ。
「……どう?」
「すごく旨い」
微笑む彼女の肩越し、台所に置かれたスパイスの小瓶が目に入る。
「コリアンダーって、和名がカメムシ草っていうんだ」
「……できたら食べ終わった後に教えて欲しかったな」
「足、足りなくない?」
俺と一緒にガガンボを眺めていた彼女が顔をしかめた。
「足が細長いから、取れやすいらしいよ。もっと別な方向に進化すりゃいいのに」
「あ、でも、いちばん変に進化したのは人間だったりして」
生物は苦手だが視線は鋭い。俺はそんな彼女を密かに尊敬している。
学園祭が近いので、彼女にも我が部の催し物を宣伝する。
「生物部の展示、今年はすごいよ」
「目玉は何?」
「顧問のイケメン。来てくれた女子には先生と一緒に学祭を回れる券――っていうのは冗談で、本当はタガメを」
「絶対行く!」
「凹むなあ」
「も、もちろん目当てはタガメだよ?」
放課後、先生に怒られて凹んでいる彼を捕まえた。
「俺が悪いんだ。授業中寝たら怒鳴られて当然だよな」
「何でそんなに眠かったの?」
真面目な彼らしくない居眠り。私が尋ねると、彼は途端に瞳を輝かせた。
「徹夜でアブラゼミの羽化を観察してたんだ!」
「さっさと帰って寝なさい!」
「あ、赤とんぼ」
「あれはアキアカネ。アカネ属の見分け方、教えたでしょ?」
「ごめん。よく覚えてないの」
彼は仕方ないなと言いつつ、「翅や腹の模様が違うんだ」と優しく解説してくれる。その笑顔に釘付けになってしまうから、何度聞いても頭に入らないのだ。また後で聞かなきゃ。
彼は真顔で私を見つめる。
「アリとアブラムシみたいな関係が理想なんだ」
「もっと易しく」
「寄生じゃなくて、共生」
「まだ難しいよ」
「支え合える仲でいたいな」
はじめからそう言えばいいのに――と、そこで気付く。虫を例に出すのは、虫好きな彼なりの照れ隠しでもあるということを。
「丸まらないダンゴムシっているよね?」
「それはワラジムシっていう別物。あと、正確にはオカダンゴムシ」
「初耳。……私、無理やり丸くしたことある。無知って残酷」
彼についても同じ。皆、彼の素敵さを知らずに丸めようとしている。
「今覚えたからいいじゃん」と、彼は笑った。
「今は名もない虫でも、いつか発見されて分類された時、そういう種なんだって名付けられるんだ」
「ふーん」
「人の心も同じ。名前がついて初めて、どんな感情かってわかる」
「詩人だね」
彼女が冷やかすから、続きは取っておくことにした。俺の場合、それは『恋』だったわけなんだが。