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4 刃と昔話

 俺は後ろ髪を引かれる思いで公園の出口へと向かっていた。いつもは感じない自転車の重みが妙に堪え、機械的に歩みを進める。とりあえず考え事に集中でもしなければ、動けそうになかった。
 ――何であんなに熱くなっちまったんだ? 嵩和じゃないけど、俺らしくもない。
 塚原本人のことは少しだけ分かった気がする。酔っ払いに絡まれてまでもただ黙って耐えていたのは、助けを呼ぶことで自分に関わる人間を増やしたくなかったからだろう。その上、彼女はクラスメートのみならず、自分に絡んできた当の酔っ払いの身さえも案じていたようだった。そうでなければ、彼らのケガの程度まで塚原が知っているわけがない。結局、『祟り』の詳しい話は聞けずじまいだったが――。

 振り返っても塚原が見えなくなるくらいの場所まで来たとき、俺は急に寒気を感じた。自分の体温がどこかに吸い上げられるような激しい体の冷えに襲われたかと思うと、今度は何かに足を取られてつまづく。
「わっ!」
 押していた自転車のハンドルが手から離れたかと思うと、俺は転倒していた。地面に胸をしたたか打ちつけて、痛みで一瞬息が詰まる。慌てて立ち上がろうと両腕で体を支えようとするがうまく力が入らない。左足に得体の知れない冷たいものが纏わりつく感覚があったかと思うと、その何かが徐々に俺の足首の辺りを締め上げ始めた。鈍い痛みが体を駆け抜ける。
「いってぇ」
 転んだ衝撃で自由にならない体をよじって足元を見たが、何も巻きついてなどいない。なのに締め付けはどんどん増し、それににつれて寒気がひどくなり始めた。
「やば……誰か……」
 助けを呼ぼうにも寒気と痛みで腹に力が入らず、まともな声が出せない。うつ伏せた体から力が抜け、歯がガチガチと音を立てて鳴り出した。じわじわと恐怖が頭をもたげてきた。もしかして、これが祟りというものなのではないのだろうか。塚原に関わりすぎたからなのか、だとしたら俺もこのまま病院送りになってしまうのか。
 ――『誰もいないはずのところで転んだ』、そういや嵩和もそんなこと言ってたような――。
 気が遠くなりかけたその時、凛としたよく通る声が辺りの空気を震わせた。
「要さん! しっかり!」
 声をきっかけに足への締め付けがやや緩んだ。我に返って、機を逃さずありったけの力を込めて体を仰向けにすると何事もなかったように視界に青空が戻る。その空を背に浮かび上がった影は、眩しく光る抜き身の刀を握り締めた塚原だった。
 ――何で塚原がここに? ……刀? 本物?
 いつもの様子からは想像もつかないその声が塚原のものだとは思いもしなかった。彼女は制服のスカートを翻して駆け寄ってくると刃を俺の足元で振るった。下段で短めの刀身が空中を薙ぎ、風圧で砂埃が上がる。
「消えなさい!」
 すると、不思議なことに俺の足の圧迫感は嘘のように消え去った。塚原は刀をその場に放り投げ、「大丈夫ですか?」と俺の視線に合わせるように片膝を付いてしゃがみ込んだ。
「何だかわかんないけど足が痛い。あと、寒気」
 やっとのことでそれだけ言う。痛みも寒気も塚原が現れてからは引いてきていたが、気分は最悪だ。
「ちょっと見ていいですか」
 塚原はまだ倒れたままの俺の左の靴下を少しだけずり下げた。靴下にわずかだが血が染みていること、足首が内出血でもしたように赤黒く変色していることを確かめると、彼女はがっくりと肩を落とした。
「ごめんなさい」
 しゃがんだまま深く頭を垂れると、長い髪が肩から落ちて桜の花びらが積もる地面をこする。隠れていた細い首が露になって、俺は目を逸らした。それをごまかすように尋ねる。
「もしかして、これが祟り?」
 ゆるゆると顔を上げ、塚原は悲しげな顔でこちらを見た。
「……とりあえず、傷を治療しないと。さっきの場所まで戻りましょう」
「俺には、何が何だか」
 詳しくは知らないものの、彼女のせいでこんな目に遭っているはずなのにさっぱり腹が立たない。こんな顔を見せられてしまってはなおさらだ。俺は青空を仰いで大きくため息をついた。

 幸いなことに無事だった自転車を、通路の端へと寄せてもらう。
 俺は足の痛みと寒気で立つのがやっとの状態だったため、塚原の肩を借りて歩いていた。傍から見ればどうにも照れくさいシチュエーションだが、俺はそんなことを考える余裕も無かった。
 塚原は見た目よりもずいぶんタフらしく、先ほどのベンチまで息が上がることもなく俺を支えてくれた。カバンから包帯や消毒液を出しながら、塚原は「私のこと、怖くないんですか」と呟いた。
「え? ……だって、良くわかんないけどさっきは俺を助けてくれたんだろ?」
「ええ、でも」
「俺は別に塚原さん自体が怖いわけじゃない。『祟り』は怖いけど」
 すると、彼女は小首をかしげた。
「……要さん、変わってるって言われませんか」
 あんたほどじゃないと言う元気は、今の俺には残っていなかった。塚原はしばらくきょとんとした顔で何か考え込んでいたが、手当ての最中だったのを思い出したのか一旦止めた手を再び動かし始めた。
「靴下、脱がせちゃってもいいですか。……出血は少ないですね。ただ、足首は後から青アザになるかもしれません」
 左足は若干腫れてはいたものの、痛みのわりに傷口は小さかった。彼女は手早く傷を消毒し、慣れた手つきで器用に包帯を巻いていく。先ほど凶器を握っていた手と同じものだとはとても思えない、白くて長い指が俺の足の上でせわしなく働いている。そういえば、さっきの小太刀のようなものは俺が気づかぬうちに隠されたらしく、いつの間にか見当たらなくなっていた。
「ありがとう」
「お礼なんて言わないでください。私のせいでこうなったんですよ。やっぱり変です、要さん」
 ずいぶんな言われようだが、それでも取り付くしまもなかった最初のころとは比べようもないほど饒舌だし、俺に対する表情もだいぶ柔らかく、豊かになってきたような気がする。塚原に自分を否定されるのにはかなり慣れた。何を言われても、他人と必要以上に距離を取ろうとする彼女の生き方に気づきさえすれば言葉の裏にある優しさがおのずと見えてくる。
「変わってるのは自覚してるよ。で、俺に分かるように何が起きたのか説明って……出来そう?」
「巻き込んでしまったからには、話さないといけないですよね」
「塚原さんがそれでいいんならな」
「話すのはあまり得意じゃないので分かりづらいと思いますが、努力はしてみます。……でも、てっきり寄るなって言われると思ってました。みんな気味悪がって、こうしてケガした後私と口を聞いてくれた人なんていませんでしたから。……ええと、何から説明したらいいんでしょう」
「俺に言われても」
「そうですよね」
 ふうと小さな吐息が漏れ、それで肩の力が抜けたのか彼女はぽつりぽつりと話し始めた。傷が気になるようで、視線はたびたび包帯が目立つ俺の足元あたりをさまよう。
「……これ、何だか知っていますか?」
 彼女はベンチ横の標柱を指差した。先ほど俺が気にしていた市指定史跡を示す柱、そしてその隣に設置されている由来を説明した看板には『狐殿塚』と記されているが、そう大きなものではないし古ぼけてきているため全く目を引かない。俺のように公園を通り抜けるだけの人間は、ちょっと奥まった場所にあるこのベンチに座らない限りは気にも留めないだろう。
「いや、さっきはじめて気づいた。これ、なんて読むんだ?」
「『きつねどののつか』です。ここ、ちょっとした丘のようになってますよね。これが、塚。……お墓です」
 柵で囲まれた中にあるのは、中学の社会の資料集か何かに載っていた円墳に良く似た小山。頂上には、苔むした石が置かれている。
「墓? その、狐殿ってのの墓か?」
「ええ。その昔、ここに城を構えていた殿様です。狐狩りを趣味としていた彼に付けられた呼び名が『狐殿』――」

 数百年前の城主、狐殿は狩りが大好きで、暇さえあれば山へと繰り出していた。当時この辺りはまだ今ほど開けておらず、野山にはたくさんの狐たちが住んでいた。毛皮も肉も必要ではないのに、狐を特に好んで狩ってはむごたらしく殺す殿様を諌める声は多かったらしいが、彼はまるで聞く耳を持たなかった。虐げられた狐たちは、いつか狐殿に一泡吹かせてやろうと知恵を寄せ合って策を練ってはいたが、なかなかいい案は浮かばず、迫害にじっと耐える日々が続いた。
 そんなある時、領地が近隣の国に侵され、狐殿は自ら国境(くにざかい)まで出陣して行った。狐たちは今こそが仕返しの機会、奴にも同胞を手にかけられる苦しみを思い知らせてやろうと企てた。
 主が留守の間に、化けることが得意な一頭が狐殿に姿を変え、彼の息子の前に現れてこう告げた。
『戦は我らの負けだ。父は腹を切る。お前も覚悟を決めるのだ』
 若殿は父に化けた狐の言葉を疑いもせず、自刃して果てた。狐殿の奥方が夫と息子の後を追おうと刃を握ったその時、戦に勝った本物の狐殿が意気揚々と凱旋してきた。狐殿は溺愛していた一人息子の変わり果てた姿を目の当たりにして、悲しみと怒りのあまり、『狐の仕業か』と言い残して堀へと身を投げてしまった。残された人々は狐の祟りを恐れて、立派な墓は作らずに、土を盛っただけの簡素な塚に狐殿を葬った。こうして狐殿のお家は絶え、狐たちの復讐は成功した。

 どこかで聞いたことがあると思ったら、俺が小学校のころ発表会で上演した、郷土の昔話を題材にした舞台だった。そう考えると比較的メジャーな話なんだろうが、俺の記憶では、乱暴な殿様に狐たちが仕返しをして更生させたという程度の筋書きだった。その元が塚原の言うような血なまぐさい伝説なら、ソフトな内容にリライトした教師たちの判断は正しかったと言える。そうでもしなければ、子供には強烈なトラウマとなっていたことだろう。
 彼女の話はなおも続いていた。
「この看板にも書いてあるように、ここまでが『狐殿塚』の言い伝えです。そしてここからは、その続きの部分――私の家に、代々伝えられている歴史です」

 狐たちは死んでもなお彼に狩られた恨みが忘れられずに、塚を荒らしにやってくるようになった。一方で、愛する息子を死に追いやった狐たちへ憎しみを抱きながら死んでいった狐殿もまた、眠りを妨げようとする狐への怒りで荒ぶる怨霊となり果てた。
 このままでは、どちらが強くなっても人々に害をなす。そう考えた狐殿の奥方と娘たちは両者を鎮めるための力を得ると、墓を守ることに生涯を捧げた。狐殿の暴挙を止められなかった自分たちを戒めるために名も『塚原』と改め、刃を振るって寄って来る狐の霊を斬り、符をもって荒れ狂う狐殿を封じ――。それから今に至るまで、何代も何代もその使命は受け継がれてきた。

「……今は、私が塚を守っています。何を言ってるんだ、って思いますよね。……仕方ないです」
 塚原は、足元を見たままでそうこぼした。体がとうになくなり、霊魂となってまでも互いに憎みあっている殿様と狐たち。それを止めるため、刀を握る『狐殿』の子孫の塚原。まるで漫画か映画のような突飛な話だ。しかし――。
「信じたくないってのが正直な気持ちだ。でも、足の傷がある限り何かに襲われたのは現実のことだし、塚原さんが何かを斬って俺を助けてくれたのもこの目で見た。だから、今は塚原さんを信じるしかないよ」
 俺は足首の包帯を指差して彼女に言う。まだ真っ直ぐに彼女の話を受け入れたとは言いきれないが、塚原はそれでも嬉しかったのか、普段より多少上ずった声で「ありがとうございます」と答えた。
「で、結局さっきのは何だったんだ?」
「説明しづらいんですけど……。普通の人が私と過度に触れ合うと、あちら側に引き込まれるというか、目には見えないものに介入したりされたりしやすくなったりするというか――私の『力』にシンクロしてしまって、今まで気づかなかった狐たちや狐殿の存在が感覚的に分かるようになるみたいなんです。慣れない人には寒気や吐き気のような体調の悪さで現れるみたいですけど、要さんはどうですか」
「確かにまだ寒気がするな。分かりやすく言えば、霊感がうつるってこと?」
「ええ、例えて言えばそうですね。……要さんが彼らに反応するようになると、逆にあちら側も要さんの存在に気づいてしまうんです。自分たちに干渉できる者が塚原の他にも現れたのだ、と。当然、消される前に消そうとしますよね」
 つまり俺が先ほど受けた『祟り』は、狐や狐殿が自分の身を守るため、塚原に関わる人間を攻撃した結果なのだろう。
 とは言っても俺はせいぜいセンサー代わりに寒気を感じるだけであって、彼女のように霊と闘う術など持っていない。今回は塚原が助けに入ってくれたから良かったが、一人でいるところを狐や狐殿に襲われたらひとたまりもない。そいつらのターゲットにならないように、塚原は再三忠告してくれていたのだ。
「それで、私に関わらないでくださいってことになるわけだ」
「普通の人は、祟りの噂があるだけで私に近づこうとはしませんでした。それでも話しかけてくれた人たちを、私は守りきれずにケガをさせてしまった。もう、誰かが傷つくのは見たくありません。……だから、要さんとも今日でお別れです」
 そこで塚原は唐突に立ち上がると、カバンを突きつけた。差し出された自分のカバンを思わず受け取ってしまった俺の体を、彼女は強引にくるりと回した。
「もう、肩を貸さなくても歩けますよね。……さあ、行ってください」
 背後からの声に、俺は慌てて塚原に向き直った。声を多少荒らげ、彼女に食ってかかる。
「お別れって――ちょっと待てよ。さっき言ってたじゃねえか。楽しくないんだろ? みんな、塚原さんがこうして闘ってるのも知らないで勝手に気味悪がって、ひどい噂まで流して。塚原さんはそれでいいのかよ」
「だったらどうするっていうんですか」
 俺とは対照的に静かに淡々と、塚原は自分の思いを語り始めた。
「みんなに今の話、説明するんですか? きっと変な目で見られて終わりですよ。あなたまで孤独になることはありません。……私以外の誰にもできないことなんですから、塚と狐たちが存在する限りは闘わなければいけないんです。それで要さんや他のみんなが無事に暮らしていけるのなら、いいんです」
 『神仏や怨霊などによって災厄をこうむること』。
 祟りという言葉は、周りの生徒たちではなくむしろ塚原にふさわしい。彼女自身には何の落ち度もないのにこの塚に縛られ、毎日のようにたった一人であの世のものたちを狩って――。
 労ってくれる人などいなくとも、優しい塚原はきっとこの先も狩りを続けていくのだ。誰かが傷つく、という理由があるから。
「……今日は帰るよ。それでも――それでも、俺はそんなの我慢できない」

 まだ少し痛む足を引きずりつつ、俺は狐殿塚を後にした。自転車を取りに先ほど何かに出くわしたあたりに戻り、なんとなく振り返ると遠くにぼんやりと塚の輪郭が確認できたが、彼女の姿までは見えなかった。
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