虫めづる 101-110

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 接写スタンバイ

「新しいカメラ?」
 俺の手元を見て、彼女が尋ねる。
「バイト代でね。マクロ撮影がすごいんだ」
「虫を近くで写せるやつ?」
「そう。1センチまで近づいても撮れるんだって」
 言いながら、俺は彼女に寄っていく。
「……近すぎ!」
 頬を赤くした彼女が手で制する。1センチにはまだ遠い。


 ヒメアリ  [ハチ目 アリ科]

 彼女がクラスメイトの男子と会話している。楽しげに笑っている。
 気になって仕方がないが、しゃしゃり出るのも癪だ。だいいち、ただ話しているだけなのだから、俺の出る幕ではない。
 頭を冷やそうと開いた昆虫図鑑のページにはヒメアリ。ちっぽけな自分に相応しくて、ため息が出た。


 ゲンゴロウ(2月14日:煮干しの日ついのべ)  [コウチュウ目 ゲンゴロウ科]

 他とは明らかにランクが違う最高級煮干しを手に、彼はレジへと向かう。
「料理とかする人だったっけ?」
「いや、全然できないけど」
 首をひねる私を見て、彼は真顔で言った。
「俺が食べるんじゃないよ。ゲンゴロウの餌だよ」
 さすが、昆虫マニアは選ぶものが違う。


 バレンタインデー

 一緒に歩く帰り道、私の鞄の中にはチョコの包み。信号待ちの交差点で、どうにか手渡す。
「こ、これ、どうぞ」
「うわ、嬉しい! 実は今日、ずっとこのことばかり考えてて」
 そういえば今日の彼は、三度の飯より好きなはずの昆虫の話をしていない。緊張していたのは、私より彼の方か。


 2月22日

 今日は猫の日。
 猫の耳や尻尾をつけたら彼は喜ぶだろうか、と思って聞いてみると、予想通りの答えが。
「猫耳もいいけど、触角なんかどう?」
「虫の?」
「うん。いろいろ種類はあるんだけど、やっぱ蝶がいいかなと思って」
「……え?」
 勉強机の中から、怪しい包みが取り出され――。


 クロオオアリ 3  [ハチ目 アリ科]

 式を終えた卒業生の列を、彼と眺める。
「巣から飛び立つ羽蟻の群れ」
 彼が神妙な顔で言う。
「そのあと、蟻はどうするの」
「羽を捨てて、新しい場所に新しい巣を作る」
「人とそんなに変わらないんだね」
 いつか、私たちも飛び立つ。その日のために、今のうちに力を蓄えておかなくては。


 ヤマトシジミ  [チョウ目 シジミチョウ科]

 ようやく雪が消えたので、植木鉢を眺める俺。彼女は怪訝な顔だ。
「雑草?」
「雑草は雑草だけど、これ専門に食べる奴がいて」
 カタバミのハート型の葉の裏には、小さな幼虫。
「春には可愛い蝶になるよ」
「見たい!」
 早く暖かくならないかな、と彼女は笑う。寒さと共に、俺の頬も緩む。


 クルマバッタ  [バッタ目 バッタ科]

「バッタ採りは、わざと跳ばせるのがコツなんだ」
 人間の足音で跳び出すバッタを目で追い、着地した場所を覚えて捕らえるのだ。
 それを横で聞いていた彼女の怖い声。
「着地した時には手遅れってこともあるよ」
 そう言って踵を返す。
「ま、待って!」
 何とか捕まえようと、必死で追う俺。


 ルリタテハ  [チョウ目 タテハチョウ科]

 このところ、彼はよく空を見る。
 理由を訊くと「チョウでもいないかと思って」と真顔で答えた。
「こんな早くから?」
「成虫で越冬するやつは、結構早く飛び始めるよ」
 彼に倣って見上げると、淡い水色の空。もう鉛色の雲はない。
「いつの間にか春になってたんだ」
「やっと気付いた?」


 ヒゲナガカミキリ  [コウチュウ目 カミキリムシ科]

「この、髭の長い虫は?」
「ヒゲナガカミキリ」
 彼女は、図鑑と俺の顔を見比べている。期待の眼差しに耐えられず、俺はきっぱりと宣言した。
「俺は伸ばさないよ」
「お願い、土日だけでも」
「やだ」
 がっかりする彼女を盗み見る。試してみたけど似合わなかったなんて、言えるものか。


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