蝶の柄が染め抜かれた茄子紺の浴衣に、白いうなじが眩しい。
「どう?」と聞かれ、俺はただ頷く。誉めてほしかったのだろう、彼女は俯いた。
口を開けば『捕まえたい』と本音が漏れる。触れればきっと手離したくなくなる。
いっそ虫籠に入れてしまおうか。
俺は迷いながら手を伸ばした。
夏の日の光の下、駆け回っていた彼がようやく足を止めた。
汗で濡れた髪、そして真っ黒に焼けた肌。手にしているのはグラブではなく虫取り網、追いかけるのは白球ではなくて蝶だけれど、彼にとってはそれが青春。
私はベンチ、もとい木陰から飛び出し、彼にタオルと飲み物を渡すのだ。
「私のこと、どう思う?」
そんな問いに、彼は無言で私の手を取った。
虫の名前とか特徴とか、普段は尋ねなくても教えてくれるのに。いつものように『虫に例えると』なんて楽しく喋ってくれたらいいのに。
やがて、手にぐっと力がこもった。涙目で発せられた、いちばん短い言葉と共に。
「食事中なの?」
チョウが口を伸ばしている写真に、彼女が声を上げる。
「口がストローになってて」
「それで蜜を吸うんだね」
言いながら、彼女が手に取ったのは俺のグラス。ストローを咥えた後、驚いたように再びテーブルに戻す。
「ま、間違っちゃった」
「俺は構わないけど」
「ばか」
虫マニアが読んでいるのは昆虫図鑑ではなく、なぜか妖怪の本。
でも、私は驚かない。
「虫のお化け?」
「そう」
開かれたページには何やら恐ろしい絵が載っていて、私は思わず目を逸らした。
「お菊虫っていって――」
語りを聞きながら、彼が妖怪マニアではなくて良かったと心から思う。
「聞こえる?」
『何が』
「鈴虫」
『あ、それは無理』
彼が申し訳なさそうに言う。
『スズムシの声は電話じゃ伝えられないんだ。周波数が高すぎて』
「そっか、残念」
がっかりする私に、彼はこともなげに告げた。
『じゃ、直接そっちに聞きに行くよ』
嬉しいサプライズに、私は鈴虫を拝む。
夕日を跳ね返して輝くのは赤蜻蛉の羽。無数の煌めきが、稲穂の海の上を滑るように飛んでいる。
「これ言うとみんな引くんだけど」
前置きして、彼は照れくさそうに言った。
「ダイヤモンドダストみたいだって」
本物はもちろん見たことないけど、と笑う。
私は引かない。むしろ惹かれる。
彼女は大きな欠伸をひとつ。
「一年くらい眠れそう」
「夏から次の年の春まで眠り続けるやつがいるよ」
「綺麗な蝶だね」
俺が図鑑を示すと、彼女は満足げに笑った。
彼女が眠り続けるのならば、目覚めるまで隣で見ていたい。目覚めなくてもずっと見ていたい。飽きない自信はあるのに。
珍しい鍬形虫が見つかったのだと、彼は興奮気味に語った。私は思わず聞き返す。
「雌雄同体?」
「要するに、大顎――ハサミがあるメスだね」
納得して頷く私を見て、彼はにやつく。
「君に大顎がなくて良かったよ」
挟まれちゃたまらないからね、と言った頬を思い切り抓っておいた。
「今の蜻蛉、三匹繋がってた」
空を見上げて彼女が叫ぶ。
「あれって雄と雌でしょ」
「普通はね。三連結だと雄雄雌か、雄雄雄」
がっついたり横恋慕したりで間違うのはいつもオス。そう言うと彼女は真顔で答えた。
「気付かなかった? あなたも間違ってるって」
「え?」
「信じないでよ」