みどりのしずく

裏・初仕事【1】

「この人形を、修理して欲しいのですよ」
 私は、お世辞にも良いとは言い難いそのダミ声に「はあ」と気のない返事をした。目の前にはいかにも怪しげなでっぷりと太った古道具商。その脂っこい指が大切そうに人形を撫でているさまは、どこからどう見ても芸術作品を鑑賞している様子ではない。
「まるで本物のように素晴らしいデキなんだが、いかんせん目が開いてない」
「はあ」
 そう言って、彼は人形の頬を軽く叩いた。狭い部屋に、ぴたぴたという小さな音が響く。
「瞳さえ入れば、高値で引き取ってくださるというお客さまもいらしゃいましてね。それで、この街いちばんの腕という評判のフィスタ先生にお仕事をお願いできればと、思った次第ですよ」
「……そうですか」
「わざわざ私どもの店までご足労いただいたのは申し訳ないと思っておりますが、こちらにもいろいろ事情がございましてね。もちろん、報酬には交通費も手間賃も、その他いろいろ上乗せさせていただきますのでご心配なく」
 高慢そうなこの男に似合わぬ低姿勢は、きっと心にやましいところがあるからだ。この人形は、堂々と人目にさらすことができないいわくつきの品物なのだろう。人形を人の目があるところに運び出すことを避けたいがため、私のほうがここに呼ばれたのだ。私が運悪く人形を持ったまま捕まったとしても、知らぬ存ぜぬを通しさえすれば彼は痛くも痒くもないのだから。
 そして、私のたどり着いた結論。
 ――どんな事情があるのかはさっぱり分かりませんが、闇市場にはあまり関わらないようにしましょう。
 ここは鑑定するフリだけを見せて、さっさと退散するのが最良の道だろう。
「……礼金のご相談は後からでも構いませんよ。では、肝心の人形の方を拝見させていただいていいですか?」
「ああ、これは失礼いたしました。やはりモノが気になりますよなあ。……どうぞどうぞ、ご覧下さい」
「では、すいません。ちょっと失礼」
 男の手から、美しい衣装に包まれた人形を受け取る。豪華な衣装よりも先に、奇麗なオレンジ色の髪の毛がまず目に飛び込んできた。七、八歳くらいの男の子だが、服から飛び出した長い耳と毛足の長い尾が目立つ。
「モデルは、亜人なんですね」
「はいはい。珍しいでしょう?」
 毛並みや張りのある皮膚、少し動きは硬いが滑らかに稼働する関節は、まるで本物の人間のもののようだった。素晴らしいでき、と店主が手前味噌に言うのも頷ける。
 しかし、この人形最大の特徴は外見ではないようだった。
 少年人形の背にあてがった私の腕が、じわじわと力を失う。人形の重みを支えるのには何の支障もないのだが、なぜか指先から体が冷えていくような感覚を覚えた。ちょうど、封魔の結界の中に閉じこめられたような脱力感。慌てて、魔力が発散しないよう意識を集中させる。
 ――隠された部分に、何かがある。
「この衣装、取ってみてもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ。本当はお客さまにはお見せしないんですが。先生は特別ですよ」
 店主は、さも有り難がれ、と言わんばかりの恩着せがましい物言いで、張り切って自ら衣装を脱がしにかかった。
「これは――」
 うっかり、魔法陣と口を滑らせそうになるのを何とかこらえた。少年人形にはふさわしからぬ毒々しい幾何学模様が、華奢な作りの体に異様な迫力を与えている。
 はじめは背中一面にどす黒い入れ墨があるのだと思った。しかし、よくよく見ると半ば崩れてはいるが、いくつもの魔法陣が重ねて描かれている。私は、これらに魔力を喰われていたらしい。
 ざっくり見ただけでも、動きを縛る陣、魔力を喰う陣、声を奪う陣。人形には不要と思えるものばかり――。
 ――この人形には、似合わないですね。こんな下手くそな陣が、こんなにたくさん。
 それにしても拙い魔法陣だ。陣の見た目までは気配りができなかったようだが、美しく描いてもらわないと人形の価値が下がってしまう。右の肩の辺りにわずかに残っている傷跡のほうが、まだ自然で奇麗に見える。

 ――いや、違う、これはまさか!
 再度、背中を凝視する。すると、人形の右肩から左の脇腹の辺りにかけて、古い刀傷の痕がうっすらと見て取れた。人形に、古傷の痕などあるはずがない。
 ――これは、この子は――人形なんかじゃない。人間じゃないか!
 悪趣味だ。店主と同様に、品がない魔法だ。
 思わず店主を睨み付けたが、すぐにメガネをかけ直すふりでごまかした。男から視線を外し、しばし思考を巡らす。果たしてこの男は『これが本物の亜人である』ということを知らずに瞳を入れたいと考えただけなのだろうか。それとも、それと知っていて頼んでいるのだろうか。
 前者ならば、ただの修理として請け負ってこの子を引き取り、偽物を作って渡せば済む。しかし、後者であるとすると話がかなり違ってくる。つまり、この子が人形ではないと知っていて私に頼んでいるのなら、『背中の封印を解かぬまま、魔法で無理やり瞳を開くようにしてもらいたい』という仕事になるのだ。
 売られてゆく少年を見殺しにしろと言われているのにも等しい、そんな悪魔のような依頼は受けるはずもない。この子が生きていると分かった以上、私がすることはほぼ決まったも同然なのだが――。
「お引き受けいただけますよね? 余計なことは考えずに、お仕事に専念してくれればよろしいのですよ」
 考えに耽る私に、例の不快な声が飛んできた。
「たかが、魔法をかけ直すだけ。何をお悩みなんですかね?」
 ――今、こいつは何と言った? 『魔法のかけ直し』、すなわち依頼の内容は後者なのか。
 脅しのつもりで漏らしたであろう男の言葉に、私の怒りは瞬時に頂点へと達した。こいつは間違いなく、人身売買だと知っているのだ。しかも、こんな子供を。
「先生も、痛い目に遭わなくては分からないのですかな?」
 先ほどまでとは違い凄みのある声の陰で、微かにだがカサカサという衣擦れ、そして金属が触れあう鋭い音がしたのを私は聞き逃さなかった。武器を仕込んだ人間が隣の部屋あたりにでも待機しているのが分かる。
 断るという選択肢すら私には与えられないのだろう。魔法で相手をしてもいいが、ここで勝ったとしてもこの子を確実に助けられるとは限らない。
 どうも、今回は強気で臨むしかないようだ。
「ええ、分かりました。……終わったら、完成品をこちらにお持ちします。楽しみにお待ち下さいね」
 ――ただし、落とし前はきっちりつけさせてもらうことにしますけどね。