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8 朝未き(あさまだき)

「はあ?」
「何だよ」
『信じられない』といったリアクションに、俺は即返事をした。
 勉強会翌日。数学のテストは滞りなく終了し、春のおかげかかなり確かな手応えがあった。上機嫌だった俺は、嵩和からテストの出来を聞かれ、うっかり『春がドジをして云々』という話を漏らしてしまったのだ。奴がこの餌をみすみす逃すはずもない。春が席を外した途端、嵩和は攻撃を開始した。
「お前はそれでも健」
「健全な男子高校生か、って?」
「正解、そのとおりだ!春ちゃんの家で二人きりで夜まで過ごしたというのに何の進展もないってのは、どういうことなんだ」
 いつの間にか、嵩和は春のことを『春ちゃん』と呼ぶようになっていた。彼は基本的に女子を名のほうで呼ぶのだ。
 それはともかく。
「何をして欲しかったんだ、俺に?」
「そりゃまあ――二人がくっついてくれれば良かったんだ」
 相変わらずの世話焼き、というかお節介さだ。どうも、俺と春とをどうしても恋人同士に仕立てたいようである。
「ったく、進展があってたまるかよ」
「あー、細かいなあお前は。なんでそんなに荒れなきゃならないんだよ」
「まず、余計な誤解を招く言い方するな」
 どう考えても、俺と春の間には何もなかった、と思う。しかし、俺には何かに揺さぶられた瞬間が確かにあった。だからこそ、心が波立つのだ。あの気持ちは、何だったのだろう?
「ほんとに全然ちっとも何もなかったのか?」
 なおも、追求は続く。俺は昨夜の気持ちを引きずりながらも、素を装って答えた。
「何もねえよ」
「ふーん?」
 こいつ、まだ何かネタを持ってるな。嵩和の余裕と自信に満ちあふれた表情に、俺は苦笑しながら聞き返す。
「何だ? 言いたいことがあるなら、もったいぶらずに言えよな」
 すると、奴は俺を手招きして近寄らせ、耳元で囁いた。
「お前、気付いてるか」

 特に興味もない古典の授業を聞き流しながら、隣の席に目をやる。春は、かなり眠そうにしながらも必死にノートを取っていた。
 ――よく頑張るよな。夜中に散歩なんかするから、眠くなるんだろうに。
 他人事ながら、睡魔に征服されるかノートに集中するか、どちらかを選べばいいのにと思う。俺ならそうしているだろう。春のこの様子では睡眠も勉強も半端になりそうだ。そんな涙ぐましい奮闘ぶりを横目で見ながら、ついさっきの嵩和の言葉を反芻する。

『お前、気付いてるか?……なわけ、ないだろうな。春ちゃん、最近可愛くなったぞ』
『春が?』
『そうそう』
 小声で話す嵩和に対し、俺は予想外の話題に思わず頓狂な声を上げた。嵩和はニヤリと笑い、うんうん、ともっともらしく何度も頷いた。
『そんなふうには見えねえけど』
『ニブいな』
『だいたい、まず俺が気付くはずだろう。俺の方が圧倒的に付き合いが長いんだし』

 改めて見ても、やっぱり良くわからない。強いて変わったところを言えば、いつも外向きにはねていた髪の機嫌が、今日は良さそうだということくらいだ。
 ――嵩和の勘違いじゃないのか?
 彼の触角は女性に関する話題にだけは驚くほど鋭敏になるので、単に過剰反応なだけという可能性もあるのだが……。
 そもそも俺は、春の何を知っているんだろう。それが分かればどの辺りがどう変わったのか――あるいは、やっぱり変わっていないのか――がはっきりしそうだし、嵩和の言い分も少しくらいは理解できるかもしれない。万が一、俺が殺人的に鈍感で気付かないだけだとしたら、認めないってのも大人気がないだろう。
 それとも俺の場合、小さい頃から見慣れているせいでかえって気付かないのだろうか。
 まあ、細かいことはこの際気にしない。あとは実行あるのみ。こうなれば、もう古典などそっちのけだ。
 ――俺が今、春について知っていることっていうと。
 いい暇つぶしを見つけて少し嬉しくなった俺は、すぐさまノートの隅に1、2、と番号を打つ。

 1.俺よりも成績がいい(らしい)
 2.お菓子を作るのが好き
 3.遅い時間に、毎日犬の散歩をしている
 4.肌が白い
 5.思ったより細い

 ――あれ?
 6.と書いたところで、俺はあることに気付いて思わず手を止めた。それらはすべて、昨日知ったばかりのことだったのだ。
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