みどりのしずく

裏・初仕事【2】

 荷物を背負い直し、愛用のマントを羽織って玄関へ向かおうとすると、ルーが見送ってくれた。愛弟子は特に気を使う様子もなく、いつもどおり軽口を叩く。
「そんな事情なら、何も偽物作んなくたってよかったんじゃねえのか? まーた、余計な仕事をさせやがって」
「これはこれで、使い道はあるんですよ」
 『これ』とは、背負った箱の中の人形のことだ。私とルー、ラグの三人で作り上げた力作である。
「先生、怪我なんかすんなよな。可愛い妹と弟子二号にいらねえ心配させたら怒るぜ。カヤナだって、先生が死んだりでもしたら後味悪いからな」
 今回の計画はルーと二人だけで動かしている。まあ、エスなら私の無茶をある程度分かってくれるだろうが、他の二人はまったく免疫を持たない。『死んだり』という多少過剰な表現はルーなりの優しさだ。そうならないように、無事に帰ってこなくてはならない。
 革の手袋をきゅっと引っ張り、頷く。
「わかっています。では出かけますから、カヤナと、あとは例のこと――頼みますね」
「はいはい、俺の人脈を信じて任しとけって」
 ルーは、そう言って私の背中を軽く押した。

 先日の機工師ですが、と言って取り次ぎを頼んでいる間にざっと部屋の中を観察する。およそ二十日の間を置いて、二度目の訪問。相変わらず嫌な雰囲気の店だ。
 ――体に力が入りにくい。何か重いものが、体を伝ってはい上がってくるような気がします。
 そういえば、この前ここでカヤナを抱き上げたときも似た感じを覚えた。あの脱力感や疲労感は、カヤナの背中に刻まれた魔法陣が原因だと分かったが――。
 私は、足下に広がる絨毯に目をやった。豪華な刺繍入りのそれを慎重に捲ってみると、案の定床に描かれた円陣が露わになる。不快さの大本はこの魔法封じの陣らしかった。私が魔導師の端くれであると知ってこんなものを準備したのだろう。店主からの信頼は全く得られなかったようである。
 抜け目ない裏世界の住人のことだから、魔法陣はこれひとつではないと想像できる。つまり万一の事態になっても、魔法での反撃はできないということ。
 ――私も、あのオヤジを信用していたわけではありませんけど。
 今日はただでは帰してもらえない。すでに覚悟は決まっている。

 やがて、だみ声の店主が待つ部屋に通された。
 妙な圧迫感がさらに体に堪えてくる。やはりこの部屋も、あの陣が張られているのだ。さらに、古道具商の両脇にはこの前とは違い、傭兵風の屈強な大男が二人ついていた。
「これは先生。今日はどうされましたかな?」
「先日のご依頼の品をお持ちしたんですよ。……こちらが例のものです」
「おお、お早かったですね。さっそく中身を拝見しますが、よろしいですかね?」
「ええ、どうぞ」
 背負ってきた荷物を、舌なめずりでもしそうな勢いの店主に手渡す。中身はもちろん偽物だ。素人に気付かれるようなちゃちなものではなく、本人と見分けが付かないほどに精巧な人形。これで騙されてくれるなら、それでいい。騙されてくれない場合は――ルーの人脈を信じるしかない。
「ほう」
「どうでしょうか? お気に召されましたか」
「瞳はしっかり開いていますなあ。その上、背中まで奇麗にしてくれたとは。全く跡が残っていない」
 人形を慎重に床へと置くと、彼はさらに「お見事ですな。いや、これは恐れ入った!」と続けた。
 なにせ、全くの別物なのだから痕が残っていないのは当たり前である。
 どうも、ばれていないようだ。鑑定眼を磨いてこいと言いたいところだが、例え機工師だって見抜けないだろうという自信はある。
「先生は、本当に腕のいい職人さんなんですな。こいつは高く売れるでしょう」
「いえいえ、そんなことは」
 私は、曖昧な笑顔を返す。
「でもねえ。先生をタダで帰すわけにはいかんのですよ」
 突然、声の調子が変わった。はっとして奴の顔を見ると、心底嬉しそうな表情を浮かべていた。
「お前も高く売れそうだ。きれいな顔に傷が付かないうちに、おとなしく捕まるがいい」
 それをきっかけにして不意に襲いかかってきた二人の男を、私は紙一重で避けた。
「言っておくが、魔法は使えんよ」
「そんなことは知っている!」
 部屋の中は、やたら大きくゴテゴテした調度品や骨董が邪魔で動きづらい。縫うように逃げ回るのがやっとだ。
 逃げなくとも彼らに勝てる自信はある。むしろ逃げ回って無駄に疲労するより、体力が尽きる前に相手の懐に入った方が私にとっては都合がいい。
 ――とは言え、一旦捕まるとただでは済まない気がしますね。ルー、早く来てくださいよ。
 ややふらつく足で逃げるのをやめると、たちまち両脇に男らがとりついて私の腕を後ろから押さえつけた。みぞおちに重い拳が入り、目の前がぼんやりとかすむ。それでも気張ってなんとか顔を上げると、革張りの椅子で足を組んでいる奴が薄暗い視界の端に入った。
「いつもこんなことを――無理やりに人を売り物にしてきたのか」
「だからどうした?」
「人でなしめ」
「今の状況で、よくそんな口が利けるものだ。ちょっと黙らせろ。品定めしてやる」
 右腕を固めている男の膝が腹に飛んできて、私の喉からは、ふっ、という悲鳴とも息ともつかない音が押し出された。奴は椅子から立ち上がるとこちらへゆっくりと歩み寄ってくる。あまりの痛みに目の前は帳が下りたように暗くなり、足音だけがかすかに耳に入ってきた。
「おい、傷つけるなよ。あの亜人のようになったら面倒だ。……おや。もったいないことに、すでにずいぶん生傷があるようだな? 先生」

 遠くなりかけた意識の中に、記憶が蘇る。
『おれのせいで、先生や他の人が傷ついてくのを見るのは嫌だ』
 それは、健気に笑おうとしていた少年の言葉だった。まだ数年しか生きぬまま、すでに苦しい生き方を強制され、それでも懸命に笑おうとしている子。私の傷は、カヤナが受けた背中の傷や心の痛みのほんの一部にすぎない。

 さらに思い出される、機工師という職業を生業として選んで間もない頃のこと。
『何が機工師だ。何が伝説だ。そんなもの、何の役にも立ちはしないじゃないか』
 運命に抗えなかった自分を責める、私自身の声が聞こえる。悲しそうなエス――大切な妹の顔が見える。もうあんな思いはごめんだ。愛する家族の涙を止められず、穏やかな未来を捨てざるを得なかった、あの頃の自分には戻りたくない。

 自由な指先をわずかに動かす。指から腕へ、そして全身へと繋がる鋼の糸が張り、体に微かな金属の振動が伝わった。そのわずかな機械音が、私に理性を取り戻させる。
 腹に痛みは残ってはいたが、我慢できないほどではなくなっていた。鈍痛を精いっぱい押し殺すよう努力しながら、私は店主に問いかけた。
「命を弄んだ人間には、必ずツケが回ってくるということを知っていますか?」
「残念ながら聞いたことがない」
「……では私が教えて差し上げましょう」
「強がるのもいい加減にしろ。魔法が使えないお前など、ただの役立たずだろう? わしに売られて初めて世のためになれることを、ありがたく思うがいい」
「今の言葉、後悔しないでくださいね」
 言い終わるが早いか、私は静かに拳を握った。
「がっ」
「うっ」
 二色の悲鳴と共に私を押さえつける力が緩み、両脇の二人が後方によろけた。その隙に素早く身を引き、男達を避けて体勢を立て直す。傭兵二人と向かい合うと、それぞれが赤いものが流れ出す脇腹の辺りを押さえながら立ち上がるところだった。
「い、痛い! お前は、今、何を!」
 店主はそのさらに後ろに庇われながら、血相を変えて叫んだ。その手の甲からも血が流れ出し、とても古物商とは思えぬ最新式の銃が足下に転がっている。
「機工師が扱えるのは、魔法だけではありません。魔法を封じたからと、たかが二人で私を捕らえようとは。見くびらないでください」
 私の背中からは、着ていたマントを突き破り二対四枚の翼が伸びていた。黒光りする細身の翼は大空へとではなく、敵目がけて飛び立つ薄刃のナイフでできている。
「怯むな。何のためにお前らを雇ったと思っているんだ!」
 だみ声に叱咤された男二人は傷の手当てもせぬまま、再び私に向かってくる。足を踏ん張り、手のひらに張る糸を指先に引っ掛けて引くと、風を切る音とともに男たちが崩れ落ちた。彼らの膝には鋼の羽が数枚、深々と突き刺さっていた。