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7 午後11時

 春が散歩で通ると言っていた、近所の児童公園。小さい頃、よく友達――春を含めてだ――と遊んだ場所だ。
 入り口から中を眺めるが、春の姿は無い。
 ――追い越したってことは、ないか?
 春の言ったとおりの散歩コースでここまで来たんだから、追い越しても見逃すはずはない。とすると、もうここを通過してしまったのだろうか。まさか、誰かに拉致されてたりして――。
 縁起でもない。しかしあいつなら攫われてもおかしくない。さっき転びかけて振り向いた春の顔が、一瞬浮かんだ。少しだけ不安になった俺は、薄暗くて見通しが悪い公園内を手っ取り早く探そうとすぐ側のジャングルジムに登る。高い場所からぐるりと見回すと、公園の奥にあるブランコに座った春が見えた。
 ――なんだ、あんな分かりにくいところにいたのかよ。
 春は漕ぐわけでも揺らすわけでもなく、古びたブランコにただ腰掛けている。その周囲を、犬がのんびりと歩き回っていた。
 ジャングルジムから彼女を呼ぼうと口を開いたものの、吸った息をそのまま吐いた。俺とは違う生き物が、そこには確かに存在していた。夜闇を背景に、春の姿がぼうっと浮かび上がっている。細い手足、首。不健康なほど白く見える肌。青白くさえ見えるうつむいた顔の色を、公園の暗い照明が際立たせる。
 俺は訳もわからず慌てて、地面に降りた。その気分にしっくりくる言葉を捕まえられぬまま、時間だけが経っていく。

 四、五分の間、考えただろうか。送りに来た以上、声を掛けないというわけにもいかない。結局、心はすっきりしないままに、ゆっくりブランコへと歩み寄る。
「はーる」
 俺の声に、彼女の肩がビクリと大きく震えた。
「……?」
 やや間があって、まるで恐ろしいものでも見るかのように春が俺を見た。その動作もなんだかギクシャクしている。
「お、おう」
 片手を上げた俺が近づくと、春はブランコを離れてこちらに歩いてきた。ブランコの周りをぐるぐる回っていた犬も、こちらに気付いて顔を向けた。春は俺に手の届くくらいの距離まで来ると、やっと口を開いた。
「びっくりした。驚かすから、変な人かと……要だったの」
「悪かったな」
 心底ホッとした様子の春を改めて見る。近くで見ても細いし白い。強ばった顔を両手でほぐし、彼女は深呼吸した。
「あ、要のことを言ったわけじゃなくて。一休みしてたんだけど……どうしたの?」
「いや、その」
「帰ったんじゃなかったの?」
 俺の視線に気付いて『どうしたの』と聞いたのかと思ったら、そうではなかったらしい。とはいえ、どっちにしろ母さんに怒鳴られたとも言いづらい。目をそらして口ごもっていると、春は不思議そうに首を傾げた。
 黙っていてもさらに不審がられると思い、慌てて取り繕う。
「やっぱ、危ないじゃねーか」
「あー……ごめんね、わざわざ」
「ま、こんな時間じゃ当然だし。謝られてもなあ」
「じゃ、どうもありがと」
 春の感謝の笑顔に心が痛む。自分に負い目があるぶん、素直に礼をされるとかえって居心地が悪い。
「気にすんな。さ、帰ろうぜ」
 別れ際、春が何か言いかけた。
「要は――」
「何だ?」
「……やっぱり、いいや」
 俺は、ここまで来てやっとペースを取り戻し始めていた。ツッコミにも気合いが入る。
「最後まで言えっ!気になって寝不足になって、テストで赤点取っちまう」
 春は俺の言葉を苦笑しながら聞いていたが、きまり悪そうに言った。
「なんでもないんだけど――要、昔から記憶力いい方だったよね?」
 なにを、今さら。変なことを聞くやつだなと思ったが、とりあえず答える。
「悪くはないぞ。ただし、勉強以外のことはな。なんで、そんなこと聞くんだよ」
「ん、別に。ただ、数学以外の勉強はどうなのかと、思った――だけ」
「なんだ、それだけか」
 相変わらずのマイペースさで言うだけ言って、春は犬を抱き上げた。
「……じゃあ、明日がんばろうね」
「おう。遅刻すんなよー」
「要もね」
 俺は、春が玄関のドアを閉めるのを見届けて家路に着いた。

 俺の長い日曜日はこうして幕を閉じた。尾を引く小さな思いを、いくつか残しながら。
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