虫めづる 151-160

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 封印

 私は彼から昆虫図鑑を奪う。終わりの方の数ページが、クリップで止められていた。
「これじゃ読めないじゃない」
「うっかり開かないようにしてんだ」
 虫好きの彼が見たくないページ。俄然興味をそそられ、私はクリップを取り除き、そしてすぐに図鑑を放り投げた。
「ゴ――」
「な?」


 君のページ

体長:165センチ
体重:教えてくれない
時期:いつでも、夏がおすすめ
分布:駅から自転車で10分
特徴:見た目派手だけど性格は素朴 着やせするタイプ よく分かんないけどいい匂い
    可愛い 可愛い 可愛い――
「何か読んでるの?」
「図鑑」
 君のページ、と心で呟く。


 あなたのページ

体長:170センチ弱
体重:私より軽いかも……
時期:冬は元気ない
分布:うちから自転車で10分
特徴:青緑色のフレームの眼鏡 痩せ形で肩幅狭い よく焼けてる 鞄に虫採り網が入ってる 優しいけどちょっと捻くれてる――
「もっと色々知りたいな」
「あ、それ俺も思った」


 草食系肉食男子

「俺って草食系?」
「昆虫っていう趣味だけ草食かな。本当は肉食だよね」
 彼が目を輝かせる。
「草食に擬態ってこと?」
「その例え分かんない」
「イナゴじゃなくてキリギリス?」
 私は首を捻る。
 彼が身を乗り出した。顔が近い。近すぎる。
「そういうところが――」
 食べられるのを待つ。


 ヒメアカタテハ  [チョウ目 タテハチョウ科]

 オレンジ色の蝶が、目にも留まらぬ早さで横切った。虫好きの彼には、その一瞬で充分らしい。
「姫赤立羽」
「姫?」
「赤立羽より少し小さいから、姫だよ」
答えつつも、彼は機敏に飛び回るおてんばを目で追い続ける。
例え刹那でも彼を独占した姫。私は彼に気付かれぬよう睨み付ける。


 ツマグロヒョウモン  [チョウ目 タテハチョウ科]

「これとこれ、同じ蝶なの?」
「ヒョウ柄が雄で、紫の方が雌だよ」
「こんなに姿が違ったら、お互い迷っちゃうんじゃない?」
 彼女は俺にはない柔らかさで笑う。
 違うかたちだから興味が湧く。触れてみたくなる。同じ生き物なのかどうか確かめたくなる。
「ん、何?」
 やはり柔らかい。


 アキアカネ2  [トンボ目 トンボ科]

 登校途中、空を埋め尽くすほどの赤蜻蛉の大群に出会った。無数の影が舞う空に、彼が言う。
「からっと晴れた日に、示し合わせたように集団で里に下りてくるんだ。産卵して、死ぬために」
「……そっか」
 爽やかな青空は、途端に悲しい色に変わる。
 毎年のことだよ、と彼は微笑んだ。


 チッチゼミ  [カメムシ目 セミ科]

 単調なリズムで響き渡る虫の音。彼曰く、「これはセミ」と。
「秋だよ」
「他のセミが消えると目立つんだ。小さいくせに声だけはでかくて。人間でもそういう奴、いるだろ」
 横目で私を見る。
「……大きくてすみませんねえ」
「いや、別に、ちょうどいいサイズだと」
「え?」
「ん?」


 エンマコオロギ  [バッタ目 コオロギ科]

「夜に虫の声がすると、涼しいなって思ってたんだ。先週までは」
 身震いする彼。長袖を羽織ってもなお涼しい夜だ。
「不思議だけど、寒い日中に同じ声を聞くとなぜかほっこりするんだよ」
 お試しあれ、と言って彼は頭を掻く。照れたらしい。
「私、今、あったまった」
「え? 何で?」


 チョウセンカマキリ  [カマキリ目 カマキリ科]

 別名拝み虫、または祈る予言者。胸の前に鎌を引きつけ、獲物を待つ様子がそう見えるのだという。
 彼女はもっともらしく頷いた。
「カマキリにだってお祈りしたいことくらいあるよ」
「例えば?」
「おいしいもの食べたい、とか」
 両手を組んで、俺の顔を覗き込む。
「……何かおごるよ」


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