虫めづる 201-210

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 昆虫採集

 蝶の柄が染め抜かれた茄子紺の浴衣に、白いうなじが眩しい。
 「どう?」と聞かれ、俺はただ頷く。誉めてほしかったのだろう、彼女は俯いた。
 口を開けば『捕まえたい』と本音が漏れる。触れればきっと手離したくなくなる。
 いっそ虫籠に入れてしまおうか。
 俺は迷いながら手を伸ばした。


 高校虫児

 夏の日の光の下、駆け回っていた彼がようやく足を止めた。
 汗で濡れた髪、そして真っ黒に焼けた肌。手にしているのはグラブではなく虫取り網、追いかけるのは白球ではなくて蝶だけれど、彼にとってはそれが青春。
 私はベンチ、もとい木陰から飛び出し、彼にタオルと飲み物を渡すのだ。


 好き

「私のこと、どう思う?」
 そんな問いに、彼は無言で私の手を取った。
 虫の名前とか特徴とか、普段は尋ねなくても教えてくれるのに。いつものように『虫に例えると』なんて楽しく喋ってくれたらいいのに。
 やがて、手にぐっと力がこもった。涙目で発せられた、いちばん短い言葉と共に。


 マイストロー

「食事中なの?」
 チョウが口を伸ばしている写真に、彼女が声を上げる。
「口がストローになってて」
「それで蜜を吸うんだね」
 言いながら、彼女が手に取ったのは俺のグラス。ストローを咥えた後、驚いたように再びテーブルに戻す。
「ま、間違っちゃった」
「俺は構わないけど」
「ばか」


 ジャコウアゲハ  [チョウ目 アゲハチョウ科]

 虫マニアが読んでいるのは昆虫図鑑ではなく、なぜか妖怪の本。
 でも、私は驚かない。
「虫のお化け?」
「そう」
 開かれたページには何やら恐ろしい絵が載っていて、私は思わず目を逸らした。
「お菊虫っていって――」
 語りを聞きながら、彼が妖怪マニアではなくて良かったと心から思う。


 スズムシ  [バッタ目 コオロギ科]

「聞こえる?」
『何が』
「鈴虫」
『あ、それは無理』
 彼が申し訳なさそうに言う。
『スズムシの声は電話じゃ伝えられないんだ。周波数が高すぎて』
「そっか、残念」
 がっかりする私に、彼はこともなげに告げた。
『じゃ、直接そっちに聞きに行くよ』
 嬉しいサプライズに、私は鈴虫を拝む。


 ノシメトンボ  [トンボ目 トンボ科]

夕日を跳ね返して輝くのは赤蜻蛉の羽。無数の煌めきが、稲穂の海の上を滑るように飛んでいる。
「これ言うとみんな引くんだけど」
 前置きして、彼は照れくさそうに言った。
「ダイヤモンドダストみたいだって」
 本物はもちろん見たことないけど、と笑う。
 私は引かない。むしろ惹かれる。


 ヒオドシチョウ  [チョウ目 タテハチョウ科]

 彼女は大きな欠伸をひとつ。
「一年くらい眠れそう」
「夏から次の年の春まで眠り続けるやつがいるよ」
「綺麗な蝶だね」
 俺が図鑑を示すと、彼女は満足げに笑った。
 彼女が眠り続けるのならば、目覚めるまで隣で見ていたい。目覚めなくてもずっと見ていたい。飽きない自信はあるのに。


 雌雄同体

 珍しい鍬形虫が見つかったのだと、彼は興奮気味に語った。私は思わず聞き返す。
「雌雄同体?」
「要するに、大顎――ハサミがあるメスだね」
 納得して頷く私を見て、彼はにやつく。
「君に大顎がなくて良かったよ」
 挟まれちゃたまらないからね、と言った頬を思い切り抓っておいた。


 間違えていないはず

「今の蜻蛉、三匹繋がってた」
 空を見上げて彼女が叫ぶ。
「あれって雄と雌でしょ」
「普通はね。三連結だと雄雄雌か、雄雄雄」
 がっついたり横恋慕したりで間違うのはいつもオス。そう言うと彼女は真顔で答えた。
「気付かなかった? あなたも間違ってるって」
「え?」
「信じないでよ」 


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