みどりのしずく

初仕事【3】

 ラグにとっての初の授業、そして初仕事は、弟子入りの翌日に待っていた。フィスタが雨の中を持ち帰った荷物が、『仕事』だったのだ。

 朝食後に身支度を整えて工房に出ていくと、フィスタとエスは何事か相談をしていた。エスは話が終わると「それでは、行ってきますわね」と言ってどこかへ出かけてしまった。
 工房の中は師匠と弟子二人だけになると、フィスタは昨日持ち帰った荷物を軽く叩いて言った。
「この荷物が、今度の依頼品です」
「重そうな袋だとは思ってたけどよ。何を拾ってきたんだ、先生」
「まあ、見れば分かりますよ。……よいしょ」
 袋の中身は、一抱えもある大きな木箱。荷を解こうとしているフィスタの苦戦を見かねて、ルーが加勢する。
「手伝うぜ」
 ラグも手を貸そうかと思ったが、あまり大勢ではかえって作業の邪魔かと思い直して大人しく待つことにした。やがて、二人がかりの攻撃で、木箱を戒めていた紐がやっとのことで解かれた。ルーが箱の蓋を開けると、衝撃を吸収するために入れられた布の詰め物が顔を出す。厳重に守られているために、肝心の荷はまだ見えない。
 フィスタの手によって、白い布で覆われた大きな包みが取り出され、床の上に置かれた。ルーが屈み込み、布を取り去る。
 ルーの第一声は、「何だ、こりゃ」だった。荷物の正体を知ったラグは、思わず小さく叫ぶ。
「あ――!」
 
 布に包まれていたもの――荷の正体は、少年だった。

 いや、落ち着いてよく見てみると、身動き一つしない。とすれば、実際には精巧に造られた等身大の人形なのだろう。そう見当がついても、急激に早まった鼓動はなかなか治まらない。ラグは胸に手を当てて深呼吸し、必死で自分を冷やしてからやっと尋ねた。
「に、人形ですか?」
「驚きましたか?」
「はい」
「あー、新弟子。ここでびっくりしたら、先生の思うつぼだぜ」
 ルーはこの手の人形を見慣れているのか、弟子二号を後目に平然と品定めを始めている。
「私はそんなに悪人なんですか、ルー」
「笑顔でうそを言うタイプだろ」
 フィスタは笑ってルーに呼びかけた。
「人聞きの悪いことを言わないでください。……さて、持ち上げますからちょっとどいてくださいね」
 『彼』は、フィスタの手によって作業台にそっと横たえられた。見た目、十歳に手が届かないくらいの少年だ。オレンジ色の髪に長い耳、ふさふさと柔らかい毛が生えた尾。この国では滅多に見かけないデザインの豪奢な装飾があしらわれた民族衣装。
 『彼』は、亜人だった。

 亜人は、この国内に限らず世界中で数を減らしている。彼らは人間との交流を避け、人里離れた村を好んで生活しているため、ラグはまだこの目で見たことはない。亜人種に限らず、エルフたちなど少数民族が人間を避けて暮らしているのは、長い歴史の中で人間との間に諍いが絶えなかったからだ。
 その結果、今は、彼らは山へ、人間たちは街へという住み分けが成り立っているところが多い。それはとても寂しいことだと、ラグは思うのだが――。

「目以外は、完璧な仕事だな。おまけに亜人なんて珍しい。どうしたんだ、これ?」
 ルーが疑問を口にする。フィスタは少年が入っていた箱や布包みを部屋の隅に運びながら、「お客さまからの預かり物ですよ」と説明した。
 ラグも、あらためて人形を観察する。瞳が固く閉ざされているという点だけが、唯一の欠点らしい欠点に見えた。普通、このように写実的な人形では、いかに生き生きとした瞳を入れられるかというのが機工師の腕の見せ所だ。他の部分の出来から言って、なぜ入れなかったのかが気にかかる。
 が、ルーの言うとおりそんな些細なことは問題にならないほど素晴らしいものだった。さらに、豪華な衣装とアクセサリーまで含めれば、さぞかし値も張ることだろう。
「で、今回は何だ? 修理か? ……もしかして、目を入れてくれとかいう依頼じゃねえよな?」
 実は、ラグもルーと同様の事を考えていたのだが、フィスタは首を左右に緩く振った。
「いえ、違います」
「じゃあ何だよ」
 人形を眺めていたラグは妙な感覚に襲われていた。目の前が奇妙に歪んで見えた。軽い貧血のような気持ちの悪さを覚える。
「ええ、それはですね」
「先生、ちょっと待った! ……おい、どうした? 顔色が悪いぞ」
 顔をしかめたラグにルーが尋ねる。フィスタが慌てて肩を支えてくれ、ラグはルーが差し出した椅子にぺたんと腰を落とした。軽いめまいと、吐き気がした。
 身体の芯よりもっと奥から、何かが外へと出たがっている。自分が――いや自分の魔力が人形に引き寄せられているのだ、とラグは気付いた。
 幸い具合はすぐに良くなり――というよりは、気分の悪さにはもう慣れてしまったのか、先ほどよりは体調も落ち着いた。ラグは未だ心配そうな二人に先ほどの気分を訴えた。
「あの、すいませんでした。人形に近づいたら変な感じがして。弱いけど、この人形から魔力を感じるんです。勘違いかもしれませんが」
「さすが魔法推薦の奨学生ですね。わかりましたか」
「全然わかんねえ」
 ラグを気遣っていた不安げな表情から一転、満足そうに頷いたフィスタとは対照的に、ルーは不機嫌そうだ。
 まるで子供のようにふてくされているルーを見て、フィスタは苦笑いした。ルーとは逆に、怒っても困っても笑っている人だ。
「ルーの得意分野は機械なんですから、仕方がないでしょう。……では、ラグが感じたものについて解説しましょうか? 二人とも、これを見てください」
 そう言うと、フィスタは何を思ったのか、人形の身体を起こして衣装を丁寧に外していく。それが、初めての『授業』の始まりだった。
 ほどなく、かなり華奢な本体が表れた。大分着込んでいたらしく、中身は意外に小さい。
「おっ」
「あっ」
 弟子二人は目を丸くした。
 上半身裸にさせた人形の身体を前に倒すと、背中いっぱいに描かれた魔法陣が現れた。人形と分かっているとはいえ、白く小さな背中にまるで刺青のように刻まれた陣の痛々しさに、ラグは目を逸らした。
「ラグが感じた魔力の出所は、この陣でしょう。作法はまるでめちゃくちゃででたらめですが、えらく強力です。……偶然とはいえ、『規格外』の事態も起きるものですからね」

 魔法陣の書き方には、最低限のルールがある。
 基本を踏まえつつ、いくつかの陣を組み合わせることで何通りもの効果を一度に発揮させたり、効果を大きくしたりもできる。フィスタが言う『作法』とは、魔法陣の書き方の基本ルールと、陣どうしの組み合わせ方の定石のことだ。
 しかし、基本を守らずに魔法を使った場合でも、必ずしも失敗するとは限らない。稀に、失敗すると見えた魔法が、通常ではありえないくらい強い魔力を発揮することがある。フィスタはその怪我の功名を、『規格外』と表現したのだ。

 フィスタは本棚に歩み寄ると魔法書を一冊抜き出し、作業台の端に広げた。開かれたページをラグとルーがのぞき込むと、魔法陣の基本陣形の一覧が載っていた。
 そのページ中から、師は一つの陣形を指し示した。
「これに似ていますね。力を封印したり、吸収したりする作用があるものです。魔術師同士の戦闘の時に使われることが多いのですが」
 ラグがおそるおそる人形の背に記された魔法陣と見比べてみると、重ねがけされたうちの一つが確かに魔法書のものに似ていなくもない。
「うーん。……そう言われれば、似てるかもな」
 ルーが彼らしくもなく、かなり悩んだ様子で答えた。曖昧にしか判断できないのは、魔法陣の書き方が粗末で基本からかなり外れているうえ、様々な陣が何度も重ねて施されているために見づらくなっているからだ。
「ラグは、魔法陣にほんの少しだけ力を吸われたのだと思います」
「え?」
「見たところ、あなたはかなり強い魔力の持ち主です。……推測ですけれど。こういったものの影響を普通の人よりも受けやすいのでしょうね」
「人よりも魔法に敏感だ――ということですか?」
「そういうことです。まあ、これは特に強い陣ですから影響も別格ですが。……ここまで過敏に反応してしまうことは珍しいと思いますが、ゆくゆくは護身の方法も勉強しなくてはなりませんよ」
 ラグは、自分にそこまでの能力があるとは思えなかった。でも、機工師の仕事をするためには、ことあるごとに魔法陣に反応していたらいろいろと不便だろう、と考え直す。少なくとも、普通に生活できる程度には身を守りたい。学ばないといけないことは、どんどん出てきそうだった。
 人形の背中を調べていたルーが、フィスタとラグの会話を聞いて作業台から顔を上げた。昨日、初めて出会ったときと同じくらい不機嫌そうだと、ラグはつい身構える。
「……もしかして、先生もこれ見るまで分かんなかったのかよ」
 対して、フィスタは例の笑顔でいたって普通に答えた。
「ええ。そんなところです」
「なんだ、じゃあ先生と俺は同レベルか」
 ルーは、勝ち誇ったようにふん、と鼻で笑った。かなり嬉しそうだ。史上稀に見る天才――と、噂されている――機工師を捕まえて『俺と同レベル』と言い切れる見習いもなかなかいない、とラグは思ったが、黙っていることにした。
 フィスタは、やはり笑っていた。

 魔法陣と魔法書を見比べていたラグに、ある素朴な疑問が湧いた。
「でも、先生。どうして、人形にこんなに厳重な魔法陣を書く必要があったんでしょう?」
 すると、ラグの問いにフィスタはいたずらっぽい笑みを浮かべ、こう言った。
「おや。この子が人形だなんて、私は言っていませんよ?」
「……くそっ、騙された!」
「え? ……まさか、本物の――」
 ルーがいち早く、そしてラグがそれに少し遅れて叫ぶ。

 フィスタは、力無く自分の腕に身体を預けている人形、いや少年の頭を撫でた。
「彼はれっきとした亜人の男の子です」
 一見悲しみを堪えているように見えるものの、フィスタは強い怒りを宿した瞳で床を睨み付けていた。
 ラグは、優しそうな師匠の意外な一面を見せつけられて、少し不安になった。しかし同時に、フィスタが弟子たちに表情を悟られないよう、咄嗟に顔を伏せて歯を食いしばったことにも気付いていた。
 フィスタは再び少年を寝かせると、いつもの調子に戻って仕事の内容を話し出した。
「今回の仕事はふたつです。……一つはこの陣を解いて、彼を自由の身にすること。もう一つは、この子とそっくり同じ外見の人形を作ること。魔法陣はラグ、人形作りはルーにたくさん手伝ってもらいますから、よろしくお願いしますね」
 それを聞いたルーがため息を吐き、半ば諦めたように言った。
「……先生。それ、本当に客の依頼なのかよ。こいつの持ち主に内緒で、何か企んでるんだろう」
「た、企んでるって、なんですか」
「さあねえ」
 ラグが驚いてフィスタの顔を見たが、フィスタはにこにこ笑ったまま何も答えてくれなかった。美人な笑顔を見ていると再度聞く気がは失せてしまい、ラグは肩を落とした。
「ラグ、騙されるなよ。先生はこんな美人顔して、かなり悪人なんだ」
 ルーも観念したのか、やはり肩を落とした。
 さっき、ルーが『笑顔でうそを言う』と言った理由がラグにもようやく分かった。どうやらこの先生は、のどかなだけではないようだった。フィスタはその証拠に、わざと聞こえるように呟いたはずのルーの言葉を無視して続けた。
「さて、それではさっそく取りかかりましょう」