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4 午後6時

 結局、春に――と言うよりは、むしろ春のお母さんに押し切られたような形になり、門田家で晩飯をご馳走になることとなった。今日の俺の『予感的中率』は今のところ100%、向かうところ敵なしだ。

 自宅に電話を入れて春の部屋に戻ってくると、彼女は紅茶を入れ直して待っていた。テーブルを挟み、春と向かい合う位置に腰を下ろす。
「お帰り。お茶、どうぞ」
「サンキュー。あ、母さんが、皆さんによろしく、ってさ」
「そう? ……こちらこそお世話になってますって、伝えてもらえる?」
「ああ」
 ――ウチの親ときたら。
 本当は、母さんは電話の向こうで『デートね!』と小躍りしていそうな勢いだったのだが。
 ――母さんは春のこと、大分気に入ってるみたいだからな。
 なんにせよ、不要な情報は伝えないに越したことはない。
「あれ、もういい匂いがするぞ」
「あ、ホントだ」
「お前の母さん、取りかかり早いなー」
 どうやら、もう下ごしらえを始めたらしい。香りだけではなく、そのうちに規則正しくリズムを刻む包丁の音も聞こえてきた。
「お母さん、張り切ってたもん。私も手伝うって言ったんだけど、追い払われちゃった」
「お前、不器用だからかえって足引っ張るんじゃねえのか?」
「そんなこと、ないよ。確かに器用じゃないけど、料理くらいは人並みにできる……」
「できる?」
「……つもり。食事の準備はたまにしかしないけど、お菓子とかなら週末作ったりしてるよ」
「でも、腕を振るってもらう機会がないからな。料理上手だという証拠がない」
 ふざけ半分で、まるで推理ドラマで犯人を告発するシーンのようにビシッと春を指さす。
「だって、仕方ないよ。普通に学校行ってると、お菓子なんてなかなか持っていけないもん」
 春は、味に自信はないんだけど、と付け加えて照れたように笑った。
 学校に手作りのお菓子を持っていく。女子の間でだけでなら、そんなことがあってもおかしくないだろう。それに、バレンタインデーにはこっそりとではあるが、チョコが飛び交っていたようだ。しかし、そんな行事は俺をはじめとした普通の男子生徒にはあまり縁のない話だ。かと言って、春がわざわざ学校で俺に菓子を手渡す必要もないし、そんなことであらぬ疑いをかけられるのも遠慮したい。
「あ、そうだ。学祭で、模擬店でもやったらどうだ?」
「学祭?」
「喫茶とかならお菓子も出せるし、腕の見せ甲斐があるだろ」
「……そういえば、去年はちょうど今くらいに実行委員が選出されてたよね。もうそんな時期なんだ」
 別に、春の作ったお菓子をどうしても食べたいとか、料理上手かどうか確かめたいとかいうわけではない。学祭なら大っぴらにお菓子の持ち込みが出来る、と思いついたので何気なく口にしたのである。
 余談だが、俺たちが通う高校の文化祭は七月の半ばに行われる。近隣の高校の文化祭はほとんどが秋の開催で、夏の文化祭というのは県内でも稀だ。そんな時期になるのは、ウチの高校が曲がりなりにも進学校の端くれだからだろう。先生たちからすれば、早めに学校行事を済ませて受験に取り組んで欲しいという思惑があるようだ。
 しかし、俺の思いつきに春から返ってきたのは意外な答えだった。
「でも、去年は一・二年生の割り当てって教室でやる展示とステージ発表がメインじゃなかった?」
「え?」

 驚いたのは俺だけで、春本人は至って平静に続きを話している。
「模擬店は三年生だけがクラスごとに出してて……あと、他に同好会有志とかがやってたけど」
「……そうだっけ。それじゃ、二年生は喫茶店とかはできないってことか」
「有志でならできないわけじゃないだろうけど、三年生に混じって……って、やり辛いんじゃないかなあ。……ねえ、それより要、去年学祭ちゃんと出てた?」
「物品借用係の仕事は少しやったぞ」
 物品借用とは、近くの高校からテントなどの道具を調達してくる役目。簡単に言えば、運び屋兼力仕事係である。しかし、それも嵩和に『物借にこじつけて女子校に潜入するぞ!』と言われ、なんとなく手伝った程度だ。
 実は去年、俺はクラス展示などほとんど手伝わず、当日も校内の必要最低限の箇所しか回らずに一年目の学祭を終えてしまっていた。学祭に向けたクラスでの話し合いも記憶にないし、春が言った学年ごとの分担にも覚えがない。
「ま、まあその話はもういいや」
 明らかに挙動不審になった俺を見て、春はさらに追求する。
「なーんか、怪しいなあ」
「何がだよ」
「……当日は?」
「えーと……」
「学祭当日は、何の仕事してたの?」
「……サボってた」
「ふう」
 逃げ切れないと悟った俺が正直に言うと、春は大きなため息を吐いて頭を垂れる。
 クラスの仕事を手伝わなかったのは確かにいいことではないが、ああいう準備というのは人数がいるとかえってまとまらないものだ。物借の仕事だって、割り当てられた仕事ではないものをボランティアでこなしたのである。よく考えたら、こんなことで俺が後ろめたさを感じる理由はあまりない---はずだ。ただ、こう面と向かって呆れられると少なからずヘコむ。
 と、自分を無理やり弁護したり、責めたりしているうちに春が復活した。顔を上げて俺を見た彼女は、いつもどおり少し困ったように見える笑みを浮かべている。
「もう。もっと、真面目にやりなよ。どうして出なかったの?」
 春は、まるで親が子供を諭すような口調で俺に優しく尋ねた。
 ――子供扱いかよ。
 そう言われても仕方ないかもしれない、とちょっとは思うので反論はしないが。
「なんか、面倒だったから。俺、そういうイベントとか苦手だしよ」
「協調性のかけらくらい、持ってたほうがいいよ。今年は、さ」
「……ああ」
「うん。……そのうち、お菓子でも食べにまた来たらいいよ。自信作を用意して待ってるから」
「ま、そのうちな」
「……あ、そうそう。この前、寧ちゃんがね……」
 話題は学祭のことから、春が最近仲良くしているという委員長の話へと移っていった。
 俺は微かに違和感を感じながら、その後もどうということもない会話を交わして夕飯までの時間を潰した。
 靄(もや)が懸かったようにぼんやりとした、形にならない何かを俺は感じていた。しかし、この日はその『何か』の正体をはっきりさせることは出来なかったのだ。
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