私に、大好きな虫について語った虫好きの彼。「好きなものには必死になっちゃって」と、なぜだか泣きそうな顔で言った。
『好きなもの』の中に、『虫』だけではなく『私』も含まれていたことを知ったのは、しばらく経って。
あれから、必死の彼を隣で見守るのが私の日常になった。
「世界中の虫を全部見るのって、無理でしょ?」
少なくとも100万種以上。すべてを網羅するのは不可能だろう。
「会えるのはほんの一握りだろうね」
「人も同じって思うの。無数の人の中から二人が出会って一緒にいるって、すごいよね」
俺と巡り会ってくれた彼女は、そう言って笑う。
「卵、幼虫、蛹、成虫で、一回りだよね」
なぜだか虫の生活環を読み上げた彼女は、やがて自らを指して眉をしかめた。
「ずっと蛹のままじゃだめかなあ」
「生き辛い季節を蛹でやり過ごす奴らもいるよ。それだってちゃんと環の中だろ」
「うん」
蛹は笑って頷いた。眉間の皺は消えている。
溜め息出た。彼、虫好き。キスし、群れ方で決ーめた。
彼は自らの腕をさすりながら言った。
「キリギリスの耳は足についてるんだよ」
「それ、内緒話が大変だね。脚に向けて話し掛けるのかな」
「確かにやりにく――ん、何だ?」
私が耳元で囁いた言葉に、彼の顔が朱くなる。
「俺、いま虫じゃなくてよかったって思った。……俺も、好き」
俯きながら歩く帰り道で、虫の音に慰められた幼い頃を思う。
今は彼女と二人、顔を上げて聞いている。切ない思い出は消えないが、温かい音が、声が新たに積もって、優しく覆い隠してくれる。
「思い出し笑い?」
「まあ、そんなもんかな」
彼女の声に俺は目を細めた。小さい俺も笑う。
「今すぐ退治したい虫がいて」と、彼女は眉を寄せた。
「害虫駆除なら任せろよ」
「遠慮しとく」
「困ってんだろ?」
「でも――」
ぐう、と彼女の腹が鳴り、きまりが悪そうに言う。
「……お腹の虫なの」
「じゃ、退治しないとな」
俺は笑いをこらえながら、手近な店へと彼女を誘う。
ふと顔を上げると、彼女の背中が目に入った。まるで擬態するカマキリのようにゆらゆらと揺れる頭。
『起きろ!』
俺は心の中で叫んだ。彼女に届けと願いながら叫び続けた。
休み時間、彼女は苦笑い。
「テスト中寝ちゃって、全然自信ないよ」
「俺は君のせいで問題解く時間なくなったよ」
「オオスズメバチの学名は」
「Vespa mandarinia japonica」
「昆虫のぜん――前胸腺から分泌され」
「エクジソン。脱皮ホルモン」
彼が持参した本を投げ出し、私はテストを中断した。自慢げな顔の彼に尋ねる。
「いま私は何を考えているでしょうか」
「えっ」
ミイロタテハの原色の鮮やかさ。モルフォチョウの構造色。トリバネアゲハの迫力。
標本箱に閉じこめたそれらはもちろん綺麗だが、箱の外で息づくたったひとりには敵わない。
「すごい! こんなに綺麗な蝶、知らなかった」
彼女が目を輝かせる。
「……そうだね。俺も、知らなかった」