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11 靄の中

 次の日の朝は、やたらと早く目が覚めた。実は昨晩も目がさえて眠れなかったので、睡眠時間はほとんどなかったと言っていい。
 それもこれも、原因は昨日の散歩――散歩そのものと言うよりは、目に焼き付いた春の表情にあった。
 春によるとそんな顔をさせた(らしい)のは俺自身だから、さかのぼれば俺が原因だと言えなくもない。とはいうものの事実は靄の中、いったい何が起きたのか俺はまったくわかっていないのだが。
 二度寝はとてもできそうにない心境だったので、壁にもたれるようにして無理やりベッドから身を起こしてみる。
 と、枕元に投げ出された卒業アルバムが目に入った。昔のことを思い出すヒントにと、昨日の夜遅くに物置から引っ張り出してきたものだ。一応、昨晩は努力はしたのである。
 何気なく開いたページには、遠足の昼食時間の風景が写し出されていた。弁当を広げた俺の隣には、春が座っている。

 小学校に上がった当時は、この写真のように春がいつもくっついてきていた。
 例えば、学校から帰るとき。小さな足音に気付いて振り向くと、彼女がいた。毎度のことなのに春は決まって申し訳なさそうに目を伏せ、俺に聞くのだ。
「待って、かなちゃん。……いっしょに――」
 それを聞き、俺はやはり毎度のことながら言ったものだった。
「しょうがないから、ついてきてもいいぞ」
「あ、ありがとう」
 そこで、ふと気付いた。
 ――なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか。
 そうなのだ。十年も前のこと、しかも春に関わることなのに、ごく普通に思い出せている。昨日ちらついた春の言葉も、あのころ聞いたはずなのだが。
 どうも、そこだけがぼやけたままだ。

 俺が始業五分前に教室に入ると、春はすでに着席していた。
「嵩和、春、おはよっス」
「ちーっス」
「おはよう」
 いつも通りの挨拶に、春はいつも通り答える。が、どこかぎこちない空気は、俺の気のせいではないだろう。俯き加減、横顔が髪に隠れているので本当のところはよく分からない。もしかしたら、『いつも通りに見える』だけだろうか。昨日、俺が目を逸らしてしまったあの表情をまだ浮かべているのかもしれない。
 気まずい雰囲気に支配されそうになったところに、嵩和が後ろの席から身を乗り出した。
「眠そうだな、要。怪しい深夜番組でも見てたのか」
「あー、まあな」
「ダメだなあ。良い子は夜は早く寝ないと。なあ、春ちゃん」
「……だね」
 気のない返事である。どうやら、彼女もまだ散歩の途中――昨日から抜け出していないようだ。
「二人とも、ノリ悪いなあ」
 嵩和も場のムードに気付いたらしく、俺と春の顔を見比べると無言で着席してしまった。
 朝のホームルームでは、間近に迫った学祭についての話し合いが行われた。今年も嵩和と物品借用の仕事をこなした俺は、もう学祭終了後の返却作業しかやることはない。ぼーっと考えごとをしている俺にも、分担された各係の仕事の進行状況を担任がチェックする声が聞こえてくるが、どこも順調そうだ。
 ひととおり終わったところで、担任が頭を掻きながらぼやいた。
「ところでお前ら、学祭が近いからって最近ちょっとたるんでるんじゃないか? 先生方から、落ち着きがないって苦情が来てるんだが」
 抗議の声がクラスのあちこちから湧きだす。
「チクったの誰だよー」
「全然うるさくないよな」
「その妙な団結がたるんでるって言われてるわけだな。……よし、わかった。席替えするぞ」
 途端に猛烈なブーイング。しかし、それも無駄な抵抗だった。
「環境が変われば少しは緊張感が出るだろう。……綿貫、くじでも作って今日中に新しい席順決めておくように。明日からは新しい席だからな」
 担任は自分が劣勢なのを悟ったらしく、委員長の返事を聞くと「今日のホームルームはこれまで」と言ってそそくさと退場した。
 その日、春が『昨日のことは気にしないでね』と言ってくれるのを待っていたが、その瞬間は訪れなかった。席替えは無事終わり、俺と春は教室の端と端に離れて座ることになった。
 席替えを境に、俺と春との間には会話がなくなった。春は、俺が――俺や嵩和がいなくても、普通に生活している。
 当たり前だ。
 いつも通りの日々の繰り返し。始業式より前の状態に戻っただけだ。それがどうして、こうもつまらないのだろう?

 俺と春とが再び向き合う事になったのは、学祭の前夜祭終了後のことだった。
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