『ツバキシギゾウムシは長い口で椿の実に穴を空け、卵を産む。椿は実の中央にある種を守るため、進化して実を厚くする。すると、ゾウムシの口も更に長く進化する』
私達に似ている。本当の彼に辿り着いたと思っても、違う彼が奥に見え隠れ。
私も口を長くしなくちゃと唇を尖らせる。
エイプリルフール。
どうにかして彼女を驚かせたいが、俺には上手い嘘を考える才能なんかない。下手な嘘なら自信があるのだが。
彼女を捕まえて、試しにやってみることにする。
「俺、虫好きをやめようかな」
「そんなの、あなたらしくなくて好きじゃない」
「それって、嘘? ほんと?」
街路樹の雪が解けてから若葉が芽吹くまでの間は、やけに簑が目立つ。
「ミノムシって蛾?」
「ガの幼虫。雌は一生ミノから出ない種もあるけど、雄の方が来てくれるから事足りるらしいよ」
「彼氏選べないじゃん。私はやだな」
なるほど、では俺は彼女に選ばれたのかと喜びを噛み締める。
キノコ図鑑。彼が読み耽っている本のタイトルだ。虫からキノコに鞍替えしたのか。
「キノコ狩りでも始めるの?」
私が尋ねると、彼は申し訳なさそうに開いていたページを示す。しばし絶句した後、私は何とか声を絞り出した。
「……蝉からキノコ、生えるの?」
「一応、虫でしょ?」
「俺、チョウだけは飼わないことにしてる」
夕空を舞う黒蝶を見つめる彼はひどく悲しげだ。
「昔、狭いケースで羽化させて、羽が折れ曲がったチョウにした。飛べないチョウほど切ない生き物はないよ。……君はどう?」
私は彼と一緒ならどこまでも飛べるだろう。
――そう、伝えよう。
珍しく、虫に手を出さず見送る彼。
「捕まえないの?」
「毒を持ってる。触るとかぶれるんだ」
「過激だね」
「身を守るためだからね。他にも、体を棘だらけにしたり、臭いで驚かせたり。まったく無防備で生きてるのは俺くらいだよ」
そんな彼に勝てない私。毒でも溜め込んでみるべきか。
俺が持参したケーキを旨そうに頬張る彼女。それを眺めながら、オスがメスに餌をプレゼントして、食事の隙に襲う――そんな虫を思い出す。
「何?」と、食べ終わった彼女は不思議そうに首を傾げた。
俺は伸ばした手を慌てて引っ込める。ホールで持ってこないと、時間が稼げそうにない。
彼は録音機器の点検中だ。何に使うの、と問うと、「そろそろセミの季節だから」と言う。鳴き声を録るらしい。
「セミって夏じゃないの?」
「ハルゼミってのがいるんだよ」
まだ肌寒い中、セミも彼もすでに活動を始めているのだ。私も負けてはいられないと、春服のチェックに勤しむ。
店先で彼女が勧めるのは、普段の俺なら手にしないであろうカラフルなシャツ。
「派手すぎない?」
「虫って雄の方が綺麗なんでしょ?」
今日のために予備知識を仕入れたらしく、彼女は余裕の表情を見せる。
「大丈夫、似合うよ」
笑顔に負けた俺は、着飾らざるを得ない雄の性を悟った。
「透き通ってて綺麗!」
彼女が眺めているのはウスバシロチョウの標本だ。
「蝶の羽はもともと透明で、鱗粉に色が付いてるんだよ。そいつは鱗粉が少ないやつ」
「下手に隠さないほうがいいのに。……色々と、ね?」
「お、俺には秘密なんか」
「本当に?」
何がバレたのか、必死で考える。