虫めづる 241-250

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 ヘアピン男子

「今日も貸してあげる」
 ルーペを構える俺に、彼女はヘアピンを手渡す。このささやかなやりとりのため、散髪を先延ばしにしているのは内緒だ。
 しかし今日は――。
「随分可愛いな」
「あなたに似合いそうだったから」
 微笑む彼女のため、俺はラインストーン煌めくお花のピンを髪に挿す。


 残すもの

「動物は死んだあとに残る部分で数えるんだって」
 首を傾げる彼女に、俺は解説する。
「魚は尾、鳥は羽とか」
「昆虫は?」
「生物学的には『頭』」
「頭は食べないの?」
「食べ残す部分の話じゃないよ」
 そうだったね、と彼女は苦笑い。
「あれ、じゃあ人は?」
「名」
「あ、なるほど」


 春待ちの雪

 彼の昏い視線の先に、雪に濡れた蜘蛛の巣。
 私は寒風に首をすくめる。
「お昼は暖かかったから」
「バカだな。まだ冬なのに。巣を作ったって餌なんか無い」
「それでも春は恋しいもの。期待しちゃうんだよ」
「分かるよ。俺に似てるなって思って」
 彼と目が合う。春を待つ瞳が揺れていた。


 春が来た

「お洗濯取り込むから、ちょっと待っててね」
「俺、手伝うよ」
 両手に抱えたタオルに顔を埋め、彼女が言う。
「もうすっかり春だよねえ」
「暖かくなったよな」
「外に干してもよく乾くようになったもんね」
「洗濯物にユスリカがくっつくようになったからなあ」
「え! ど、どこに?」


 キタキチョウ  [チョウ目 シロチョウ科]

 彼女は視界を横切ってゆくチョウを目で追う。
「もう飛んでるんだね」
「冬越ししてたやつだ」
「春まで何を思って眠ってるのかな」
 虫は夢など見ない――言いかけて、俺は思い直した。
「麗らかな日差し、かな」
「私もそう言おうとしてたの」
 彼女の眩しい表情が、俺にも春を運んでくる。


 抱き締める

苦しいよと言う声で、私はようやく解き放たれた。
「すり抜けて行っちゃいそうで、つい」
「心配性なんだから」
 彼は照れながら言う。
「俺、虫になりたい」
「何で?」
「六本脚なら、もっと強く抱きしめられる気がして」
 いや蜘蛛なら八本だし更にいいか、と呟く彼。逃げないと誓う私。


 あたためますか

「虫には体温無いよね」
「手に乗せるとひんやりするのって体温じゃないのかな。死んじまった奴は、気温と同じ温度になるし」
「生きてるから冷たいってこと?」
 頷いた彼がそっと頬を寄せてくる。
「君が冷たいと俺が温める口実にもなるしな」
「二人とも熱すぎて全然意味ないけどね」


 ツマキチョウ  [チョウ目 アゲハチョウ科]

「虫ってやっぱ田舎の方が多いの?」
「都会で増えてる奴もいるよ。元々の食草じゃなくて外来植物を食べたり」
「したたかだね」
「俺も見習って逞しくなるかな」
 不意に、彼女の指が俺の首筋に触れた。なぞられる感触に体が震える。
「これくらいが好きだけど」
「了解、では現状維持で」


 学習帳

「投票結果で昆虫ノートが復活、だって」
「俺、投票したよ」
「どれに?」
「ヒメベニモンウズマキタテハ」
「え?」
 難しげな名前だ。聞き返そうと思ったけれど、楽しげな彼を見ていたらそんな気も薄れる。
「自由帳だね。何に使うの?」
「日記でも書くよ。君のことばかりになりそうだけど」


 抜き打ち試験

「この木の板、何?」
 詳しく話せば嫌われるんじゃないか。いや、彼女に限ってそんなことはあり得ないはず。
「展翅板。標本を作る時、これで虫の翅を伸ばすんだ」
 それを聞き、彼女は微笑む。
「合格」
「もしかして俺、試された?」
「ごめん。でも、私を信じて話してくれたんでしょ?」


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