「え? これ、蛾?」
素人の私には蜂にしか見えない。弱い虫が強い虫に姿を似せて身を守っているのだという。
「俺も強そうな格好しようかな」
「それはいやだな」
似合わないのが目に見えるようだ。
「じゃあ死んだふりしよう」
誰から身を守るのと尋ねると、彼は真顔で私を指差した。
「プラモデルに色塗ったりするの、得意そう」
昆虫標本を作る彼の指先は、とても繊細に動くのだ。
「何、唐突に」
「メタリックに光って格好いいじゃない」
「金属光沢はオオヤマトンボが好きだよ」
やはり虫か。
他に好きなものはないのと尋ねたら、彼に睨まれた。
「……言わせたいの?」
「バレンタインは何か作るね」
彼の顔がぱっと輝く。普段難しいことばかり話す彼だが、分かり易いときもあるのだ。
「ご希望は?」
「君と食べたいし、普通の」
「虫型とか虫入れてとか言わないの?」
「俺ってそんなキャラ?」
私が頷くと、彼はしゅんと俯いた。
「以後は少し自重します」
「図書館の本が虫に食べられてて」
「シミかな。紙の魚って書くやつ」
「紙を食べるの?」
「紙質によって好き嫌いあるみたいだけど。本が命の源なんだ。今日にぴったりだね」
チョコの催促。彼が私に期待を込めた眼差しを向けるので、つい意地悪したくなる。
「今日? 何が?」
「え?」
「告られちゃった」
断ったと彼女は力説するが、俺の心中は穏やかではない。
彼女が俺のものだと見た目で分かれば変な虫は寄りつかないだろうか。例えばギフチョウみたいに、と考えて赤面する。
無理だ、まだ早い、踏み出す勇気もないくせに。
首を傾げる彼女に、本当のことは言えない。
落ち込んでいる私を前に、彼は散々考え込んだのち口を開いた。
「クマバチって体のわりに翅が小さくて」
唇をひと舐め。
「昔は、奴ら自身が『飛べる』と信じてるから飛べるんだ、って言われてて――」
そこまで言って話は途切れた。私の心の小さな羽にはそれで十分。あとは信じるのみ。
「ミツバチダンス?」
「8の字ダンスだね。ハチ同士が踊りで蜜の在処を伝達するんだ。こんな風に」
彼は身振り手振りで教えてくれる。体を使うとよりよく伝わるのは、虫も人も同じ。
「分かった?」
「分かった。ありがと!」
ぎゅっと抱きついてみる。果たしてどれくらい伝わるだろう?
「これ、虫の話だよ」
そんな前置き。
「花を愛でるのはいいけれど、好きすぎて傷つけちゃったりすると」
赤面する彼。
「ぼろぼろの果実ができる」
目を伏せる。
「だから勢い任せで触れたりしない」
真顔で見つめられた。
「大事にするよ」
答えなくちゃ。
「……嬉しい」
彼は下ばかり見て何かを探している。彼の好きな季節――彼が好きな生き物たちが動き出す季節だから。
たまにはこっちも向いて、と背中を見つめていると、彼はぽつりと呟く。
「君のこともこんなふうに見れたらなあ」
やはり下を向いていたけれど、その横顔はほんのり赤く色付いていた。
立ち読みしていた俺の背中に、トンと軽い衝撃。振り向くと、背中合わせに立っている彼女がいた。
「……アリジゴク系女子」
俺の言葉に彼女はご立腹だ。
後ろ向きに迫る柔らかい感触は捕食者の罠。しかし、俺にとっては挑発以外の何ものでもない。
いっそ、食われる前に食ってやろうか。