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3 午後5時

「二人がかりでやれば、なんとかなるもんだな」
「そうだね。これでテストも大丈夫……だと、思う」
 ああでもない、こうでもないと言いながら、春と俺は何とかすべての回答欄を埋めた。この調子なら明日のテストもそれなりにいけるだろう。
 俺がため息を漏らすのと同時に、春は深呼吸しながら部屋の天井を仰いだ。
「ここまで、長かったねえ……」
 その言葉に壁の掛け時計を見ると、五時を回っている。俺が春の家に来たのが一時過ぎだから、四時間ほどもここに居座ってしまったことになる。どうりで、肩が凝ったはずだ。
「ほんっとに、長かった。ふああ……」
 言い終わって、大欠伸を一つ。そんな俺を見て、春は吹き出した。
「あ、大きな口。……そんなに眠いの? 疲れた?」
「眠いっつーか、もう数学は嫌だ。飽きた」
 自分でも子供じみたセリフだと思ったのだが、そんな一言にも律儀に返事があった。
「まったく……明日までは頑張らなきゃ。テストなんだよ? ……でも、助かっちゃったな。今日は、徹夜を覚悟してたから」
「おう、そりゃまさに俺のおかげに違いない。有り難く思うがよいぞ」
 これは負け惜しみだ。一緒に勉強してみて分かったのだが、数学に関しては春と俺は同レベル。春本人の『数学だけが不得意』という主張を信じると、数学的には(?)春の不得意レベル>俺の不得意レベル、という不等式が成り立つ。要するに、他の教科が数学とそう変わらない出来の俺よりは春の方が成績が良いということである。むしろ、春一人で取り組んでいた方が早く終わったのではないかと思う。
 ――昔はこんなに差が開いてなかったと思うんだけどな。
 張り合う気は更々ないが、なんとなく追い越されたような気がしたのが正直なところだ。
「でも、けっこう頭いいよな。春も」
「もう。そんなふうに付け足されても、フォローされた気にならないよ。偉そうなんだから」
「疑ってるな?」
「信用してないだけだよ」
 同じクラスになってずいぶん時間が過ぎ、春も状況に慣れてきたのだろうか。ようやく軽口が飛び出すほどの会話ができるようになってきた。
「……からかってるわけじゃないぞ。数学で分からない所は、隣どうしのうちは春に聞くよ」
「はいはい」
 せっかく誉めたのに、ふくれっ面で使った参考書やノートを重ねてカバンに入れる春。呆れ気味の口調からすると本気で怒ってはいないのだが、なんとなく居心地が悪い。
 ――長居しすぎたし、帰るとするかな。
 潮時かもしれない。俺は、書き込みで黒く埋まったプリントを折り畳んでポケットにしまった。
「じゃ、俺そろそろ」
「あ、帰る?」
「ああ。今日は頭を使いすぎたからな、さっさと帰って寝るよ」
 ポケットの中を探り、自転車の鍵を確かめて立ち上が――ろうとした。が、それは春が座ったまま俺のベルトの端を引っ張ったことで阻止される。奇襲を受けた俺は思わず膝を折り、もとの体勢で座ってしまった。
「な、何だよ! 危ねえだろ」
 ずり下がりかけたジーンズを直しながら怒鳴ると、春は胸の前で両手を打った。訳も分からずその両手を眺める俺に、春は丸い目をさらに丸くして言う。
「ね。晩ご飯ウチで食べていったら? 久々に」
「はあ?」
 今度は、俺の目が丸くなる番だった。
「お母さん、そろそろ帰ってくるし。一人分くらい追加してもどうってことないよ。……うんうん」
 春は自分のアイデアに満足したのか、頷いてそう答えた。こちらは、うん、だけではさっぱり理解できない。
 とりあえず、ツッコミを入れてみる。
「いや、だから何でそうなるんだよ」
「プリント間違えちゃったお詫び。自慢じゃないけど、ウチの料理はおいしいよ」
「そういや、確かに旨かった記憶はある」
 昔は、俺が門田家でご馳走になったり、春が俺ん家で食べていったりということがたまにあったのだ。美味しかったのは良く覚えている、が――。
「そこまで世話にはなれねえよ。たかがプリントのことで」
「そう?」
「それに、俺さっき帰って寝たいって言っただろ」
「でも、元はと言えば私がドジったせいで、要にわざわざ来てもらっちゃったんだし」
「勉強教えてもらったから、それでチャラでいいよ」
 俺と春がそんな押し問答を繰り広げていると、玄関あたりから女性の声が聞こえた。
「春ー? 誰かいらっしゃってるの?」
 聞き覚えのあるこの声は、春の母さんではなかろうか。このタイミングは、母娘で謀ったとしか思えない(そんなことはないだろうが)。春は部屋のドアを開け、おばさんに声を掛ける。
「お帰りなさーい」
「お客さまなの?」
「うん、今そっちに説明しに行く! ……お母さん、帰ってきたみたい。交渉してくるから、ちょっとここで待っててね」
 春は、後半を俺に向けてそう言うと、部屋を出ていってしまった。
「晩飯食って帰るしかなさそうだな……」
 ひとり取り残された俺は、苦笑する。今日二度目の、嫌な予感がしていた。
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