five-star

PREV | NEXT | INDEX

3 涙と桜吹雪

 塚原遍を酔っ払いから助けてから数日。
 ソフトボール大会も無事終わり平穏が訪れたある日、俺はいつものように嵩和と昼食を取っていた。
「昼飯食ったら芸術だな」
「移動が面倒。貴重な休み時間を少しでも潰すのはもったいない」
 嵩和は俺の何気ない一言を、らしくない怠惰な台詞で返した。いつもの嵩和のイメージを赤や黄色と例えるなら、今日は紫とかダークブルーとか、そんな気だるい雰囲気の色になるだろう。
 うちの学校の芸術科目は音楽・美術・書道のうち一つを選ぶシステムになっている。俺と嵩和が選択しているのは音楽。俺たちの教室は二階、音楽室は一階の特別教室群の一角にあるので移動距離はそう長くないはずなのだが。
「それ、授業の内容以前の問題だろ? もっと何か感想はないのかよ」
「いや、ソフトボールが終わったと思ったら今度は朝練が始まってさ。休み時間は休んでたいんだよな」
 そう言いながら、嵩和はわざとらしく欠伸をした。タフな彼でも、さすがに毎日毎日早起きでは辛いようだ。今日の嵩和は糖分で疲れを癒すためなのか、粉砂糖がたっぷり掛かった菓子パンを頬張っている。俺なら見た目だけで腹いっぱいになりそうな逸品だ。
「2−D、面白いやつ多いから楽しくないか?」
「いくらメンツが面白くても、授業は授業だからなあ。例の『歌姫』でもいれば音楽も大いに楽しいんだろうけど」
 芸術の授業は体育同様、隣のD組との合同授業になる。嵩和を慰めるために自分で言い出したことだが、体育と違って音楽ではチームを組んでの対抗戦などは期待できないからメンバーが変わるメリットは皆無だ。
「また女子の話かよ。音楽終わったら今日は放課だろ、お前は後ろの席でこっそり寝てろ」
「2−Dの女子と言えば祟りっ子だな。お前、始業式んとき知り合いになったんだろ?」
「祟りっ子? ……ああ、塚原のことか?」
「そうそう、塚原。その後何か進展あったか?」
「……あったといえばあったかもしれねえな」
「何だよ。誰にも言わないからさ、教えろよ」
「いや、なりゆきでさ。酔っ払いに絡まれたのを助けたんだ」
 ややためらいはあったが夜の公園での一部始終を伝えると、嵩和は目を丸くした。
「そりゃまた大胆な。関わるなって言われたんじゃなかったのか?」
「だって、放ってはおけねえだろ」
「そりゃそうだけど……うーん、俺だったらそのまま逃げるかもな、平穏に暮らしたいし」
「祟りは怖いか」
「ああ。祟りっていうか、学校で白い目で見られるのは嫌だからな。触らぬ神になんとやら、だ」
 嵩和は苦笑しながらそう言ってパンの袋を丸めると、教室の隅のゴミ箱目掛けて投げた。袋は見事にゴミ箱に吸い込まれていった。
「……まあ、な」
 噂が親友にまで浸透しているのには正直驚いた。嵩和は実際に目の前に困っている女の子がいたら放っておけない奴だとは思うので、本心からの言葉ではない――と信じたい。人間はそういう事態に直面してみないとどう行動するかはわからないものなのだと身を持って知ったばかりで、俺だってあの時塚原を助けるかどうか迷ったのは事実だから嵩和のことは言えない。
 嵩和は立ち上がって伸びをすると、未だに不服そうな顔をしているらしい俺の肩を叩き「早めに行って席取ろうぜ」と言い残して音楽室へと向かった。俺も、慌てて彼の後を追った。


 音楽の合同授業は塚原も一緒のはずだったが、今日は早退したのか出席していなかった。今日はビデオ鑑賞が中心になるようで、嵩和はこれ幸いと音楽室の照明が落とされたとたん机に突っ伏してしまった。爆睡する嵩和の隣で何とかという歌劇をBGMにしながら、俺は先日の出来事に思いを巡らせる。暗くなった教室は考え事にうってつけの場所だった。
 音楽教師はビデオに集中しているらしく、生徒のほうなど気にしていない様子だ。俺は思いついて、ポケットからこっそりケータイを取り出すと内蔵されている簡易電子辞書を呼び出した。検索欄に『たたり』と入力して決定キーを押す。

『祟り』
1.神仏や怨霊(おんりょう)などによって災厄をこうむること。罰(ばち)・科(とが)・障りと同義的に用いられることもある。「山の神の―」
2.行為の報いとして受ける災難。「悪口を言うと、後の―が恐ろしい」

 解説を読みケータイを閉じると、思わず鼻で笑う。
 ――ばかばかしい。祟りなんて、あるはずないだろう。
 塚原が祟るというのは彼女に関わった報いとしてひどい目に遭うという意味だが、塚原と周囲のやつらのケガとの間に何か関係があるという証拠はない。事実、クラスが一緒だとか告白したとか付きまとったとか程度の違いはあるにせよ、彼女に関わったたくさんの人間のうち、『祟りに遭った』と言われているのはその中の数人だけだ。塚原の容姿や徹底した人嫌いがまわりからマイナス要素に見られる――要するに祟りという陰鬱な言葉が似合うことが災いしているところはあるが、ごく単純に、常識的に考えるなら偶然が重なっただけなのではないのか。
 頬杖をつきながらボーっとビデオを眺めると、画面上では歌合戦が行われているようだ。自分のことは棚に上げ、ここまでの展開が分からないと見ても面白くないな、と再び思考の波に呑まれてみる。
 ――いじめられてるって感じ、しないんだよな。
 話をしてみて、塚原は俺だけではなくみんなに『自分に関わるな』と告げているように感じた――あくまで俺の主観だから、言い切ることはできないが。そう言えば公園での塚原は噂とは口にしても、いじめという言葉は使わなかったように思う。
 だとすると、彼女が孤立しているのは良からぬ噂のせいで周囲が引いているのではなく、周りの生徒が塚原の忠告どおりにしているだけなのだろうか。では、あの台詞はいじめではなく噂、つまり『祟り』に巻き込まれるから近づくなということだったのか。では俺もそのうち、災難に遭うのだろうか。
 隣の嵩和のいびきが聞こえ、そこで我に返った。嵩和に言えば、きっと俺が彼女を庇い過ぎている、あんまり気にしすぎるとお前まで祟られるぞ、と笑うだろう。しかし、胸に何かが引っかかるのだから仕方がない。
 ちょうどビデオが終わって教室の明かりが点いたので、それ以上脳を使うのはやめることにした。いくら考えたって堂々巡りになるだけ。結局、塚原本人に聞いてみないと答えは出ないのだ。

 その日の放課後、いつもの場所を通ると早退したはずの塚原がいた。この前ナンパ男に絡まれたばかりなのに同じ場所にいるなんて学習しないやつ、と思い辺りを見回すが、やや薄暗いこの一角には人気もなく、周りの賑わいからは隔離されたように静かだった。今日初めて気づいたが、ベンチ脇に立てられた標柱には市指定史跡と記されていた。遺跡か何かなのだろうか。そんな陰気な場所であれば、近づく人もいないわけだ。
 よく晴れた空、満開の桜の下で、一人座って文庫本を広げている彼女の姿は出来すぎていて、絵画のような構図だった。その風景に土足で上がりこむように、俺はベンチに近づくと塚原に声を掛けてみた。
「塚原さん」
 読んでいる本に俺の影が落ちるほどの至近距離で話しかけているから聞こえていないはずはないのだが、彼女はそのまま読書を続けている。花びらが風に舞うさらさらという音だけが俺の耳を打っていた。しばらく黙って様子を伺ってみても、返答はない。
「塚原さん。今日は早退したんじゃ? 音楽、出なかったですよね」
 今度は俺を一瞥すると、何も言わず再び手元に視線を落とした。聞こえてるけど相手にするつもりはないですよ、というアピールだろう。無視を決め込むつもりらしく、会話にすらならない。
 沈黙に耐えられなくなった俺は無意識に情けない吐息をついていた。これ以上『祟り』のことでもやもやして睡眠不足にでもなったらそれこそある意味『祟り』だし、現に音楽の授業中に休養できなかったのは彼女のせいだ――逆恨みだが。祟られないうちに、早いとこ疑問を解決してこの場を去りたいのだが――。
「俺の『彼女』の、遍さん」
 試しに、先日酔っ払いを追い払ったときの設定で名前を呼んでみた。俺がもし塚原の立場だったら嫌でも反応せざるを得ない、というよりはムッとして何か言い返さずにはいられないだろう。
 すると、案の定やや怒気をはらんだ声が返ってきた。わずかなトーンの変化だが、しっかりと感情が乗せられた声だ。
「何ですか、それ」
 なけなしの勇気を振り絞ったのが良かったのか、好意的とは言えないが一応返事をもらえた。膝の上の本をパタンと閉じると、塚原は少しだけ目を細めて俺を見上げた。
「関わらないでって言ったでしょう。……確かに、忠告したはずです」
「いつもここで何やってるんですか? 俺が知ってる限り、ほとんど毎日来てますよね」
「毎日というのはお互い様です。……見ての通り、本を読んでます」
「他に理由は?」
「ありません」
 俺がここを通りかかるのは一応通学路として利用しているからだが、彼女はどうもそうではないらしいことはなんとなく気づいていた。とはいえ、読書のためだけに毎日通っているというのはいかにも嘘っぽい。
「信用してない、って顔ですね。……一つ、教えておきます。ニュースで聞いたかもしれないけど、この公園で花見客がケンカ騒ぎで怪我をしたって」
「そういえばそんなことあったような……。テレビで見たけど、それが何か?」
 数日前、夕方の番組で読み上げられていたニュースはまだ記憶に新しかった。男子大学生グループが花見の最中に酔っ払って揉め、結果三人が怪我をしたという、今の季節にはよくある話。しかし、塚原の次の言葉は『よくある話』を一気に俺のごく身近なところへと引き寄せた。
「あれ、この前私に絡んできた人たちです。一人は足を折ったし、一人は十何針か縫った。もう一人は前歯が折れました。これがどういう意味か、分かりますか」
 あいつらか――俺は、自分の顔から血の気が引くのが分かった。塚原が、自分に近づいた者には不幸が訪れるのだと認めている。周囲の人々に降りかかる災難は偶然ではなく、彼女自身のせいだと。さっき辞書で調べたばかりの『行為の報い』、それはつまり。
「……祟り?」
「そうです」
「それが、塚原さんのせいだって? 単なる偶然なんだろ? まさか、塚原さんがみんなに怪我させてるってのか?」
 当たり前のようにうなずく塚原に、俺は矢継ぎ早にたたみかける。少し間があって、やがて塚原は微かに息を取り入れると顔を上げた。
「直接的に私があの人たちに何かしたわけじゃないけど、原因は私にあります。要さんだって、痛い目に遭うのは嫌でしょう。あの大学生たちみたいになりたくなければ私を放っておいて下さい」
「だから、周りに人を寄せつけないようにしてるのか。みんなに迷惑かからないように、塚原さんを好きだって声かけてくれたやつも全部フって? どうしてそこまでしなきゃならないんだ。『祟り』って何なんだよ?」
 非難するかのような俺の口調に、塚原は下唇を噛んで俯く。その何かを耐えるような表情は始業式の日、見た覚えがあった。
 それで確信した。きっと授業中の俺の推測は間違ってはいない。
「……今日はもう一切口を開かないから、粘っても無駄ですよ」
「ほんとは皆と仲良くしたいんじゃないのか。そんなんで、毎日楽しいのかよ」
「楽しくはないけど、満足はしてる。……これで、最後です。あなたは、今ならまだ間に合うはずだから。……もう帰ってください」
 塚原は立ち上がって俺にそう宣告した。膝の上に置かれていた文庫本がバサッという音を立てて地面に落ち、薄桃色の花びらが舞い上げられる。
 俺は、触れてはいけないことを言ってしまったのだと悟った。塚原の周りで何かが起きているのは確かだが、彼女にはそれを止める術がないのだろう。『祟り』というのが何かは知らないが、塚原は危害が及ぶことを恐れ、俺の身を案じて自ら遠ざけてくれている。そんな日々が幸せなわけがないのに、俺は無神経にもそれを指摘してしまったのだ。
 彼女の目元は紅潮し、覇気に乏しい瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。思えばほぼ初対面に近いはずなのに、いつの間にか丁寧な言葉遣いすら吹っ飛んでいた。語気を荒げて詰問し、挙句の果てに泣かせてしまった。しかも女子を相手に。
「なんか怒ったみたいになって、悪かったな。ごめん。……酔っ払いには気をつけろよ」
 激しい自己嫌悪に襲われた俺は一言詫びると、彼女に背を向けて歩き出した。再び、桜吹雪の音のみが響いていた。


※ 文中の辞書の語義解説は「大辞泉(小学館)」より引用させていただきました。
PREV | NEXT | INDEX

-Powered by HTML DWARF-