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8 覚醒と決着

「やめて!」
 いやらしく口元をゆがめる褐、考え込む俺。再びの沈黙の中に、ずいぶんと吐息混じりの塚原の悲鳴が響き渡る。
 塚原に聞いた話を反芻する。狐たちや狐殿を封じる力を持った奥方は今日まで血を繋ぎ、『塚原』として続いてきたと、彼女は話していた。塚原はその子孫だから、褐の話が本当ならば彼女も狐の血を受け継いでいるということになるのだ。
 褐は彼女の声を楽しむようにひげを揺らして笑いながら、俺の心を読んだかのように続けた。
「塚原には、狐の血が混じっているのだ。我らの同胞のな。突き詰めれば、そこの娘も我も一緒ということだな。……だからこそ、塚原は異能の筋と成り得たのだ。その娘もあやかし混じりさ。しかもとびきりの力を持つ、より我らに近い位置のな」
 神経を逆なでする仕草だが、おそらくはこちらを動揺させるためにわざとやっているのだろう――そう自分に必死に言い聞かせる。むしろ塚原のほうがいつもの冷静さを失っているのが気掛かりだった。
 塚守の強さは、褐と同質の力からくるもの。褐の言葉――『血が騒いでお前があの娘の餌食になるかもしれぬな』という意味が、やっと分かった。
 なおも、褐は饒舌に語り続ける。
「その娘の強さは、狐殿の妻となった奴を思い起こさせる。……奴はな、我らの中でも特に力があって、化けるのが上手いいい女だったよ。狐殿を消すために送り込んだというに、上手く化かしたと思った矢先、こともあろうに仇敵に惚れて子まで成してしまった。おかげで、後々までこうして苦労することになるのだ」
「黙れ!」
「必死だな、塚守。……そこの小僧に醜い姿を見られたくないからであろう? その娘の本来の力はそんなものではない。化け物の本性をむき出しにすればもっと自由に戦えるはずだ。殊勝な心がけだな、妖の分際で。馬鹿な娘よ」
 塚原は息を呑むと、ひどく悲しそうな顔で俺を見た。
 俺がいなければ、塚原はこんなピンチに陥らなかったかもしれない。こんな土壇場で、俺は枷になってしまうんだろうか。
「ならば、丸腰でやられっぱなしのまま死んでいくがよい!」
 戦意を喪失しかけた塚原を褐が襲う。ビシリという鞭を打つような音と共に、体当たりをまともに食らった彼女は俺のすぐ手前まで飛ばされ、地面に顔を打ち付けて昏倒した。
「遍さん!」
 塚原の顔は泥まみれになり、唇は切れて血が流れ出していた。いつもの端正な姿は見る影もない。
 あんなに強い塚原が、こんなに簡単にやられるはずがない。俺はぐったりと力を失った彼女を抱き起こすと、顔の汚れを手で拭う。それが功を奏したのか、小さなうめき声がして塚原が意識を取り戻した。
「大丈夫か?」
「……あ、はい」
 塚原はあっという間に復活していた。開いたばかりの瞳の視点はきっちりと俺に定まり、言葉もしっかりしている。俺の腕に全面的にかかっていた身体の重みもすぐに感じなくなり、俺は塚原のタフさを思い知った。
 ところが、目覚めた彼女はゆっくりと身体を起こすと、冷たい地面に座り込んで俯いてしまったのだ。
「要さん。……ごめんなさい。やつの言うとおりなの。私、狐の血を引いてるってこと、要さんに嫌われるのが――怖くて、隠してました」
「何で謝ってんだよ。俺、遍さんから謝られるようなことは何もされてない」
「だって、あなたは私を信じてくれたのに。私もあなたを信じるって決めたはずなのに、私には信じ切る勇気がなくて、ごめんなさい」
 涙こそ落ちてはいないが、震える声で塚原は呟いた。秘密が暴かれたのがよほど堪えたのか、それとも劣勢で混乱しているのか、彼女はとにかくうろたえ、謝り続けている。
「ごちゃごちゃと何を言っている。……そろそろ喋るのにも待つのにも疲れたな。小僧と共に逝け!」
 褐に背を向けている塚原の後ろに、迫り来る第二戟が見えた。塚原よりも一瞬早くその爪に気付いた俺は、とっさに彼女を抱えて必死でよけ――ようとしたが、避けきれなかった。
 背中に一筋、焼けるような痛みが走り、ぬるいものが流れ出す。
「いってぇ」
 倒れ込んだ俺と塚原は、ふらつきながら身体を起こす。
 次を食らったらまずいと思ったが、いっこうにとどめが来ない。俺が痛みに耐えながら顔を上げると、褐が、俺の背中を削った右足を労るように舐めているのが遠目に分かった。俺には触れられないと、いつか対峙したときに褐は言っていたはず。にも関わらず、塚原の『お守り』によって受ける自らへのダメージをかえりみずに飛びかかってきた。余裕があるように思えた褐も、狩られないために必死なのだ。
「要さん! 背中が! 血が、こんなに――」
 褐の体勢がすぐには整わないとひとまず安心した俺の目の前では、塚原が未だに取り乱し、今にも泣きそうな顔をしている。ほんのつかの間だが、塚原にもそういうところがあるのかと俺は呑気なことを考えた。しかし、今はそれどころではない。
「しっかりしろよ!」
 塚原は、涙目のまま身体を硬くした。大声を出すと背中の傷にびりびりと響く。
「俺の前で初めて狐を狩ったときの遍さんはそんなんじゃなかっただろ? 颯爽とした、普段の遍さんはどうしたんだよ」
「だって、怪我が」
「これくらいは覚悟してここに来たって言ったろ。遍さんのせいじゃないし、痛いけどまだまだ動けるから。……それに、狐の血がどうとか言われたって、もう、それくらいじゃ嫌いになんかなれねえよ」
「でも、きっと目を背けたくなります。……しばらく、目を閉じていて欲し」
「どんな姿だって俺は」
 そこで、言葉を切った。
 嫌いになれるわけがない。謎の同窓生であり、孤高の戦士であり、脆い少女でもある塚原。いつからかと訊かれると答えに詰まるほどに自然に、俺は彼女に惹かれていた。
 これが終わったら、塚原が今まで出来なかったことをたくさん味わわせたい。普通の高校生のように授業を受けたり、一緒に昼飯を食べたり、花見をしたり。きっと、楽しいに違いない。
「遍さんがどんなことをしてでも俺を守るって言ったのと同じように、俺もどんなことをしてでもしっかり見届ける。……続きは、二人で一緒に帰ってからちゃんと言うから。気持ちは絶対変わんないから、今は、俺に本気の遍さんを見せてよ」
 いっぱいに見開かれた塚原の瞳は、すぐに静けさの宿る普段通りの黒を取り戻した。彼女は、ぼろぼろになった制服の袖で、汗と土埃で汚れた自分の顔を拭う。そして、吹っ切れたように力強く言った。
「そうでした。……私のなすべきことはただ一つなんだってことを、忘れていました。もう、本当に迷いません。見ていてくださいね」
 彼女が迷いませんと言ったのはこれで二度目だと、俺はポケットを探りながら思い出していた。ちりめんの守り袋が指先に触れる。この『魔除け』を受け取ったとき、塚原は確かにそう呟いていた。ということは、あの時からすでにこの戦いを決意していたというのだろうか。
 塚原は立ち上がって革靴を脱ぎ捨て、背後へと放り投げた。次いで、破れてしまったストッキングの足下を自ら切り開いて裸足になる。黒いストッキングの下に隠されていたのは、古い傷跡がたくさん残る白い膝や臑だった。いろいろな意味で正視できずに、俺は目を逸らす。
 塚原は、最後にさっきの一撃で穴が空いたセーラー服の袖をもぎ取ってその場にかなぐり捨て、敵へと向き直った。
「……こんなときに言うのも変ですけど、嬉しい。私も要さんと、多分、同じ気持ちです」
 彼女はそう言い終えるが早いか、裸足で踏み切ると、再び戦いの場へと身を踊らせた。
 踏み切った第一歩。さっきまでとは明らかに違うすさまじい跳躍で、彼女は褐の間合いに飛び込んだ。身体どうしがぶつかり合う音がしたかと思うと、美しい被毛が宙に舞い、ゆっくりと地面に落ちる。褐は後ろへ飛び退り、「やってくれたな」と唸った。その金色に近い毛並みには、喉の辺りに横に一筋、傷が走っていた。
 赤く染まった右手をそのままに、塚原は挑発するように自分の首を指し、叫んだ。
「次はかき切る!」
 褐を切り裂いたのは、驚いたことに塚原の爪らしかった。
「ふん。ヒトが混じっているとはいえ、なまくらではないようだな。しかし、尾がはみ出しているぞ。どう繕ってもお前はこちら側のモノだ。やはり何代経っても獣は獣だな」
「だからどうした。例え獣だって、大切なものを守って何が悪いというんだ! 私は、大事な人と、その人に連なるあまねくものを、この名に賭けて絶対に守ってみせる」
 遍とは、広く、全てにわたることを示す言葉。
 おそらくは生まれたときから守ることを課せられていた彼女に、両親はどんな思いでその名を贈ったのだろう。そして今、『遍』はどれほどの決意で自分の名を賭したのだろう。
 形勢は大きく変わり、一人と一頭はほぼ互角に渡り合っている。何度か交錯するうちに舞台が街灯の下へと移り、俺はやっと『本気の』塚原の姿を目にすることができた。黒目がちだった瞳が闇から白く浮かび上がる。炯々とした瞳の光は、褐のそれと同じものだった。長めのスカートの裾から見え隠れする獣の尾や、袖のない制服からむき出しになった腕、足元も毛皮をまとい、それぞれが月光を受けて金色に輝いている。爪だけではなく、形のいい唇からは青白くきらめく鋭い牙ものぞいていた。
 ちょうど、人間と狐の中間のような容姿――それが、今の塚原の姿だった。しかし、人ではない彼女を目の当たりにしても、醜いなどとはひとかけらも及ばなかった。戦う塚原は、外見がどう変わろうとも凛々しく、美しかった。
「狐の子は頬白。何代重ねても、貴様ら塚原は狐の敵か」
「惑わそうとしても無駄。もう、揺らがない」
 狐の姿をさらけ出してわだかまりは消え去ったのだろう。塚原は褐には耳を貸さずに、再度地面を蹴った。
 彼女は俺がここに着くずっと前から動き続けているはずで、あの調子なら今しばらくは持つだろうが、たまりにたまった疲労に襲われるときを想像すると恐ろしかった。俺は、しっかり見届ける、ただそれだけでいいのか。俺ができることは、何かないのか。
 そういえば、あの刀はどうしたっけ。
 唐突に思い出し、改めて辺りを見回す。と、一人と一頭がにらみ合う位置が移動したためか、褐がまったくノーマークと思える場所に塚原の刀が落ちていた。
 姿を変えた塚原は自らの爪を武器にしているので、刀には先ほどから目もくれていない。褐が塚原のことで手一杯の今なら、あそこまで走れるかもしれない。俺が褐と戦えるかどうかは別としても、あれを手に取ることで何らかのプレッシャーを与えられるかもしれないし、万に一つにも一矢報いることができたらラッキーだ。
 目立たないよう身体を低く保ちながら、俺はそろそろと立ち上がった。血が止まりかけてきた背中の傷口が引きつれて痛んだが、気合いでやせ我慢を決め込む。褐の様子を見計らいつつ、じりじりと、ちょうど野球のリードをするようにすり足で少しずつ刀に近づき――ある距離で、俺は思い切って駆け出した。
「小僧め、小賢しいわ!」
「褐! お前の相手はこちらだ!」
 企みに気付いた大狐の怒号と、塚原の鋭い声。何もかも無視し、俺は小太刀に飛びつくようにして両手で柄を握る。
「やめぬか! それを捨てろ!」
「うわっ」
 その一瞬に、俺の背中に追い打ちを掛けるように褐が身体ごとぶち当たってきた。傷が開き、体温が外へと流れ出す感覚が再び背中を伝った。
 気が遠くなりそうな痛み――もしかしたらほんの刹那、気を失っていたかもしれない――だったが、どうにか刀を取り落とさずには済んでいた。振り返ってみると、褐も何かに耐えるような呻きを上げてうずくまっている。俺が何もしなくても、俺に触れた奴には塚原の符入りのお守りが確実に効いている。
 万に一つのチャンス。
 俺は無我夢中で、意外なほどの重さの得物を必死で支え、一息に振り下ろした。なにかを断つような嫌な手応えがあり、褐が一声上げて後ずさりする。その左前足の肩先には、さっきまで無かった傷が増えていた。
 信じられないが、俺がやったのだ。
「援護ありがとう」
 いつの間にここまで寄って来ていたのか、塚原がそう言って俺の前に立った。とはいえ、足運びはおぼつかず、綺麗な毛並みを波打たせながら肩で大きく息をする仕草には、疲弊した様子が明らかににじみ出している。
 安心したとたん、傷口の熱さを思い出した。俺は刀を杖代わりになんとか立ち上がり、「まぐれだよ」とやっと絞り出す。
「それでも、です。……さあ、これで終わりだ、狐の頭領!」
 よろめきつつも立ち上がった褐の気配を察し、塚原は鈎のように鋭く尖った自らの爪を光らせながら右腕を振り上げた。
 ところが、タイミングを計っていたのか。褐が、狙い澄ましたようにその腕に食らいつく。
「っ!」
 さすがの彼女も冷静ではいられなかった。大型犬並みの体躯を持つ褐の重みが、牙だけで塚原の腕にぶら下がっているのだ。思わず地面に両膝をついた塚原を、顎をしっかりと閉じ、腕を咥えたまま押さえつけて褐がのしかかる。彼女は自由な左腕でなんとか応戦しようとしているが、それもむなしく空を切るばかりだ。砂の上に赤黒い染みが少しずつ広がっていく。
「くそ、離しやがれ!」
 このままでは彼女の腕が噛みちぎられる。塚原を傷つけないようにと刀を一旦置くと、俺は褐をどうにかして引き離そうと飛びかかったが、もはや死にものぐるいの奴に敢えなくはね飛ばされた。その間にも、身動きのとれないまま倒れ込んだ塚原の顔色はどんどん白くなっていく。
 そこで、ふと思った。今、褐は塚原に執着している。隙だらけの今が、切り札を使うときじゃないのか。
 俺は迷わずポケットに手を突っ込むと、『お守り』を握りしめたまま外に出した。塚原の上に乗っている褐の背に飛びつくと馬乗りになり、傷ついているはずの首と肩辺りを後ろから締めつけて身体を反らす。
 たまらず褐が塚原から牙を抜き、俺を振り払おうとむちゃくちゃに暴れながら叫ぶ。
「やめろ小僧! 邪魔だ!」
「これでも食ってろ!」
 俺は開いた褐の口の中に、『お守り』を握った手をここぞとばかりに突っ込んだ。生温かい体温がたまらなく不快だ。手の皮膚が牙に触れて切れるのが分かったが、躊躇せず喉の奥深くへと匂い袋をねじ込む。
「――!」
 絶叫――褐の声にもならない吠え声がしたかと思うと、俺はまたはじき飛ばされていた。焼け付くような背中の傷に俺も叫びつつ、のろのろと上半身を起こすと、褐が悲鳴を上げ、匂い袋を吐き出そうとしながらのたうち回っている。
 一方、解放された塚原はすかさず俺の置いた刀を取っていた。白い右腕には痛々しい噛み傷がくっきりと残されている。彼女が人の姿に戻っていたことに、それで気付いた。
 塚原は苦しみ続ける褐を一見すると、意を決したのか小太刀を閃かせながら構え、静かに言った。
「……要さん。目を閉じて、耳を塞いでいて」

 次に目を開けたときには大狐の姿は跡形もなく消え失せ、塚原はいくぶん誇らしげに俺に微笑みかけていた。
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