虫めづる 141-150

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 飼いつつ飼われつつ

 彼の短冊を覗き見ると、『アゲハが逃げませんように』とある。
「飼ってるの?」
「むしろ飼われてる」
 彼はそう言って私を指差した。
「……君は何て書いたんだ?」
「今から書くの」
 私は迷いなく、さらさらと筆を走らせる。
「『ずっと飼ってもらえますように』」
「俺でよければ喜んで」


 ウスバキトンボ  [トンボ目 トンボ科]

「今年も来たな」
「来た、って?」
 彼は、薄羽黄蜻蛉、と空に字を書いてくれた。
「世代交代しつつ、沖縄から北海道まで移動する奴」
「涼しいところが好きなの?」
「いや、寒いと死ぬ」
 それでも蜻蛉たちは群れを成して北を目指すという。
「何だか、切ないね」
「……君は優しいな」


 ヒメボタル  [コウチュウ目 ホタル科]

 山の中で明滅する小さな光は、ヒメボタル。百万頭ともいわれる大群舞だ。
「森が光ってる!」
 と、彼女の歓声。そこまで喜んで貰えたなら、夜のハイキングに来たかいもあったというものだ。
「じゃ、そろそろ帰ろう」
「友達ん家に泊まるって言ってきたよ」
「……送るよ」
「……そう?」


 ニジュウヤホシテントウ  [コウチュウ目 テントウムシ科]

 彼が捕まえたのは、やたらと星が多い天道虫。
「28星」
「数えたの?」
「星の数くらい覚えたよ。あとは、2、4、7、9、10、12、13、14、15、16、19」
 数字に強くなければ虫好きにはなれないのだろうか。虫ではなく、虫好きを好きでよかったと、私は胸を撫で下ろす。


 フナムシ  [ワラジムシ目 フナムシ科]

 彼の目が落ち着きなく動いている。夏の海で目移りするのは分かるけれど、こっちも少しは見て欲しいのに。
「海に来てまで虫探ししてる?」
「フナムシのこと? もう見飽きた」
「じゃあ何見てるの?」
「見れなくて困ってるんだ」
「何が?」
「その水着が!」
 彼は真っ赤な顔を逸らす。


 ヘラクレスオオカブト  [コウチュウ目 コガネムシ科]

「このカブトムシ、角が二本あるね」
「オスどうしのケンカに使うんだよ。角と角の間に相手を挟み込んで、投げ飛ばす」
 俺も両手を伸ばしてみると、彼女は途端に俯いた。弱々しい声だけが聞こえる。
「な――投げ飛ばさないでね?」
「挟み込むのは?」
「……優しく、お願いします」


 新学期

「こっち向いて!」
 何気なく振り向くと、写メを撮られた。
「俺なんか撮ってどうするんだ?」
「夏休み前と比べるの」
 言いながら、彼女は携帯をいじる。そこにあったのは、休み前の俺の写真。
「焼けたね」
「虫採りばかりしてたからな」
「焼けたのもいいね」
「……それはどうも」


 長野名物

「父が頂いた物だけど、好きそうだからあげるね」
 彼女は怪しい瓶詰めを取り出した。紛うことなく、トビケラ、カワゲラ、ヘビトンボの幼虫の佃煮――『ざざむし』。
「俺は確かに虫好きだけど、食べるとかそっちの方はむしろ苦手で」
「そうなの?」
「……貰う、貰う! 食べるから!」


 ツヅレサセコオロギ  [バッタ目 コオロギ科]

 澄んだ虫の音に、彼女が俺を見た。
「ツヅレサセコオロギ」
「変な名前」
「綴るとか刺すとかは縫い物のことだよ。昔はこれ聞いて冬支度を始めたって」
「私も秋物欲しいな。買い物、付き合ってね」
 彼女はむき出しの肩を抱いた。夜冷えする帰り道を、真夏より少しだけくっついて歩く。


 オオミズアオ  [チョウ目 ヤママユガ科]

 コンビニの入り口で彼が足を止めた。視線は看板の照明へ。
「こいつ見てた」
「きれいな蝶」
 明かりに留まる蝶は、緑がかった水色。大きくて優雅な曲線を描く羽からは、二本の長い尾が伸びている。
「蛾だよ。アルテミスって名前なんだ」
 月明かりに、彼の微笑みもほの白く浮かび上がる。


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