カブトムシの蛹は、土中の部屋に他の虫を寄せ付けないシグナルを発するという。
他人と接触することを避け、深く潜っていた俺。その部屋の壁を彼女は難なく壊してしまった。漏れた光の中に、俺を導く彼女の手がくっきりと浮かび上がる。
地上は苦しいけれど、ときにとても甘い。
「horned worm?」
「角のある芋虫。スズメガの幼虫だな」
訊かれたので訳したが、彼女は渋い顔だ。
「意味は分かるよ。何のための角?」
「まだ謎らしい。謎を解き明かすのも虫好きの楽しみだよ」
「ついでに恋愛の謎も解明して」
「それは俺じゃ無理」
「じゃ、私となら?」
「お菓子をくれなきゃ悪戯するよ」
彼はにやにやが止まらない様子。
「例えば――」
「例えばハロウィンだから南瓜の害虫の名前を並べてみるとか? さらに害虫図鑑の南瓜のページを開こうとしているとか?」
たたみかける私。彼は下唇を噛んでいる。
「はいお菓子」
「……嬉しくない」
「アゲハチョウは、産卵する草を脚の先で調べるんだって」
「ふうん」
彼女が俺の頬に手を添える。
「前脚で触れて、特定の物質があると分かったら産卵する」
「ふうん」
人差し指が頬に食い込む感覚。
「つまり、味を見分けてるんだ」
「ふうん」
「味見はしてくれないのか」
「……ばか」
待ち合わせの図書館で、彼は図鑑を読んでいた。
「本の虫ね」
彼はページを捲り「本を食う虫はこれ」と言う。
「death watch beetle。死への時を刻む虫」
「怖い」
「虫同士が交信する時のコチコチって音が時計に似てる。……僕の時計だと、君は大遅刻だな」
「ごめん」
「冬眠したい」
暖を求めて手を擦り合わせる私を、彼は「熊か虫だな」と笑う。
「冬越しならテントウムシを見習えよ。俺もあんなふうに眠りたい」
「どうやって?」
彼は一瞬だけ私を抱き寄せ、すぐに離れた。
「こうして春までずっとくっつく」
私の頬に熱がのぼる。これは確かに温かい。
湿り気を帯びた白い塊で斑になった通学路。
彼はふて腐れたように「雪だ」と呟く。昆虫たちが眠りにつく季節、虫マニアはさぞ寂しかろう。
「いや。別に、寂しくはないよ」
「でも、虫はいなくなっちゃうんだよね?」
「だって君がいるだろ?」
彼の頬が赤いのは寒さからか、それとも。
「瞬間的な時速は150キロ」
「何が?」
眉を寄せた彼に構わず、私は続ける。
「危険を感じたときのIQは340以上とか」
「賢いな」
「実は、あなたの嫌いな――」
名を教えようとしたときには、彼はどこかへ駆け去っていた。ゴ(略)が嫌いな人間にも、ある種の能力はありそうだ。
彼女はガラスケース越しに琥珀を眺めている。
「中に虫がいる」
「元は樹脂だから、まだ柔らかいうちに閉じこめられたんだろ」
浪漫だな、と言おうと彼女を見ると浮かない顔だ。
「寂しいよね」と彼女は呟く。
「何千万年もずっと独り。……私が琥珀になるときは、あなたと一緒がいいな」
冬の林で見つけた大きな空繭。そっと枝からはずして耳に当てると、ひゅうひゅうと風の音がする。
虚ろな繭は俺のようだ。
何でもいい、何か聞こえて欲しい――さらに耳を澄ますと、聞き覚えのある声。
「どうしたの?」
振り向くと彼女が立っていた。俺は中身を得て彼女と帰路につく。