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13 記憶

 今まで、たびたび心に引っかかってきた記憶が、心の奥底から大きく浮かび上がる。

 どうしたんだ、春。そんなところで泣いてないで、顔を上げろよ。
 春が、泣きながらゆっくりとこっちを見た。
 腕を、体を、そして顔を赤く染めた春――『今』の彼女だった。蘇った思い出の中の小さな春と、さっき見た光景が重なった。

 思い出はセピア色だなんて、誰が言い出したことなのだろうか?
 それは、鮮やかな七色に彩られたまま厳重に包みこまれ、心の底に沈められていた。

 小学校一年生の時だった、と思う。
『ねえねえ、かなちゃん。虹の根っこのところには、宝物が埋まってるんだって。見たいよねえ?』
 きっかけは、春の何気ない一言。他愛ない、よくある言い伝えを、彼女は口にした。その頃の俺には理由なんてそれで十分だった。
 雨上がり、小学校からの帰り道。
 その日は、虹が出ていた。今にして思えば自分の小ささを思い知らされるような、大きな大きなアーチが見事に空に掛かっていた。
 春は、冒険に出ようとした俺の後をいつものように追ってきた。いくら断っても帰らない春から逃げるため、俺は全力で走る。今回だけは、連れて行くわけにはいかなかった。春に内緒でないと、彼女の驚く顔が見られない――そう思ったから。
 無事に戻ったとき――あの虹の下から宝物を持ち帰ったとき、春はいったいどんな顔をするだろう?
 彼女は喜ぶとき、どんな歓声を上げるのだろう?
 足音が聞こえなくなったことに満足し、別れを告げようと振り向いたとき、俺の中の浮かれた気分は一気に凍り付いた。
 俺が見たのは、遙か後ろでうずくまっている春。身動きしない彼女に恐る恐る近づいてみると、左の頬と、抱えた左足が赤く染まっていた。
 追い打ちを掛けるように夕立に襲われ、たちまちすぐ側の自宅に帰るのもままならないほどの豪雨になった。雨を避けようと、泣きじゃくる春を引きずるようにして手近な遊具の陰に押し込み――それからは、思い出したくもない。

『痛いよう……』
『お前が、鈍いから』
『……ごめんなさい』
『お前が悪いんだぞ』
『……ごめんなさい……』
『来るなって言ったのに、ついて来るから』
『……』
『お前なんか、足手まといなんだよ!』

 春が勝手に転んだんだと言い聞かせても、女の子の顔に傷を付けてしまったということの重大さだけはぼんやりと把握していた。
 しかし、俺は春を責めることしかしなかった。いっそう濃くなる赤い色と、雨の音にかき消されそうなすすり泣きが、苛立たせ――挙げ句の果てに、俺は彼女を置き去りにしてその場から逃げたのだ。
 記憶の底に隠していたのは、女の子――大好きな女の子を傷つけたという取り返しの付かない事実。俺はあの日から、一歩も前に進んではいなかったのだ。
 自分を守るために、十年間も知らないふりをしてきた。春への思いを忘れてしまえば、罪悪感も逃げた卑怯な俺もすべてなかったことにして一緒に忘れられるから。
 『思い出は忘れちゃったら意味ないよ』と、春は言った。
 では、思い出を取り戻したとき――それが意味を持ったときには、どうしたらいいのだろう?
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