「アオムシサムライコマユバチって蜂がいるんだけどね」
「長過ぎてよくわかんない。もう一回教えて?」
「アオムシサムライコマユバチだよ」
「うん、アオムシサムライコマユバチね」
「そうそう」
「で、そのアオムシサムライコマユバチがどうかしたの?」
「残念ながら、時間切れだね」
彼の眼鏡のフレームは青緑色だ。珍しい色なので尋ねてみると「トンボの眼鏡」と言う。
「オニヤンマのね。日本最大のトンボにあやかりたくて」
「夢は大きくだね」
「体長12センチだけどな」
「充分でしょ?」
彼は眼鏡になんか頼らなくても夢を叶えてしまう人だ。私はそう信じている。
「モンシロチョウのメスは、すでにお相手がいる場合、他のオスの誘いを断るんだ」
「偉いね、虫なのに」
「俺は君の彼氏だけど、虫オタクで、かっこよくもなくて、勉強もできない。でも、君は人気があって――」
目を伏せる彼に私は言った。
「あなたが最初に誘ってくれればいいでしょ?」
吹雪が去った後、初詣に出かけた。きゅっ、きゅっと雪を踏む音も二人分。
雪に叩かれた街路樹の枝は、一回り大きく見える。彼はそれを見上げて呟いた。
「冬には冬にしか会えない虫がいる。一年間、季節が当たり前に巡ってくれるのは、僕みたいな虫好きにとっては幸せなことなんだよ」
「蜻蛉と蝶の雑種って、いる?」
「いない」
「でも、蝶みたいな体なのに羽根が透明で、羽音がして」
「オオスカシバだね。蛾だよ」
「大発見かもって思ったのに」
口を尖らせた私に、彼は嘯く。
「そういう大発見が俺の夢なの。……先、越されないようにしなきゃな」
と、ニヤリと笑った。
「ひゃくあし?」
「ムカデ」
「昆虫って6本足でしょ?」
彼女はあからさまに嫌そうな顔をした。
「そう。百足は足が40本以上だから昆虫じゃないね。他に、クモは8本、ダンゴムシが14本、サソリは10本、ゲジは30本――」
彼女は「2本で充分!」と言い残して退散してしまった。
読書中の彼。珍しく、虫以外の本を読んでいるようだ。
「それ、数学の本?」
「いや、違うよ?」
彼が示した表紙には『素数ゼミ』とある。
「ゼミじゃなくて蝉。一定周期で大発生する蝉がいてね」
「蝉はいいとして、素数って何だったっけ?」
「…そこから説明するの?」と彼は苦笑した。
「何か得意料理ってある?」
「卵かけご飯」
「それ、料理?」
彼は口を尖らせる。
「卵は昆虫界でも人気食材なんだ。卵専門の寄生蜂や、ケラの卵を食べるゴミムシもいて――」
「人間は卵かけご飯だけじゃ生きていけないの!」
「じゃあ弁当作ってくれよ」
彼はおねだり上手なのだ。
彼が拾い上げたのは、綺麗に折り畳まれた葉っぱの塊だ。
「オトシブミの揺籃だよ」
「ヨウラン?」
「ゆりかごって意味。この一番真ん中に、卵が入ってる。赤ちゃんは、中から葉を食べて育つんだ」
揺籃をそっと帰す手つきは優しい。
「なんか、いいパパになれそうだね」
「え、ええっ?」
「ホタルは、棲む地域によって光るテンポが違うんだよ」
「私、みんな同じだと思ってた」
「関西はせっかちに点滅、関東はのんびりとかね。光は、会話代わりなんだ。光る早さが合わないと、カップルは不成立」
彼はつまり、私たちのリズムがぴったりだと言いたいのだ。
私も、そう思う。